カテゴリー「経済・政治・国際」の記事

果たし合ひに出かける侍

の氣持ちださうです。はい、例の石原愼太郎元東京都知事の記者會見ですね。
それで肝腎の内容はといふと、「知らない」「わからない」の連發。そのうへ「私一人といふよりも行政全體の責任」「いまの混亂は豐洲移轉を止めてゐる小池現知事の責任」ださうです。たしか移轉決定當時は自分のリーダーシップで決定したやうなことをおっしゃってゐたやうに思ふのですが。つまりは「手柄はすべて俺のもの」「責任はすべて他人のもの」といふことですかね。
いやー、立派な侍ぶりですね。ここはひとつ、平田弘史先生にしかっていただきたい。
平田弘史先生の劇畫に出てくる侍ならば「それがしが任命した役人が進め、それがしが認可した案件。なんの申し開きやうもござらん。すべてはそれがしの責任でござる。この腹をかっさばいてお詫び申し上げる。」とか言って、切腹して果てる場面だと思ひますね。
侍の氣風のかけらもない人に侍を稱してほしくはありませんね。

もうなにがなにやら

稀代の惡法といふべき東京都靑少年健全育成條例改正案が昨日、可決されてしまひました。この條例改正を推進した人たちは日本をどうしたいのでせうね。北鮮や中共のやうに、言論・表現をお上が隨意に取り締まれるやうな社會にするのが究極の理想なのでせうかね。私が心から誇りとする日本の言論の自由、表現の自由をぶちこはし、さらには世界をリードする日本の漫畫文化を衰頽させようと考へてゐるのかもしれません。この條例改正を推進した人たちは全員、惡質な反日勢力であると斷定せざるを得ません。
さて、その反日勢力の親玉である石原慎太郎都知事は條例改正の成立に際して「あたりまへだあたりまへ。日本人の良識だよ。」と發言したとか。といふことは、石原氏から見れば、この條例に反對する人は良識のない人、といふことになりますね。つまり、ごく一部だけをあげますが、里中満智子、ちばてつや、藤子不二雄A、萩尾望都、西岸良平、こうの史代といった日本を代表する漫畫家はそろひもそろって良識のない人たちなんでせうね。こうの史代さんは文化廳メディア藝術祭マンガ部門大賞を受賞してゐますから、そんな人に賞をあたへる文化廳は良識のない官廳といふことになってしまひさうです。
ちばてつやさんは文部科學大臣賞を受賞してゐますから、文化廳どころかその上級官廳である文部科學省そのものが良識のない官廳なのでせう。
いえ、それどころではありません。ちばさん、西岸良平さんは紫綬襃章を受賞してゐますし、藤子不二雄Aさんは旭日小綬章に敍勳されてゐます。內閣府賞勳局も良識のない官廳といふことになりませうか。
ちなみに襃章も敍勳も天皇の國事行爲です。といふことは、石原氏は閒接的に天皇陛下も良識がないと言ってゐることになってしまひさうです。やっぱり反日勢力……。
なほ、この條例改正に反對を表明してゐるのは個人だけではありません。たとへば日本辯護士聯合會や日本ペンクラブも反對聲明を出してゐます。日辯連もペンクラブも良識のない團體なんでせうね、きっと。それにしても石原氏も猪瀨直樹副知事も、その良識のない日本ペンクラブの會員なんですが、これはなぜなんでせうね。條例改正を「良識」と言ひ切るのなら、石原氏や猪瀨氏はなぜペンクラブを脱退しないのか。こんな良識のない連中と付き合ってゐても平氣なんでせうか。
そんでもって、ナンパした女を輪姦した擧句、崖から突き落として殺す「完全な遊戯」や、ナンパした女を睡眠藥で昏睡させて强姦(正確には準强姦か)し、處女だった女を發狂させてしまふ「処刑の部屋」なんて小說を書いた石原氏は良識があふれてゐるといふことなんでせうか。もうなにがなにやらわかりません。石原氏のいふ「良識」と私の知ってゐる「良識」とはまったく別物のやうです。

ふざけるな、連休地域ごと分散化案

かねてより話題?の春・秋の連休を地域ごとに分散化する案だが、朝日新聞東京本社版では、今日の1面に具體案がのってゐた。それによると粗忽亭の勤務地をふくむ南關東では、秋は10月第2週に5連休だと?(平成22年なら9日日曜日から13日水曜日)
ふざけんぢゃねえ。第2四半期決算の一番いそがしいときぢゃねえか。こんな時に連休でござい、と言はれても經理屋が休めるわけないだろう。
これは日本で一番企業が集中してゐる東京近郊の經理屋は大抵おなじことだぞ。日本の會社は三月決算が壓倒的に多いのだからな。
ただでさえ四半期決算制度の導入で、決算がをはったと思ったら次の決算になるみたいで經理屋はみんなひーひー言ってゐるのに、このうへさらに休めないやうにするつもりか。
それ以前にこの案では、複數の地域に事業所のある會社はなにかと混亂するぞ。まさにまともに民間ではたらいたことのないやつらの机上案だ。學者馬鹿に官僚馬鹿に政治家馬鹿。民主黨ブレインにはろくなのがゐない。なかでも福井秀夫政策硏究大學院大學敎授とか。長崎知事選や町田市長選で大敗したぐらゐぢゃ民主黨の目は覺めないらしい。參議院選で大敗して頭を冷やしてほしい。

今後、野村證劵グループは一切信用しない

といっても野村で投資に手を出して大損こいた、とかいふはなしではありません。わたしはそもそも投資や投機が大嫌ひなので、最初っから手は出しません。
ではなぜこんなことを言ってゐるのかといふと、一昨日の朝日新聞be on Saturdayの「フロントランナー」といふ記事が原因。取り上げられたのが「野村ホールディングス社長兼CEO 渡辺 賢一さん(57歳)」。b1面トップの書き出しにかうある。

 過去にしがみつくのが嫌い。上司にも顧客にもこびない。そんな生き方を貫いてきたゆえか、通称「ナベケン」が発する言葉には力が宿る。
 「温故知新なんてウソ。昨日の続きで今日を考えない。今日の続きで明日も考えない。世の中は常に変化しているから」

アホですか。あんた、「溫故知新」って、古いことさへほじくってさへゐれば新しいことに對處できるって意味だと思ってんの?最近の一般的な解釋でさへ、古い物事をしらべて、そこから新しい智識や見解をひきだすこと、とされてゐるんですよ。しかも本來の意味は、一方では古い物事を硏究し、他方では新しい智識も得る、といふことです。原文は「溫故而知新、可以爲師矣」。古いことも新しいことも知って、初めて人の師となれる、といふ意味です。論語爲政篇にある言葉です。意味もわからずよく「ウソ」だなんて言へますね。
そもそも「野村ホールディングス社長兼CEO」がどんなにエラいのかは知らないけど、一介の凡夫に過ぎません。それがどうして中華の長い歷史においてさへ事實上ただ一人の聖人とされてゐる孔子を、そんなに簡單に否定できるんですか。思ひ上がるのもいい加減にしなさい。
だいたい過去を、歷史を學ばずして、どうして將來を、未來を見通すことができませうか。いまの大不況のきっかけであるサブプライムローン問題にしても、リーマン・ショックにしても、日本のバブル崩潰といふ歷史に、米國が學ばなかったがゆゑではありませんか。
「世の中は常に変化している」。そのとほりです。その變化の流れを知るためにも歷史は輕視できないはずです。なんのために歷史敎育があると思ってゐるのですか。
こんな輕佻浮薄な輩がトップにゐるグループを、わたしは到底信用することができません。きっと、遲かれ早かれ歷史に學ばなかったがゆゑの失敗を繰り返すことになるでせう。
ついでに言ふと、b3面に載ってゐたインタビューもひどいものだった。曰く

一緒に世界を回ったギリシャ人が4年前になくなって。当時、外国人社員には社章を渡してなかったんですが、奥さんから生前に欲しがっていたと聞いてね。部下に「なくしたことにして始末書を書け」と言って、手に入れた社章をひつぎに入れてあげました。

なんで部下に「なくしたことにしろ」と言ふんですか。自分がなくした、と言って、自分で始末書を書けばよいではありませんか。もう、この一點だけで私はこの人を信用できません。これを美談のやうに書く記者もどうかしてゐると思ひますけどね。

トヨタの危機

ほんの一昨年、販賣臺數で世界一になり、近年中に年間一千萬臺を目指す、とこの世の春を謳歌してゐたトヨタがエライことになってゐますな。
リーマン・ショックにつづく不況で販賣臺數がガタ落ちしたと思ったら、アメリカでの大量リコール問題。つづいてあらたな看板商品となったプリウスでもブレーキの不具合が發覺。しかも對應が後手にまはってゐる。といふより、內向きの對應が目立つ。
アメリカでのリコールもなかなか不具合を認めようとせずに、追ひ込まれたやうにリコールを發表してずいぶん評判を落としたが、プリウス問題でも「感覺の問題」と言ひ譯をして不興を買ってゐる。
さらには豐田章男社長がなかなか會見に出てこず、これまたいまごろになってやっと、引っ張り出されたかのごとく會見した。創業家出身の「殿樣」を守りたかったのかねえ。これこそ內向きの發想だよね。といふより、就任の際、「逆風下だから、創業家出身者を社長にして求心力を云々」とか言ってゐたやうな氣がしますが、その考へそのものが內向きに思へてなりません。どうして創業家出身者が社長になったら求心力が出るのか、わたしにはさっぱり理解できない。一連の不具合の對應の遲れとかも、さういふところの延長線上にあるやうな氣がする。
往々にして、なにかがピークを極めてゐるときは、すでに沒落が始まってゐるといはれる。
トヨタも一昨年の販賣臺數世界一をピークにこのまま坂道を轉げ落ちかねないのぢゃないか、とそんな不安を感じる。そしてそれはそのまま日本經濟の凋落のひきがねにもなりかねないのではないか。
これが杞憂であることを心から祈る。

さすがは產經新聞

今回の總選擧結果について、產經新聞の公式twitterが

産経新聞が初めて下野なう

でも、民主党さんの思うとおりにはさせないぜ。これからが、産経新聞の真価を発揮するところ。

と書いたことが話題になってゐますね。さすがは產經新聞さん、みづから自民黨の機關紙であることを公言したわけですね。
まあ、後者の發言だけなら

これまで同様に客観的な事実に基づき、中立的な立場に立った上で、公正な報道をするよう、さらなる努力をしていきます。

といふ意味だった、と强辯もできませうが、前者は自分たちがずっと政權與黨の一部であった、と斷言してゐるわけですからね。(あれ、細川・羽田內閣のときは……)
それにしても「自由民主」とか「しんぶん赤旗」のやうな政黨自身發行の機關紙ではなく、營利紙でありながら政黨の機關紙でもあるって、產經新聞社內は明治時代がつづいてゐるんですかね。

ところでボーガスニュースで知ったのだけど、產經新聞は都議選のあとで「なぜ自民は慘敗したのか 政治部長・乾正人」といふ論說を發表してゐるんですね。それによると、都議選で自民黨が敗北したのは

安倍晋三、福田康夫、麻生の3代にわたる首相が靖国神社参拝に踏み切れなかったことを最も大きな理由として挙げたい

とのことです。
さうか、黨首が靖國神社に參拜すれば選擧に勝てるのか。さすがは產經新聞、わたしなどのとてもおよぶところではない獨創的な見解をお持ちのやうです。

心配したとほりになってきた

所謂兒童ポルノ禁止法の改正案が衆議院で審議されてゐますね。その審議の中でこんなやり取りがあったさうですよ(リンク先參照)。
「10年前、20年前、30年前とかに製造・販売されて手元にあるものを、そんなものをみんな調べるんですか?」と問いただした枝野議員に、法案提出者である自民党の葉梨康弘議員は、こう答弁した。
「児童ポルノかも分からないなという意識のあるものについては、やはり廃棄をしていただくのが当たり前だと思います」

ださうです。
つまり、かの宮沢りえさんの「Santa Fe」だって持ってゐるだけで犯罪になってしまふ可能性があるといふことです。
みなさん、「Santa Fe」ですよ、「Santa Fe」。あの一大社會現象になった、150萬部が賣れた「Santa Fe」ですよ。日本中いたるところにありふれてゐるあの「Santa Fe」ですよ。アイドル好きのあなたも、寫眞好きのあなたも、ブームにはとりあへず乘るミーハーのあなたも持ってゐるんぢゃありませんか。もう18年もまへに出た本ですから、買ったには買ったけど、どこにしまひこんだかわからなくなってゐる、といふかたも多いと思ひます。
そんなみなさんもこの改正案が通ったら、1年以内にさがし出して捨てないと「兒童ポルノ所持者」といふ忌まはしい汚名のもと、逮捕されてしまふかもしれないのですよ。
わたしは以前のエントリーで、たとへば「カメラ毎日」のバックナンバーを持ってゐるだけでも逮捕されかねない、と書きました。それが現實化してしまひかねないのですよ。
いや、さすがにわたしも「Santa Fe」まで違法になるとは思ひませんでした。現實はわたしの心配を上回ってしまひさうです。
法案提出者である自民黨の葉梨康弘議員は
廃棄までに1年の猶予があり、有名なものなら政府が(違法になるかどうかを)調べるとも述べた
さうですが、調査對象になるものなんてごく一部でせう。それこそ「Santa Fe」だとか、篠山紀信さんの「少女神話」だとか。むかしアラーキーが大量に少女寫眞を撮ってゐたことがありましたね。あれなんかどうなるんでせうね。「Santa Fe」がだめなら、沢渡朔さんの「少女アリス」なんて絶對だめでせうね。藝術だって言っても認めてくれないでせう。
澁澤龍彦先生愛藏の古寫眞「交叉する少女」(でしたっけ)なんかまちがいなくアウトでせうね。さういへば、むかし澁澤龍彦展でカタログがはりに賣ってゐた季刊みづゑ編輯部「澁澤龍彦をもとめて」にこの寫眞、收録されてゐたやうな氣が。こんな本、どこに行ったかわからないよ。この改正案が通ったら、わたしも「Santa Fe」御所持の皆樣方や白田秀彰先生ともども犯罪者の仲間入りですね。とほほほほ。

韓國の子どもがちょっとかはいさうになった

「痛いニュース」にあった記事
まあ、領土係爭中の地を自國のものだって敎へるのはわかる。といふか、そのへんはわが國ももっと見習ふべきだと思ふ。
だけど、その際にはちゃんと相手側の主張・根據も紹介して、そのうへで自國の主張の方の正當性・優位性を強調するのが正しいやり方だらう。これを讀むかぎりでは、どうも日本側の主張・根據はまったくふれられてゐないみたいだ。歴史的經緯なんかも敎へてゐないのだらう。
しかも
「ドクトに攻めて来る国は日本」
なんてことまで敎へてゐるんだね。日本人ならだれ一人信じないうそを。良くも惡くも、日本は紛爭解決手段としての武力の發動を憲法で放棄してゐるのに。當然そんなことはおくびにも出さず、日本はいまでも帝國主義國家だ、なんて敎へてゐるんだらうね。
一番あきれるのが
「国際裁判」の寸劇でも、日本は完全に主張が退けられ、悔しがると言う場面まで生徒が演じました。
のくだり。日本は國際司法裁判所に付託しようと再々言ってゐるのに、それを拒否してゐるのは韓國の方だ。そんな寸劇をやらせるぐらゐなら、とっとと「国際裁判」とやらに應じて、日本を悔しがらせればいいぢゃないか。勝負から逃げておいて、「まあ、たたかったら俺が勝つけどな。」と言っているわけだ。それとも、「相手が勝負から逃げてゐる。」とか大噓を言ってゐるのだらうか。
くりかへすが、領土係爭中の地を自國のものだと敎へるのはよい。だが、それは、あくまで事實に基づいて、そのうへで自國の主張の正當性を敎へるべきものだ。はじめから偏頗なうそを敎へて、國際的に通用しない人間をつくることではない。
こんな敎育をされてゐる韓國の子どもがちょっとかはいさうになった。

コンビニの營業時間規制はスケープゴートだ

コンビニエンスストアの深夜營業を規制しようといふうごきが急なやうです。京都市をはじめ、多くの自治體が檢討してゐるとか。
これに對して日本フランチャイズチェーン協會は、當然のことながら反對してゐます。
その論據は
・深夜營業をやめて、その間照明を落としても冷藏庫は動かしてゐるので、あまり節電にはならない。
・おもに深夜におこなってゐる配送を晝間にかへなければならない。晝間は道がこんでゐるから、配送效率がおち、CO2排出量がふえる。
・よって深夜營業をやめてもCO2排出量は4%程度、日本全體の排出量の0.009%程度しかへらない。それにひきかへ、かうむる經濟的損失は多大である。
といふことのやうだ。
この問題、わたしにはコンビニ側に理があるやうに思へる。
上にかかげた數字はコンビニ側の試算なので、いくつかの前提條件がみづからに都合のよいものになってゐるであらうとは想像するが、それでもそ營業時間を24時間から、7時~23時にしたからといって、CO2排出量が劇的にへる、などといふことはありえない。4%が正しいかどうかはともかく、1割もへらないであらうといふことは想像できる。
それに、法律乃至條令等で營業時間をしばるのは、營業の自由ををかす行爲だらう。
といふと、いまでも風俗營業は24時から日の出までの營業を禁止されてゐる、といふ人がゐるかもしれない。しかし、風俗營業は各都道府縣公安委員會の許可がなければ營業できない業種だ。もとより公共の安寧および風紀において、おもしろからざる業種とされてゐるのだ。それと同一視はできない。
そもそもコンビニ營業時間規制を檢討してゐる人たちは、エラい人たちばかりのはずだ。自分が深夜に買ひ物をする必要がない人たちばかりだらう。だが、世の中はかういふ人たちばかりでできてゐるのではない。殘業で歸宅がしばしば23時を過ぎる人、深夜勞働の人だっていくらでもゐる。夕食はほかで食べるとか、23時前に辨當を買ふとかでもいいだらうが、翌朝の朝食用にパンと牛乳を買ひたい、などといふニーズにはこたへえない。牛乳なんか、仕事先で夜に買ったら、翌朝にはいたんでしまふだらう。
かういふ社會構造、勞働環境をそのままにしてコンビニを強制的に23時なりなんなりにしめさせるのは筋違ひではなからうか。
だいたい24時間營業をしてゐる業種はコンビニだけではない。それなのになぜコンビニだけが槍玉にあがるのか。埼玉縣は「夜型ライフスタイルを變革する象徴的な位置づけになる」と言ってゐるさうだ。さう、象徴的!な意味合ひなのだ。
われわれはCO2削減のためにいろいろがんばってゐます、ほら、このとほりコンビニの規制をやりました、と言ひたひだけなのだ。コンビニはそのためのスケープゴートなのだ。コンビニよりはるかに無駄と思へる、ファミリーレストランなどの24時間營業はそのままにして、コンビニに目をつけたのは「目立ちやすいから」「わかりやすいから」といっただけの理由なのだ。そのためにどのやうな不利益が出るか、こまる人がどれくらゐゐるか、なんてことは二の次、といふより、ほとんど考へもしてゐないのだらう。
いまでも深夜に需要のすくないコンビニは23時にしめてゐる。それでいいではないか。需要のあるものを無理にしめさせる必要はない。
補足すると、コンビニのフランチャイズ契約は、營業時間について7時~23時または24時間とし、24時間營業の店にはインセンティブが出るやうになってゐるのが一般的のはずだ。とすれば、そのインセンティブの廢止乃至は縮小、さらには營業時間の自由化をうながせばよいのではないだらうか。たとへば近所にスーパーマーケットのある店の中には、むしろ晝間の需要の方がすくない、といふところもあるのではないか。さういふところは日中、閉店することを認めればよい。さうすれば經濟原則にしたがつて「無駄な」營業時間はけづられるはずだ。

兒童ポルノ法の永六輔

痛いニュース(ノ∀`)」で知ったのだが、法政大學社會學部の白田秀彰准敎授(一橋大學法學博士[註1])が、私は兒童ポルノに該當するものを單純所持してゐる、兒童ポルノの單純所持が違法化された曉には 、他の誰を摘發するよりも先に私を逮捕しろ、と宣言してゐる。
くはしくは直接リンク先を讀んでほしいが、ごく簡單にまとめると、つぎの趣旨のやうだ。
・2001年第三刷發行の荒木經惟さんの寫眞集を古本屋で購入した。
・これには10歳未滿とおぼしき兒童の性器付近が鮮明に描寫されてゐる。
・これは法學者である自分から見て、避けようがなく「兒童ポルノ」に該當する。
・ゆゑに兒童ポルノの單純所持が違法化されたら、私を逮捕せよ。
白田准敎授がこのやうな行動に出たのは「2001年まで何の問題がなかった本を、そのまま保持しているだけで、いつの間にかその本が違法品となり、なんら違法なところのなかった所有者が、いつの間にか容疑者になるカフカの『変身』的不条理について、立法者や法執行関係者と議論してみたい」ためとのこと。
粗忽亭も以前、かつて本屋で普通に賣ってゐた、まったく合法であった書籍・雜誌がいきなり違法になってしまふおそろしさについて書いたが、白田准敎授がうったへやうとしてゐるのは同樣のことのやうだ。
それはそれとして、この白田准敎授の「俺を逮捕せよ」といふ宣言を讀んで、粗忽亭は永六輔さんを思ひ出してしまった。
かつて、計量法によって、尺貫法の使用は刑事罰をもって禁止されたことがあった。それを遺憾とした永さんは、みづから曲尺鯨尺を密造密賣して、それを公言し、みづからの逮捕をうったへるなどの運動をおこなった。しかし警察・檢察は永さんを逮捕しえず、結果、尺貫法の使用が默認されるにいたった(リンク先參照)。白田准敎授の方法論はこれと同じといえよう。
永さんと白田准敎授とでは、法の成立(施行)の前後との差異はあるが、白田准敎授のこの作戰、はたして永さんなみに功を奏すであらうか。
なほ、リンクした白田准敎授の宣言文、後半は單純所持違法化の問題點だけではなく、性表現・猥褻表現規制の問題點等にもふみこんでをり、たいへんよみごたへがある。白田准敎授の主張には粗忽亭はことごとく贊成だ。粗忽亭がいままで文章化し得なかったことを、みごとにまとめてゐる。さすがに學者として、文章(論文)を書く訓練を受けただけのことはあると、心より感心した次第だ。

(附記)
「痛いニュース(ノ∀`)」にある、2ちゃんねるでのコメントを見ると、『こいつが変態なのは良くわかった』『これは反権力を気取った真性ロリの捨て身戦法だな』『自分の性癖正当化しようとしてるんだぜ』『とどのつまり単なるロリコン野郎だろw』『ロリが息巻いてるだけじゃねーか。』『ただの変態ロリコン野郎だろ』『いつなんの目的でそれ買ったんだよオッサン』などといふのがたくさんあってあきれる。白田准教授は『私はこの本を、一連の問題の当事者となるために古書店で入手した。』『その10歳未満と見られる児童の裸体写真を見たとき、もう40歳になる私の意識に浮かんだ言葉は「親の顔が見たい」というものだった。』と書いてゐるのだが。ソースもろくに讀まずにコメントつけてゐるんですね。

[註1]1998年の取得なら「博士(法學)」とかぢゃないかと思ふのだが、本人の履歴書に「法学博士」とあるので、とりあへずさう書いておく。

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