といっても野村で投資に手を出して大損こいた、とかいふはなしではありません。わたしはそもそも投資や投機が大嫌ひなので、最初っから手は出しません。
ではなぜこんなことを言ってゐるのかといふと、一昨日の朝日新聞be on Saturdayの「フロントランナー」といふ記事が原因。取り上げられたのが「野村ホールディングス社長兼CEO 渡辺 賢一さん(57歳)」。b1面トップの書き出しにかうある。
過去にしがみつくのが嫌い。上司にも顧客にもこびない。そんな生き方を貫いてきたゆえか、通称「ナベケン」が発する言葉には力が宿る。
「温故知新なんてウソ。昨日の続きで今日を考えない。今日の続きで明日も考えない。世の中は常に変化しているから」
アホですか。あんた、「溫故知新」って、古いことさへほじくってさへゐれば新しいことに對處できるって意味だと思ってんの?最近の一般的な解釋でさへ、古い物事をしらべて、そこから新しい智識や見解をひきだすこと、とされてゐるんですよ。しかも本來の意味は、一方では古い物事を硏究し、他方では新しい智識も得る、といふことです。原文は「溫故而知新、可以爲師矣」。古いことも新しいことも知って、初めて人の師となれる、といふ意味です。論語爲政篇にある言葉です。意味もわからずよく「ウソ」だなんて言へますね。
そもそも「野村ホールディングス社長兼CEO」がどんなにエラいのかは知らないけど、一介の凡夫に過ぎません。それがどうして中華の長い歷史においてさへ事實上ただ一人の聖人とされてゐる孔子を、そんなに簡單に否定できるんですか。思ひ上がるのもいい加減にしなさい。
だいたい過去を、歷史を學ばずして、どうして將來を、未來を見通すことができませうか。いまの大不況のきっかけであるサブプライムローン問題にしても、リーマン・ショックにしても、日本のバブル崩潰といふ歷史に、米國が學ばなかったがゆゑではありませんか。
「世の中は常に変化している」。そのとほりです。その變化の流れを知るためにも歷史は輕視できないはずです。なんのために歷史敎育があると思ってゐるのですか。
こんな輕佻浮薄な輩がトップにゐるグループを、わたしは到底信用することができません。きっと、遲かれ早かれ歷史に學ばなかったがゆゑの失敗を繰り返すことになるでせう。
ついでに言ふと、b3面に載ってゐたインタビューもひどいものだった。曰く
一緒に世界を回ったギリシャ人が4年前になくなって。当時、外国人社員には社章を渡してなかったんですが、奥さんから生前に欲しがっていたと聞いてね。部下に「なくしたことにして始末書を書け」と言って、手に入れた社章をひつぎに入れてあげました。
なんで部下に「なくしたことにしろ」と言ふんですか。自分がなくした、と言って、自分で始末書を書けばよいではありませんか。もう、この一點だけで私はこの人を信用できません。これを美談のやうに書く記者もどうかしてゐると思ひますけどね。
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