カテゴリー「日記・コラム・つぶやき」の記事

くだらない議論を

どうして國の國語關係の審議會といふのはかうも程度がひくいのだらう。大東亞戰爭敗戰後のどさくさにまぎれて世にも愚劣な新かなを制定し、當用漢字を制定した。漢字制限→將來的には漢字全廢、音標文字化といふ考への當否はここでは問はないが(もちろんわたしは否であると思ってゐる)、字數の制限だけではなく、愚劣醜惡極まりない字體の改變をおこなった。
この國語政策は當初、新聞社など字數制限の恩惠を受ける勢力のつよい支持を受けたが、コンピューターの發展・普及にともなひ、字數制限の恩惠が新聞社・印刷業者等のみならず、實際に文章を書く個人にとってもうすれ、むしろつかひたい字がつかへない不便の方ばかりが目につくやうになった。戰後國語改革はもはや破綻したのだ。
しかし文部(科學)省もいまさら國語改革は破綻しました、全部チャラにします、とも言へず、姑息な彌縫策のみをくりかへしてゐる。いま現在も常用漢字表の改定を作業中だ。なんでも191字ほど追加するらしい。ちょっとまへにどんな字が追加されるかの一覽が新聞にのってゐたが、わたしは見てゐない。わたし自身は常用漢字表にしばられる氣などさらさらないからだ。
だが、Yahoo!ニュースを見てゐたら、『「しんにょう」の点は1つ?2つ? 結論持ち越し 文化審漢字小委』といふ記事があったので、讀んでみた。くはしくはリンク先を讀んでほしい。
それにしても文化審議會漢字小委員會の委員といふのは馬鹿と暇人のあつまりなのだらうか。よくこんなつまらないことで議論を白熱させて結論を持ち越したりできるなと思ふ。
文字の表記といふのは本來フレキシブルなものだ。特に手書き文字といふのはどうしてもさうなる。アルファベットの筆記體をみればよくわかるはずだ。たとへば「Q]などは活字體とほぼ同じやうにも書けば、圓の部分を閉ぢずに「2」にちかいやうなかたちにも書く。わたしが小學生のころ見た子供向けのテキストにも本によって兩方の字體があった。
文字數のすくないアルファベットでさへさうなのだ。文字數の多い漢字はなほさらだ。漢字にはさまざまな異體字があるのはそのためだ。よく知られたところでは「島」「嶋」「嶌」などがある。これはどれが正しいといふものではない。どれでもよいのだ。ただ、敎育などの便宜の點から、なにかを標準にするのはやむをえないだらう。きはめてバラエティにとむ日本語を、東京山の手のことばをベースとして「標準語」をさだめたやうに。
之繞にしてもおなじことだ。2點なり1點なりを標準とさだめ、他方でもよい、としておけばよいだけのはなしだ。どちらを標準とするのが望ましいかといへば、當然傳統的な字體である2點だらう。その採用を躊躇するべきではない。ましてや
子供に『この字はなぜ2点?』と聞かれて簡単に説明できない
から1點にすべきだなんて主張は本末轉倒もいいところだ。本來すべきは、いままで1點としてきた既存の常用漢字の之繞の字體もこれを機に2點を標準とあらため、從來からの經緯にかんがみ1點も可、とすることだらう。
だいたいからして1點だ2點だと決めつけなければ子どもに敎へられないといふ發想からして非敎育的だ。こたへはただ一つといふ○×テスト的發想の産物にすぎない。正解が複數あるものは複數あると、曖昧なものは曖昧だと敎へるのが敎育の役目ではないのか。ちがふといふのなら、たとへば「之繞」はなんと讀むのだ。これは學校でも「しんねう」でも「しんにゅう」でも可、と敎へてゐるのではないか。「延繞」は「えんねう」なのに「之繞」は「しんにゅう」だなんて子どもに説明ができないなんて言ってゐる馬鹿はゐないはずだ。
さういふ意味で事務局案といふのは(既存常用漢字の字體にふれないといふ大きな瑕疵はあるが)、比較的まともなものだ。それに對して1點統一案をとなへてゐる一部の委員とやらはまさに曲學阿世の徒と言って過言ではない。かういふ連中は日本語と日本のためにさっさと委員を辭任してほしい。

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社名に暗示された産地僞裝

ここのところ、烏の鳴かない日はあっても食品關係の不祥事が報道されない日はない、といった感じですね。特に産地僞裝についてはもう慣れっこになってしまって、いまさらなにがあってもおどろかないやうになってしまひました。
さて、いま一番ホットな産地僞裝關連のニュースはキャセイ食品なる會社が中國産がまじってゐた冷凍野菜を國産といつはってゐた、といふ事件ですね。
この第一報を新聞で見たとき、「國産と僞裝」「キャセイ食品」「中國産」といふ文字がまづ目に飛び込んできました。それで記事をちゃんと讀むまえに頭にうかんだのは、もともと中國からの食材輸入を業としてゐた會社が國産食材もあつかふやうになりながら、實は中國産を賣ってゐたのかな、といふものでした。
だって、「キャセイ」といはれてまづ頭にうかぶのは「キャセイパシフィック航空」ぢゃありませんか。御存じのやうにキャセイ航空は香港の航空會社です。そしてそのキャセイといふのは支那(China)の意味ですから。
ちなみに支那といふのは秦に由來してゐるといはれてゐます。それに對してキャセイといふのは契丹(キタイ)に由來してゐるさうです。
とにかくさういふことを考へたら、キャセイ食品が中國産野菜を使ってゐたのは至極當然のやうに思へてしまひますね。もっともキャセイ航空はCathayなのに對し、キャセイ食品はCasseyのやうですから、本當は中國とは關係ないのでせう。でも、さうするとCasseyとはどういふ意味なのか、どうしてかういふ社名をつけたのかが氣になりますね。

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朝日新聞、日本語崩潰

昨日(9月15日)付けの朝日新聞東京本社版敎育面にあった「存在意義探る女子大」といふ記事。筆者は石川智也。
記事内容は、一月中旬、お茶の水女子大、奈良女子大、津田塾大、東京女子大、日本女子大の5大學が「21世紀に生きる女子大学」といふシンポジウムを開いた、といふことにからめたもの。
それはともかく、この記事、文章がすごいよ。いはく

日本の女性管理職の女性比率は10%

ださうだ。日本だらうが、ドイツだらうが女性管理職の女性比率は100%だと思ひますけどね。日本には女性でない女性管理職といふ鵺みたいなのが90%もゐるんですかね。まるで小學生なみの文章だ、と言ったら小學生が怒りますね、これは。
それにしてもこんな文章を署名入りで發表する記者さんの心臟にはおそれいる。こんな文章をとほしてしまふ校閲の仕事ぶりにも感心する。なによりもこんな文章を數百萬部も印刷してばらまく朝日新聞社の度胸には言葉をうしなふ。
新聞社さん、おねがひだから、記者には義務敎育レベルの日本語がつかへるやうにちゃんと敎育してください。といふか、そんなやつ入社させて記者にするな。新聞記者の日本語能力の低下もつひにここまで來たのかと、あきれるばかりだった。
ついでだけど、このシンポジウムもなかなか香ばしい内容だったやうで、

パネリストから、「貧困や格差は男支配のなれの果て。女子大の役割は男性の再教育」という発言も飛び出し、盛り上がった。

のださうだ。「男支配」ぢゃなければ、貧困や格差はなくなるんですかね。どれだけ粗雜な腦みそしてるんですかね。この發言もさきの5女子大の關係者の發言なんですかね。「受驗生の女子大離れ」や「不要論」に對抗するためには、かういふ馬鹿を排除するのが一番ぢゃないんですかね。

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わざわざそんなルビを

今日の朝日新聞夕刊の「窓 論説委員室から」。タイトルは「21世紀が始まった朝」。執筆者は三浦俊章。その中の一節。

自由で開かれた社会を逆手にとって、人々を不安に陥れるテロ。

この引用文中、「逆手」に「さかて」、「陷」に「おとしい」とルビがふってある。
後者は問題ないが、前者は本來「ぎゃくて」と讀むべきもの。柔道なんかで、關節を反對にまげて取ることをいふ。「さかて」といふのは、逆上がりのときの鐵棒の握り方、あるいは座頭市の刀の握り方のやうなものの持ちかたをいふ。
よって、この場合は「ぎゃくて」が正しい。
現在では「さかて」と誤讀される場合が多く、その讀みもほぼ容認されてはゐるが、嚴密には正しくない。わざわざルビを正しくない方でつけることはなからう。
朝日新聞の論説委員さんと校閲擔當者さんは、相當日本語に不自由とみた。日本語が碌にできなくても、朝日新聞社では出世できるんですね。氣樂な稼業だなあ。

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往復ともに座席トラブル

いそがしかったんで、いまごろ書いてゐますが、16日から24日まで歸省してゐました。歸省先は近畿です。當然往復には「のぞみ」をつかひました。ともに指定席です。
まづ行き。3人がけの通路側がわたしの席でした。東京で乘ったとき、なぜか眞ん中の席があいてゐました。そこの名古屋から乘ってきた中年男性がすわりました。で、しばらくすると、わたしにむかって「そこ、俺の席とちがふか。」とか言ひ出しました。え、まさか、と思って切符を確認しようとしたら、そのおっさん、それよりはやく自分の切符を見て、「あ、御免。あってるわ。」
………。あのねえ、ひとに席まちがってないか、て言ふときはまづ自分の切符を確認してから言ふもんでせう、普通。ええ歳して常識もないんかい。そのせゐで新大阪につくまでずっと不愉快でした。

つぎに歸り。こちらは2人がけの通路側。神戸の友達のところに遊びに行つて、直接のもどりなので、新神戸から乘る。わたしのすわるはずの席に若い女性。ちなみに窻側には中年男性。自分の切符を再確認してから、その女性に聲をかける。その女性も自分の切符を確認すると……。なんと女性の席は窻側が正解で、男性は一つうしろの列の窻際がただしい席でした。玉突き事故かい!
しかし、その女性も自分の席にすわられちゃってゐて、氣がつかなかったんだらうか。窻側か通路側かって、切符取ったときに氣にしないのかなあ。不思議不思議。おかげでホームまで見送ってくれた友達に手も振れませんでした。

でもって、この「のぞみ」、例の小田原・熱海間の豪雨の影響で、22時30分東京著の豫定が、翌日の4時20分著になってしまったのでした。うわー、最後にこんなとんでもないオチまでつくなんて。往復の座席トラブルは、そのためのネタふりだったのね。いやー、えらい目にあひました。

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びっくり!水野正敏、禁煙

難波弘之さんの公式サイトの〈近況〉から

> 何と、ベースの水野正敏がタバコをやめました! その途端、子供の頃から悩まされていた偏頭痛が治ったそうです。

いやね、去年のライブでドラムスの池長一美さんが、なんだったか病氣で、醫者から副流煙を吸ふこともだめ、と言はれてゐたはなしをしてゐたんですよ。で、難波さんと水野さんに「自分のちかくでタバコを吸はないことに協力してくださって、ありがたうございます。」とか言ったら、水野さんが「煙吸ったら死ぬかも知らんとか言はれたら、しゃーないやんか。醫者に言はれた?醫者の言ふことやったらなんでも聞くんかい。醫者が水野とつきあふなとゆーたら、つきあふのやめるんか。」とかつっこんでたんです。
難波さんが大喜びで、醫者の眞似して「もしや水野といふ人とバンドやってゐません?それがよくない。おやめになった方が。」とか言って笑ってたんですよ。
その水野さんが禁煙するなんてねえ。

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今日のAmazonメール

さっきとどいたAmazonからの廣告メール。
タイトルは“池頼広の『テレビ朝日系ドラマ「ゴンゾウ~伝説の刑事」オリジナル・サウンドトラック』、Amazon.co.jpでお求めいただけます”
本文を見ると、“Amazon.co.jpで、以前に「日本のTVシリーズ > 刑事ドラマ 」関連のTVサントラの『〈ANIMEX 1200シリーズ〉 (46) 宇宙刑事シャリバン 音楽集 (限定盤)』またはその他のミュージックをチェックされた方に(後略)”
…………。
「宇宙刑事シャリバン」は刑事ドラマではないと思ふぞ。

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まづ隗より始めよ

文化廳の平成19年度「國語に關する世論調査」の結果の要點が發表されたといふので、各紙が記事にしてゐますね。
わたしが見た中では、全國紙では朝日、毎日、日本経済の各紙がことばの意味が、特に「檄を飛ばす」の意味が誤解されてゐる、といふか、本來とちがふ意味で使はれてゐることを取りあげてゐました(註1)。そのうち朝日毎日の記事をリンクしておきます(註2)。
で、まあ、讀んでいただければおわかりのとほり、兩紙ともエラさうに、といふか、他人事のやうに、といふかな書き方をしてゐるわけですが、これって、責任の半分ぐらゐは新聞にあるんぢゃありませんかね。新聞で「檄を飛ばす」(註3)を「本來と違ふ意味で」つかってゐるのを何度目にしたかわかりません。といふより、本來の意味でつかってゐるのを見た記憶がほとんどないんですが。
「憮然」にしてもしかり。これも本來の意味でつかはれてゐるのを見た記憶がありません。
まづ隗より始めよ、といひます。文化廳の調査結果をたれながしてしたり顏をしてゐる暇があるのなら、まづ新聞自身がことばの意味を正しく使ふやうにしてもらひたいものです。
まあ、「まづ隗より始めよ」も嚴密にいふなら、本來は「言ひ出したものからやれ」といふ意味ぢゃありませんけどね。

(註1)殘念ながら讀賣は手もとにありませんので、どうだったかわかりません。
(註2)日經のオンライン記事では、その部分は省略されてゐました。
(註3)「ゲキを飛ばす」と書いてゐることが多いやうです。多分「檄」が常用漢字ではないからでせうが、まさか「檄を飛ばす」ぢゃないから誤用ぢゃありません、と言ひぬけるためぢゃないでせうね。

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コンビニの營業時間規制はスケープゴートだ

コンビニエンスストアの深夜營業を規制しようといふうごきが急なやうです。京都市をはじめ、多くの自治體が檢討してゐるとか。
これに對して日本フランチャイズチェーン協會は、當然のことながら反對してゐます。
その論據は
・深夜營業をやめて、その間照明を落としても冷藏庫は動かしてゐるので、あまり節電にはならない。
・おもに深夜におこなってゐる配送を晝間にかへなければならない。晝間は道がこんでゐるから、配送效率がおち、CO2排出量がふえる。
・よって深夜營業をやめてもCO2排出量は4%程度、日本全體の排出量の0.009%程度しかへらない。それにひきかへ、かうむる經濟的損失は多大である。
といふことのやうだ。
この問題、わたしにはコンビニ側に理があるやうに思へる。
上にかかげた數字はコンビニ側の試算なので、いくつかの前提條件がみづからに都合のよいものになってゐるであらうとは想像するが、それでもそ營業時間を24時間から、7時~23時にしたからといって、CO2排出量が劇的にへる、などといふことはありえない。4%が正しいかどうかはともかく、1割もへらないであらうといふことは想像できる。
それに、法律乃至條令等で營業時間をしばるのは、營業の自由ををかす行爲だらう。
といふと、いまでも風俗營業は24時から日の出までの營業を禁止されてゐる、といふ人がゐるかもしれない。しかし、風俗營業は各都道府縣公安委員會の許可がなければ營業できない業種だ。もとより公共の安寧および風紀において、おもしろからざる業種とされてゐるのだ。それと同一視はできない。
そもそもコンビニ營業時間規制を檢討してゐる人たちは、エラい人たちばかりのはずだ。自分が深夜に買ひ物をする必要がない人たちばかりだらう。だが、世の中はかういふ人たちばかりでできてゐるのではない。殘業で歸宅がしばしば23時を過ぎる人、深夜勞働の人だっていくらでもゐる。夕食はほかで食べるとか、23時前に辨當を買ふとかでもいいだらうが、翌朝の朝食用にパンと牛乳を買ひたい、などといふニーズにはこたへえない。牛乳なんか、仕事先で夜に買ったら、翌朝にはいたんでしまふだらう。
かういふ社會構造、勞働環境をそのままにしてコンビニを強制的に23時なりなんなりにしめさせるのは筋違ひではなからうか。
だいたい24時間營業をしてゐる業種はコンビニだけではない。それなのになぜコンビニだけが槍玉にあがるのか。埼玉縣は「夜型ライフスタイルを變革する象徴的な位置づけになる」と言ってゐるさうだ。さう、象徴的!な意味合ひなのだ。
われわれはCO2削減のためにいろいろがんばってゐます、ほら、このとほりコンビニの規制をやりました、と言ひたひだけなのだ。コンビニはそのためのスケープゴートなのだ。コンビニよりはるかに無駄と思へる、ファミリーレストランなどの24時間營業はそのままにして、コンビニに目をつけたのは「目立ちやすいから」「わかりやすいから」といっただけの理由なのだ。そのためにどのやうな不利益が出るか、こまる人がどれくらゐゐるか、なんてことは二の次、といふより、ほとんど考へもしてゐないのだらう。
いまでも深夜に需要のすくないコンビニは23時にしめてゐる。それでいいではないか。需要のあるものを無理にしめさせる必要はない。
補足すると、コンビニのフランチャイズ契約は、營業時間について7時~23時または24時間とし、24時間營業の店にはインセンティブが出るやうになってゐるのが一般的のはずだ。とすれば、そのインセンティブの廢止乃至は縮小、さらには營業時間の自由化をうながせばよいのではないだらうか。たとへば近所にスーパーマーケットのある店の中には、むしろ晝間の需要の方がすくない、といふところもあるのではないか。さういふところは日中、閉店することを認めればよい。さうすれば經濟原則にしたがつて「無駄な」營業時間はけづられるはずだ。

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謎の喫茶店ではありません

唐沢俊一さんの裏モノ日記6月23日分に〈cafe ロジウラのマタハリ 春光乍洩〉の看板の写真が。なにごとかと思ったら、たまたま旅先で見つけただけ、らしくて〈※謎の喫茶店。〉との写真説明。
〈謎の喫茶店〉じゃありません。ちゃんとサイトもあります。小さい店ながら、ときどきライブをやるので、フリージャズ界隈じゃちったあ知られた店です。あなた、東京中低域のCDの帯の推薦文を書いたこともあったでしょう。リーダーの松本健一さんとはマイミクなんでしょう。〈東京中低域DVD「Live in London」発売記念Talk Live〉なんてイベントもやっている店ですよ。
それを〈謎の喫茶店〉じゃあ、あんまりじゃないですか。

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兒童ポルノ法の永六輔

痛いニュース(ノ∀`)」で知ったのだが、法政大學社會學部の白田秀彰准敎授(一橋大學法學博士[註1])が、私は兒童ポルノに該當するものを單純所持してゐる、兒童ポルノの單純所持が違法化された曉には 、他の誰を摘發するよりも先に私を逮捕しろ、と宣言してゐる。
くはしくは直接リンク先を讀んでほしいが、ごく簡單にまとめると、つぎの趣旨のやうだ。
・2001年第三刷發行の荒木經惟さんの寫眞集を古本屋で購入した。
・これには10歳未滿とおぼしき兒童の性器付近が鮮明に描寫されてゐる。
・これは法學者である自分から見て、避けようがなく「兒童ポルノ」に該當する。
・ゆゑに兒童ポルノの單純所持が違法化されたら、私を逮捕せよ。
白田准敎授がこのやうな行動に出たのは「2001年まで何の問題がなかった本を、そのまま保持しているだけで、いつの間にかその本が違法品となり、なんら違法なところのなかった所有者が、いつの間にか容疑者になるカフカの『変身』的不条理について、立法者や法執行関係者と議論してみたい」ためとのこと。
粗忽亭も以前、かつて本屋で普通に賣ってゐた、まったく合法であった書籍・雜誌がいきなり違法になってしまふおそろしさについて書いたが、白田准敎授がうったへやうとしてゐるのは同樣のことのやうだ。
それはそれとして、この白田准敎授の「俺を逮捕せよ」といふ宣言を讀んで、粗忽亭は永六輔さんを思ひ出してしまった。
かつて、計量法によって、尺貫法の使用は刑事罰をもって禁止されたことがあった。それを遺憾とした永さんは、みづから曲尺鯨尺を密造密賣して、それを公言し、みづからの逮捕をうったへるなどの運動をおこなった。しかし警察・檢察は永さんを逮捕しえず、結果、尺貫法の使用が默認されるにいたった(リンク先參照)。白田准敎授の方法論はこれと同じといえよう。
永さんと白田准敎授とでは、法の成立(施行)の前後との差異はあるが、白田准敎授のこの作戰、はたして永さんなみに功を奏すであらうか。
なほ、リンクした白田准敎授の宣言文、後半は單純所持違法化の問題點だけではなく、性表現・猥褻表現規制の問題點等にもふみこんでをり、たいへんよみごたへがある。白田准敎授の主張には粗忽亭はことごとく贊成だ。粗忽亭がいままで文章化し得なかったことを、みごとにまとめてゐる。さすがに學者として、文章(論文)を書く訓練を受けただけのことはあると、心より感心した次第だ。

(附記)
「痛いニュース(ノ∀`)」にある、2ちゃんねるでのコメントを見ると、『こいつが変態なのは良くわかった』『これは反権力を気取った真性ロリの捨て身戦法だな』『自分の性癖正当化しようとしてるんだぜ』『とどのつまり単なるロリコン野郎だろw』『ロリが息巻いてるだけじゃねーか。』『ただの変態ロリコン野郎だろ』『いつなんの目的でそれ買ったんだよオッサン』などといふのがたくさんあってあきれる。白田准教授は『私はこの本を、一連の問題の当事者となるために古書店で入手した。』『その10歳未満と見られる児童の裸体写真を見たとき、もう40歳になる私の意識に浮かんだ言葉は「親の顔が見たい」というものだった。』と書いてゐるのだが。ソースもろくに讀まずにコメントつけてゐるんですね。

[註1]1998年の取得なら「博士(法學)」とかぢゃないかと思ふのだが、本人の履歴書に「法学博士」とあるので、とりあへずさう書いておく。

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天氣豫報の謎

私は千葉縣に住んで東京都に通勤してゐます。ですから天氣豫報は、いつもこの兩都縣のものを見てゐます。
さて、それで不思議なのが週刊天氣豫報。いや、天氣そのものは不思議ぢゃないんです。隣縣ですから、豫報はほとんどおなじ。降水確率も大概10%ぐらゐしかちがひません。
不思議なのは豫想氣温。最高氣温とか最低氣温とかの豫想です。明日や明後日の豫想はたいてい兩者同じとか、1度ちがひとかなのですが、數日先になると大きくちがってくる。3度とか4度ちがふこともあります。あ、たいてい東京のはうが高くて千葉のはうが低いんです。それでゐて、その日の前日ぐらゐになると、豫想氣温のちがひは1度程度におさまってゐるんです。で、實際當日の氣温も0~1度におさまってゐます。
そんなことなら數日先の豫想氣温も、あまり差がなくてしかるべきぢゃないかと思ふのですが、なぜなんでせうね。
ちなみにいま、Yahoo!天氣情報を見ると、6月1日の東京の最高氣温が25度、千葉が21度と4度も差があります。でもこれ、當日になると、きっとこんなに差はないと思ひますよ。


6月2日附記
今日の新聞によると、6月1日の東京の最高氣温23.3度、千葉の最高氣温23.8度でした。
ほら、やっぱり0.5度しかちがはなかったぢゃありませんか。しかも千葉のはうが高いし。

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今月も突っ込みどころ満載の「社会派くんがゆく!」

社会派くん」いじりもたいがいにしておこうとは思うのだが、今月も無茶苦茶が何点も。2・3点なら無視するのだが、あまりにたくさんあるので、特にひどい点だけを指摘しておく。

唐沢 ありゃ、日本が悪しき先例を作ったな。東京オリンピックの成功で、敗戦国だった日本が高度経済成長に乗ったっていう実例があるからね、どこの国もあの成功例が忘れられないんだな。
⇒日本が高度經濟成長に乘ったのは、朝鮮戰爭特需がきっかけであるのは經濟史の常識だと思ふが。

村崎 もう時代が違うんだし、あの当時の日本みたいなケースは奇跡に近いんだって。わかってねえよなあ。だいたい中国なんて、オリンピックを成功させたところで絶対に日本みたいなれるわけがない。なぜなら、あいつらの国には天皇陛下がいないからな(笑)。お前ら、天子様を殺しちゃっただろうが! エンペラーがいない国に、国の指針も規範も品格もあるわけがねえよ。 当然のごとく人民も「自分さえ良ければ他人なんかどうでもいい」としか思わない鬼畜な奴らばかりになるわ。可哀相だけど自業自得だな。
⇒支那、といふか中華帝國の皇帝と日本の天皇を同一文脈では語れない。中華帝國の朝廷は何度も革命でかはってゐるので、皇室をひっくりかへすこと自體は問題とはいへない。現に辛亥革命のあとも袁世凱が皇帝にならうとしてゐる。さらに言ふと、「天子様を殺しちゃっただろうが!」って、ラストエンペラーの溥儀は殺されてゐません!

唐沢 打倒するべき相手もいないから、革命もありえない。国を成り立たせている基盤っていうのが、すでに存在していないようなものだからね。
⇒打倒すべき相手が中國共産黨だったりするとなにか不都合なのだらうか。「相手もいないから、革命もありえない」なんて意味不明としか言ひやうがない。

唐沢 儒教というと日本では清廉潔白な道徳律と思われがちだけど、実はあれは役人になって出世をするためのガイダンスみたいな教えでしかない。出世に一番役立つものが血縁関係のコネなわけで、だから儒教は血縁を非常に尊ぶわけなのよ。これが身内へのえこひいきの正当化につながり、法律や組織の軽視につながる。法や組織(国家)の代理人たる役人がそれなんだから、役人に動いてもらうためには、その役人が血縁でない以上は、金にたよるしかない。賄賂横行、商業ルール無視が生れるのは、儒教文化のせいだとさえ言えると思うね。
⇒唐沢さん、あんた呉智英さんのファンぢゃなかったんですか。これ讀んだら、儒敎を危險思想だと言ってゐる呉さんが泣くぞ。本來の儒敎と、その後、體制にとりこまれて墮落した儒敎とをいっしょくたにしちゃいけません。

唐沢 腐敗ってことなら、どこの国も似たり寄ったりだと思うんだけど、日本も、韓国でさえも、近代にはいってからそれを是正しようと頑張ってきた。先進国で、賄賂政治が治っていない国ってのは中国だけだよ。
⇒いつ中國が先進國になったんですか。

唐沢 この青山の准教授も中国人をサンプルとして挙げるのなら、そんなに叩かれなかったかもしれない(笑)。ただ、これに対して「私にも子供がいる。それを0・5人とは何事だ」って怒ってる連中にもね、じゃあお前はバスに乗るとき、子供料金があることを侮辱だと怒って、ちゃんとオトナ分、支払うか? 中絶だって立派な殺人行為なのに、それが罪に問われないのは、胎児が人間扱いされてないからだろ。そういう問題には何にも発言しないで、この准教授にだけ怒るのは筋が通ってないぞ。この件で騒いでいる連中も瀬尾と同じ、感情でしかモノを言っていないってことだよな。
⇒バス料金と人權は關係ないだらう。では、無料招待といふのは侮辱なのか。また、胎兒と子どもはまったく別だらう。胎兒はいつ人間になるか(からだの一部が出たときか、半分か、全部か、へその緖を切ったときか云々)といふ法學上の議論もあるぐらゐだ。

村崎 黙って何も言わずに自分のやるべき最善のことをして死んでいったって感じで、ちょっとシビれたよ。オレにとってはオリンピックで金メダルを獲る有名スポーツ選手よりも、こういう無名のおっさんの方がはるかに英雄だね。最高だったし、立派だったよ。国はこういう人間にこそ紫綬褒章をあげるべきだと思うぞ。ドライバーってのはなにもF1レーサーだけがカッコいいわけじゃないんだから。
⇒紫綬襃章は、科學技術分野における發明・發見や、學術及びスポーツ・藝術分野における優れた業績等に對してに授與される。この運轉手の行爲にあてはまるものをあへてえらべば、紅綬襃章(「自己の危難を顧みず人命を救助したる者」に授與される)であらう。

村崎 それから家っていえば、例の楳図ハウス、訴えていた住民ども、ついに本性をあらわして「不快なのでこれからずっと月に十万円ずつ払え」って金を要求してきやがっただろ!(★11)
唐沢 いやあ、正体が見えたね(笑)。
⇒これは日の出町の谷戸澤處分場の漏水問題と同じで、經濟的强制によって、撤去させようといふ戰術。そもそも民事訴訟は人事訴訟をのぞいて訴額が必要なので、訴訟にするならかういふ形をとらざるを得ない(假處分申請等をのぞく)。

といふわけで、もう少し事實をふまへて「鬼畜」してほしいものです。といってもこの二人にはのぞむだけ無駄か。

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文のつながりが理解できません

asahi.comにある“たばこ屋さん、店じまい続出 「タスポ」の負担ずしり”といふ記事(東京本社版紙面ではちょっとちがふ見出しで、12日の夕刊に掲載)。
taspoの導入で自動販賣機の切り替へに費用がかかる、その投資負擔に耐へられないタバコ屋の廢業が相次いでゐる、といふ記事なのだが。
よくわからないのがつぎの部分。

“軒先に残る「たばこ」の看板を頼りに、道沿いの2店舗を訪ねると、すでに廃業・縮小していた。店主らは「顔と顔を合わせた商売は、もう時代遅れなんだっちゃね」と自分に言い聞かせる。”

自動販賣機のはなしをしてゐるのに、どうして「顔と顔を合わせた商売は、もう時代遅れなんだっちゃね」といふ話が出てくるんですかね。自動販賣機がふえたために對面販賣のタバコ屋がへった、といふのならわかりますが、それぢゃン十年前の記事みたいだし。
逆にtaspo對應自販機を導入する資力のないタバコ屋が對面販賣を強化するやうになった、といふのなら納得はいくんですが。
なぜ自販機から自販機への切り替へができないタバコ屋の廢業が顏と顏を合はせた商賣は時代遲れ、といふ話につながるのか、お分かりの方、どなたかいらっしゃいますでせうか。いらしゃったら、文章讀解力に缺ける私に解説していただきたく思ひます。

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素朴な疑問

「グラフSGI」って雜誌が聖教新聞社から出てゐますよね。いへ、現物は見たことないんですが。毎號、新聞におっきな廣告がのるし、電車の中吊り廣告にも出るので、名前はよく知ってゐます。
で、この雜誌、毎號のやうに池田大作さんが海外の大學から名譽博士とか名譽敎授とかの名譽學術稱號を授與された、といふ記事がのってゐるやうです。
創価学会の會員さんはかういふ記事を見てどう感じるんでせうか。やっぱり、「こんなにたくさん名譽學術稱號を授與されるなんて、さすが池田先生!」って思ふんでせうか。
私のやうな部外者には「寄附金總額っていくらぐらゐになるんだらう。學會員の“財務”がこんなとこにも使はれてゐるんだなあ。」といふ無間地獄におちさうな感想しか出てこないんですが。
ほんと、どうなんでせうね。

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フィクションかノンフィクションかはっきりさせといてください

まづはリンク先を讀んでみてください。朝日新聞の讀書面にのった野口武彦著「幕末不戦派軍記」の書評です。評者は香山リカさん。
これを讀んで、どういふ構成の本だと思ひました?私は「お気楽な幕臣4人組」の日記を、解説をまじへて紹介する本だと思ひました。さう、丁度「元禄御畳奉行の日記」のやうな。江戸時代大好き、史料大好きな私は早速買ってみました。
目次にはかうあります。「発端 長州戦争の巻」「彰義隊の巻」「日光の巻」「奥羽朝廷の巻」「蝦夷共和国の巻」「あとがき」。
そのあとがきの冒頭。

 この一冊で活躍する(中略)四人組は、幕末の史料から抜け出してきて、フィクションの世界に漂い出た男たちである。

ええええええー!フィクションだったんですか!
あとの方にこの本の「成り立ちと構成」が書いてあるので、とびとびにひきます。

 右の『在京在阪中日記』にもとづいて最初に書いた歴史ドキュメンタリーが「幕末の遊兵隊」(『幕末気分』所収)である。(中略)この日記は将軍(引用者註 十四代将軍家茂)薨去のあたりで尻切れトンボに終っている。こんな連中が戦場に送り出されたらどうなるか。その後の運命を断片的な史料と想像力で補い、フィクションの形で鳥羽伏見の戦いに参加させたのが「幕末不戦派軍記」(『幕末伝説』所収)である。(中略)
 その続編がどうしても書きたくなって、四人を次々と維新戦乱の現場に投入した。(中略)
 単行本にまとめるに当たって、出発点になった「幕末の遊兵隊」をノベライズし、「発端 長州戦争の巻」と題して巻頭に据えた。『在京在阪中日記』では事実不明だが、四人組が長州戦争の前線に行ったという設定から物語が始発する。全五章はすべて史実を材料にしたフィクションである。(後略)

つまり、一種の歴史小説、てことですね。しかも、その日記がベースになってゐるのはせいぜい「発端 長州戦争の巻」の中ごろまで、といふことになりませうか。
小説に興味のない私としては「だったら買はなかったのになあ。」と言はざるをえません。香山さん、フィクションをノンフィクション、あるいはドキュメントのやうに紹介するのはやめてください。
あ、あわててつけくはへますが、この本自體は「史実を材料にし」てゐますし、多くの史料が出典を明記したうへで引用されてゐますので、けっして荒唐無稽なものではありません。幕末の一斷面を、その雰圍氣を知る、といふ面では有益な本だと思ひます。ただ私のニーズとはちがってゐた、といふだけで。
ついでなんで、海舟ファンの私から香山さんに憎まれ口を一つ。「勝海舟に至っては口も人もなかなか悪かった」なんて常識ぢゃありませんか。それは幕末も維新後もかはりませんよ。德川家達(十六代)を「三位」と呼び捨てにしてゐたやうな人ですよ。そもそも人がわるくなければ、幕末のあの状況の中で薩長とわたりあって德川家と慶喜をまもりぬくことができるわけありませんよ。海舟の魅力はその人のわるさにもあるんですよ。
といふわけで、わるい本ぢゃないのに「だまされたー」といふ氣になってしまった微妙な買ひ物でした。

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なんでも反對すればいいといふものではない

ひさしぶりに朝日新聞「聲」欄いぢりです。
今日の朝刊にのった「良心的脱走も逮捕するのか」といふ投書。投稿者は「作家 立花 薫(東京都江東区 37)」。

(引用ここから)
 日米両政府は、米側が脱走兵と認定した米兵について、すべて日本側に通知することで基本合意した(5日朝刊)。その結果、(中略)(脱走兵について)都道府県の警察に逮捕要請されることになった。
 (中略)すべての脱走米兵が犯罪行為を行うとは限らないだろう。そうした検討は必要なかったのだろうか。
 在日米軍基地から戦場に送りこまれる米兵が、自らの死傷を恐れ、または他者を殺傷することを嫌って実行する良心的脱走と呼ぶべき内容の脱走もありうる。そのようなケースでも日本の警察は脱走米兵を全力で捜索・逮捕するのだろうか。
 日本国憲法の前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、生存する権利を確認する」とある。今回の合意はこの憲法の精神に反しているのではないかと心配する。
(引用ここまで)

書く方も書く方ならのせる方ものせる方だとしか言ひやうがありませんね。
第一に、今囘の合意は日本側がアメリカ側に、治安維持、犯罪の防止のために要請したことであり、それに對して米側が協力をする(脱走兵情報を提供する)といふものです。米側が日本側に脱走兵の搜索・逮捕の協力を要請するためのものではありません。であるから、脱走兵の情報の通知があったからといって、「日本の警察は脱走米兵を全力で搜索・逮捕する」義務はありません。
第二に、米兵の脱走は日本の國法には違反しないでせうが、アメリカの國法には當然違反します。ですから、日本の「犯罪行為を行」ってゐない米兵を逮捕した場合、米軍に引き渡すだけです。條約・協定にもとづいて駐留してゐる友好國、いや同盟國にその程度の好意的配慮をしめすことがそんなにわるいことでせうか。そもそも米側が脱走兵を、犯罪行爲をおこなひさうなのとおこなひさうにないのとに恣意的にわけて、犯罪行爲をおこなひさうなのにかぎり通知したりすれば、そのはうがよほど問題でせう。
第三に、良心的脱走云々といふことがそもそもをかしい。ベトナム戰爭の當時ならまだわかります。支持するしないは別として。當時の米軍は徴兵制でしたから。でも、いまの米軍は志願制です。軍に志願したといふことは「自らの死傷」の危險性があることを了解したうへで、ことによっては「他者を殺傷」することを任務としておこなふことがありうる職をみづから選び取ったといふことにほかなりません。にもかかわらず「自らの死傷を恐れ、または他者を殺傷することを嫌って」の脱走を「良心的脱走」の名のもとに容認するのなら、世の中はどうなってしまひますか。警察官が凶器をもって暴れてゐる犯人から「自らの死傷を恐れ」てにげても「良心的脱走」なので非難されるべきではないといふことになってしまひます。あるいは、消防士が「自らの死傷を恐れ」て、救助をもとめる人を見捨ててにげても、「良心的脱走」なのでしかたがない、といふことになってしまひます。
なほ、日本国憲法前文の當該箇所を段落ごと原文で引用すると、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」となってゐます。前半部分の省略はともかく、「平和のうちに」をわざとはぶいてゐますね。これがあるとないとでは受ける印象が隨分ちがってきます。段落前半と合はせて讀めば、これはわが國が世界平和のために努力をすることをうたってゐることはあきらかです。決して「自らの死傷を恐れ」て職場放棄をすることを推奬してゐるわけではありません。
要するにこの投書は米軍憎し、政府憎し、米軍と政府のやることはなんでも反對、とにもかくにも米軍は日本から出て行け、と言ひたいにすぎません。
ところで小生、失禮ながら立花薫さんといふ作家を存じあげませんでした。檢索してみたら、ライトノベルを中心に二十册ぐらゐ著書のある方なんですね。いや、たいしたものです。で、その檢索で、以前「聲」欄にのったこの方のアレゲな投書がいくつかヒットしました。やっぱりもともとさういふ方なんですね。

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チベット問題は相對化できない

唐沢(盜用)俊一さんと村崎百郞さんが「社会派くんがゆく!」最新號でチベット問題を語ってゐます
「一応どっちにも正義がある」なんてむちゃくちゃですね。よしんば村崎、唐沢(盜用)兩氏の言ってゐるとほりダライ・ラマが「宗教的な独裁者」であれ、「あの貧乏な国でポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大であれ、「坊主どもがホントにイバりくさって」ゐるのであれ、そのどこがいけないんですか。チベット人が中共・人民解放軍にダライ・ラマを排除してくれ、とたのんだとでもいふのですか。
ダライ・ラマが獨裁者であった、といふのは一面本當でせう。なにしろ觀音菩薩の轉生です。議會をつくって民主的に、なんてことはやらなかったでせう。でも、チベット人はその獨裁を受け入れてゐたのではありませんか。ダライ・ラマの獨裁のもとでこそチベット人はしあはせだったのではありませんか。ダライ・ラマは獨裁者であったとしても專制支配者ではなかったと思ひますよ。
「ポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大なのだって、チベットの人民はみづからがまづしくても寺院に喜捨する方を望んだのではありませんか。人民がいやがるのにもかかはらず無理に取り上げたのではないと思ふのですが。あなた方は貧者の一燈を受け取ったお釋迦樣も非難するつもりですか。貧しいチベット人から食糧などを無理に取り上げたのは中共の方でせう。
「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした者たちの拷問・処刑法が」いかに殘酷であったとしても、それが他者がチベットを制壓していい理由にはなりません。「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした」ってことは、いはば國家機密を盜み出さうとしたことに等しいでせう。それに制裁がくはへられること自體はおかしなはなしではありません。その制裁がきはめて殘酷であったといふことは今日の民主主義・人權主義からははづれるかもしれませんが、當時のチベット宗敎王國は民主主義を標榜してゐるわけではありませんし、それどころか民主主義に價値を見出してはゐないはずです。それを殘酷だからケシカランといふのは民主主義眞理敎徒のかんがへかたです。あるいは現代のものさしで過去をはかるものです。いや、西洋のものさしでチベットをはかる、と言った方が適切でせうか。そもそも唐沢(盜用)さん、あなたが讀んだのは小説でせう。まさか小説に書いてあることが100%事實だと思ってゐないでせうね。
この二人が言ってゐることはチベット問題を相對化することにほかなりません。「一応どっちにも正義がある」なんてとんでもないことです。この問題に關しては中共には一片の正義もありません。チベットが100%の正義ではないからといっても、このやうな言説には五分の理もありません。
この對談が「鬼畜」を標榜しておこなはれてゐることは存じてゐます。でも「鬼畜」といふのはスタンスの問題であって、事實をまげることや、ためにする言説を許容することではないと思ひます。
あなたがた二人は、新聞でいへば社會面や文化面の人間です。政治面、經濟面、國際面について語る資格はありません。それらを語るには知識も見識も敎養も決定的に缺けてゐます。惡いことは言ひませんから、自らの手にあまることはおやめなさい。

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春の嵐

文字どほり春の嵐、でしたね。昨日は。通勤のとき、傘がとばされさうでした。まるで台風でした。
そのためでせう。今朝、うちから驛までのあひだに、こはれてすてられたビニール傘を8本も見かけました。いかにすさまじかったか、といふのがよくわかります。

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姓と名字の混同

5日(土曜日)付けの朝日新聞夕刊「Be evening」内のコラム「はみ出し歴史ファイル」。筆者は「歴史研究家・野呂肖生」。『豊臣秀吉 「天下人」の自負』といふサブタイトルの記事より。

(引用ここから)
秀吉は、猿や日吉といわれた幼少のころから、出世に応じて名を変えた。木下藤吉郎から羽柴秀吉、次いで信長の後継者を自認して平秀吉。さらに藤原秀吉として関白と太政大臣、最後は天皇から豊臣の姓を賜った。
(引用ここまで)

この人、姓(氏)と名字を混同してゐますね。
秀吉は名字は
なし(おそらく)→木下→羽柴
と變へてゐるのであり、
姓は
なし(おそらく)→平→藤原→豐臣
と變へてゐるのです。
また、姓を平としたのは信長在世中からだし、太政大臣になったのは豐臣姓を賜ったのちです。だから「藤原秀吉として關白と太政大臣」といふのもまちがひ。平姓を稱したのも信長の後繼者を自認したためではなく、單に主君にあやかった(まねをした)だけでせう。信長が生きてゐるうちから「後繼者を自認して」ゐたら、それこそ謀反人です。
なほ、念のために言っておきますが、姓と名字は並存するものです。晩年の秀吉は姓は豐臣、名字は羽柴、であったとかんがへるのが妥當でせう。仰々しく言ふと「羽柴太閤豐臣秀吉」(はしばたいかうとよとみのひでよし)ってな感じでせうか。
一般の人ならば仕方ありませんが、歴史研究家を稱する人が姓と名字の區別がつかないといふのはお粗末にすぎます。

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まともな日本語がつかへないのはどっちだ

今日の朝日新聞夕刊の記事。例の脱走米兵がタクシー運轉手を刺し殺した事件に關連しての「脱走米兵の通報を検討 高村外相」といふ記事。(asahi.comにもあった。こちらは“「脱走米兵の通報、日米合意目指す」高村外相表明”といふタイトル。)

> 脱走兵はすべからく連絡してもらう仕組みを作りたい。

なんだよ、「すべからく連絡してもらう仕組み」って。これ、高村外相が語ったとほりのことばなのだらうか。だとしたら高村氏は日本の大臣なのに日本語がろくにできない、といふことになる。
あるいは外相は別の言ひかたをしたのを記者がこのやうにまとめたのだらうか。だとしたらこの記者、デスクおよび校閲擔當者は新聞記者なのに日本語がろくにできない、といふことになる。まあ、新聞記者の日本語がオソマツなのはいまに始まったことぢゃないけど。週に1囘ぐらゐは「檄(ゲキと書いてあることが多い)を飛ばす」を「活を入れる」とか「激勵する」のツモリで使ってゐるのを目にするからなあ。
まあなんにしろ「大学入試に強い朝日新聞」を信じた受驗生が漢文で減點されないことをいのるばかりだ。

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顯微鏡を買ってしまった

まあ、衝動買ひみたいなもの。きっかけはGizmode Japanのこの記事
別に精子を見たいわけぢゃないが、「え、1200倍の顯微鏡が5千圓程度で買へちゃふの?」とおどろいたのだ。精子以外のものを見たってかまはんだらうし。
しかし、AmazonをみたらGizmode Japanの威力か、在庫切れ、再入荷豫定なし。ぢゃあ、と思ってAmazon内を檢索してみたら、いくつか顯微鏡が見つかった。そのなかで目をつけたのがこれ。やはり1200倍で、解剖用具までついてゐるし。これを書いてゐる時點ではショップ出品の3,950圓になってゐるけど、私が見たときにはAmazon自身の販賣で3,380圓、在庫1點あり、だった。だもんでつい註文してしまったのだ。
いや、特になにか見ようと思ってゐるものがあるわけぢゃないけど、子どものころ、顯微鏡とかってあこがれたでせう?そんなわけで私の内なる少年(あるいは男の子)があたまをもたげてしまったのですよ。
なんかわくわくするなあ。去年、「大人の科学マガジン Vol.17 」(テルミン)を買ったときもわくわくしたけど。ちなみにこのテルミン、チープながらもちゃんと演奏できますよ。わたしも何分か練習したら、「荒城の月」ぐらゐは(多少の音はずれはあるものの)演奏できるやうになりました。
文科系人間の私ではあるけど、やっぱり男の子は科學だ!です。

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なんだか悲しいなあ

高島俊男先生の『天下之記者―「奇人」山田一郎とその時代』を買った。東京大學を卒業して文學士になり、東京專門學校(いまの早稻田大學)の創立に參畫し、「政治の早稻田」をつくりながら、竒人としての生涯をまったうした男。東大の同級生たちはみな出世し、高給取りになり、お屋敷に住んで女中や書生を大勢かかへるやうになってゐるのに、家もなく、全國を放浪してフリーの記者として一生を終へた、東大卒で一番出世しなかった男の哀しき一代記だ。なほ、ここでいふ東京大學とは新制の東京大學ではもちろんない。東京大學になるまへの東京帝國大學になるまへの帝國大學になるまへの東京大學だ。あまり知られてゐないが、この學校は明治10年4月から明治19年3月まで「東京大學」といふ名前だったのだ。
いまこの本をぢっくり讀んでゐるひまはちょっとないのだけれど、それでも氣になるのでパラパラとめくってゐると、いろいろおもしろいことが書いてある。たとへば「文學士」について。これはもちろん山田一郞が文學部を卒業したためだが、いまの「文學士」(平成3年7月1日以降授與分は「學士(文學)」のごとくになってゐるさうだが)とは相當ちがふ。當時の文學部は事實上政治經濟學部であった、といふやうなことが書いてある。
また、學士の地位の高さも今とはくらべものにならない。なにしろ明治30年まで日本には大學はひとつしかなかったのだし、またその規摸も「東京大學」の時代は寺子屋に毛がはえた程度の大きさでしかない。そんなところを卒業した人といふのはまさにエリート中のエリートだったのだ。
さて、はなしはかはるが、私は以前からディプロマミル(ディグリーミル)に關心をもってゐる。え、ディプロマミルなんて聞いたことない?「UNIVERSITY DIPLOMA」なんて件名の英文SPAMがとどいたことありません?あれがさうです。ひとことで言ふとカネで學位(らしきもの)を賣るインチキ大學のことです。
そんなわけで「学歴汚染(ディプロマミル・ディグリーミル=米国型学位商法による被害、弊害)」といふブログをいつも讀んでゐるのだが、その最新エントリ「大学教授の博士号取得率とPh.D取得率の違いの意味:東大経済学部vs中京大学経済学部」を讀んでちょっと考へてしまった。これ、つきつめて言へばハーバード大學やスタンフォード大學をはじめ、合衆國などの一流大學のPh.Dにくらべれば、東大だらうが京大だらうが國内の大學の博士號は二流、といふことになってしまふ。
私は大學敎育とかアカデミズムとかとはかかはりのない人間なので、それが正しいのかどうかはわからない。しかし、東大の敎員の多くが國内の大學の博士號ではなく、海外のPh.Dをもってゐる、といふのは事實だらう。だとすると、東大の博士號取得者であってももはやエリート中のエリートとは呼びがたい、といふことになってしまふ。明治前期の學士にくらべて國内博士號の價値の薄さよ。海外のPh.Dよりはるかにおとるやうに言はれてしまふなんて、なんか悲しいなあ。

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ちかごろ感動したこと三題

その1 チベットの騷亂・虐殺事件に關聯して

チベットの騷亂で、多くの僧侶や一般市民が中共政府の手によって虐殺されてゐるとの報道に接して、たいへん胸が痛みます。非武裝・丸腰の人びとが、軍隊や武裝警察によって一方的に殺されてゐるのですね。悲しみと怒りで胸がいっぱいです。
民主主義者でも人權主義者でもなく、かつ憲法9條改正原則贊成派である反平和的で暴力的で野蠻な私でさへこんなにもこの事態を憂慮してゐるのですから、民主的で人權意識にあふれる反戰平和團體のかたがたの怒りはいかばかりでせうか。反戰平和なみなさんがどうおっしゃってゐるのか、ちょっと見てみませう。

9条ピースウォーク
ピースウォーク
不戦のネットワーク
ピースウォーク金沢
平和を望む東大生の会
ストップ!「報復」戦争・市民の会

あれ?どこもチベット問題にふれてゐませんね。なぜ?
あ、さうか。あまりの悲しみ、怒りに我を忘れるほどに興奮して、とても聲明文など書けるやうな精神状態ぢゃないんですね、きっと。さうとしか考へられませんよね。
いやあ、かくも深き反戰平和の思ひ。感動いたしました。決して反戰平和を言ひ立てる相手を日本と合衆國に限定してゐる、なんてことぢゃありませんよね。


その2 福岡縣田川郡香春町立勾金中學校の問題について

たうたう逮捕者が出たやうですけど、そんな惡辣非道な生徒でも放校にできないんですね。なんといっても子どもの權利は大切ですもんね。義務敎育を受ける權利の前には校長や敎頭が心勞でたふれたり、ほかの生徒が受ける迷惑なんかはものの數ではないんですよね。
やっぱり人權とか民主主義って、大事なんですね。人權主義者でも民主主義者でもない私にはよく理解できないんですけど、さういふもんなんですね。
國民はすべて平等ですから、そんな彼らとて義務敎育である中學校を卒業することができるんでせう、きっと。授業にも出ないでいつ業を卒(を)へたのかよくわかりませんけど。
ほんと、民主主義とか人權とかって偉大ですね。感動いたしました。
はなしはかはりますが、ソビエト社會主義共和國聯邦とか、朝鮮民主主義人民共和國といふ國がかつて存在しました。あるいは現に存在してゐます。一部の「民主派」なかたがたによると、日本よりも民主的な國ださうです。そのためでせうか、非民主主義者の私はこの兩國の體制が大きらひです。かういった國に生まれなかったことを天に感謝してゐます。そんな私でも、かういふ國にある、あるいはあったといはれる矯正勞働キャンプなるものの存在がすこーしだけうらやましく思へてしまふことがあります。なぜなんでせうね。


その3 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の改正運動について

最近の世の中のうごきの中でもっとも感動したのがこの問題です。この記事とか