カテゴリー「学問・資格」の記事

ツンデレももはや學術研究對象

土曜ことばの会」といふ言語學研究會があるさうです。詳細はリンク先を。
その次囘(10月11日)の發表會では「役割語としてのツンデレ表現―役割表現研究の可能性―」 といふ發表がおこなはれるとのこと。ツンデレももはや立派な學術研究對象なんですね。發表者は粗忽亭の大學漫研の先輩です。なほ、

第2弾、「ツンデレ表現の待遇性」も執筆中です。

ださうです。
ちなみに、發表者は甲南女子大学文学部日本語日本文化学科の日本語學の教授ですので、岡田斗司夫さんの「オタク文化論」なんかとは相當毛色のちがふものだと思ひます。多分。

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姓と名字の混同

5日(土曜日)付けの朝日新聞夕刊「Be evening」内のコラム「はみ出し歴史ファイル」。筆者は「歴史研究家・野呂肖生」。『豊臣秀吉 「天下人」の自負』といふサブタイトルの記事より。

(引用ここから)
秀吉は、猿や日吉といわれた幼少のころから、出世に応じて名を変えた。木下藤吉郎から羽柴秀吉、次いで信長の後継者を自認して平秀吉。さらに藤原秀吉として関白と太政大臣、最後は天皇から豊臣の姓を賜った。
(引用ここまで)

この人、姓(氏)と名字を混同してゐますね。
秀吉は名字は
なし(おそらく)→木下→羽柴
と變へてゐるのであり、
姓は
なし(おそらく)→平→藤原→豐臣
と變へてゐるのです。
また、姓を平としたのは信長在世中からだし、太政大臣になったのは豐臣姓を賜ったのちです。だから「藤原秀吉として關白と太政大臣」といふのもまちがひ。平姓を稱したのも信長の後繼者を自認したためではなく、單に主君にあやかった(まねをした)だけでせう。信長が生きてゐるうちから「後繼者を自認して」ゐたら、それこそ謀反人です。
なほ、念のために言っておきますが、姓と名字は並存するものです。晩年の秀吉は姓は豐臣、名字は羽柴、であったとかんがへるのが妥當でせう。仰々しく言ふと「羽柴太閤豐臣秀吉」(はしばたいかうとよとみのひでよし)ってな感じでせうか。
一般の人ならば仕方ありませんが、歴史研究家を稱する人が姓と名字の區別がつかないといふのはお粗末にすぎます。

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なんだか悲しいなあ

高島俊男先生の『天下之記者―「奇人」山田一郎とその時代』を買った。東京大學を卒業して文學士になり、東京專門學校(いまの早稻田大學)の創立に參畫し、「政治の早稻田」をつくりながら、竒人としての生涯をまったうした男。東大の同級生たちはみな出世し、高給取りになり、お屋敷に住んで女中や書生を大勢かかへるやうになってゐるのに、家もなく、全國を放浪してフリーの記者として一生を終へた、東大卒で一番出世しなかった男の哀しき一代記だ。なほ、ここでいふ東京大學とは新制の東京大學ではもちろんない。東京大學になるまへの東京帝國大學になるまへの帝國大學になるまへの東京大學だ。あまり知られてゐないが、この學校は明治10年4月から明治19年3月まで「東京大學」といふ名前だったのだ。
いまこの本をぢっくり讀んでゐるひまはちょっとないのだけれど、それでも氣になるのでパラパラとめくってゐると、いろいろおもしろいことが書いてある。たとへば「文學士」について。これはもちろん山田一郞が文學部を卒業したためだが、いまの「文學士」(平成3年7月1日以降授與分は「學士(文學)」のごとくになってゐるさうだが)とは相當ちがふ。當時の文學部は事實上政治經濟學部であった、といふやうなことが書いてある。
また、學士の地位の高さも今とはくらべものにならない。なにしろ明治30年まで日本には大學はひとつしかなかったのだし、またその規摸も「東京大學」の時代は寺子屋に毛がはえた程度の大きさでしかない。そんなところを卒業した人といふのはまさにエリート中のエリートだったのだ。
さて、はなしはかはるが、私は以前からディプロマミル(ディグリーミル)に關心をもってゐる。え、ディプロマミルなんて聞いたことない?「UNIVERSITY DIPLOMA」なんて件名の英文SPAMがとどいたことありません?あれがさうです。ひとことで言ふとカネで學位(らしきもの)を賣るインチキ大學のことです。
そんなわけで「学歴汚染(ディプロマミル・ディグリーミル=米国型学位商法による被害、弊害)」といふブログをいつも讀んでゐるのだが、その最新エントリ「大学教授の博士号取得率とPh.D取得率の違いの意味:東大経済学部vs中京大学経済学部」を讀んでちょっと考へてしまった。これ、つきつめて言へばハーバード大學やスタンフォード大學をはじめ、合衆國などの一流大學のPh.Dにくらべれば、東大だらうが京大だらうが國内の大學の博士號は二流、といふことになってしまふ。
私は大學敎育とかアカデミズムとかとはかかはりのない人間なので、それが正しいのかどうかはわからない。しかし、東大の敎員の多くが國内の大學の博士號ではなく、海外のPh.Dをもってゐる、といふのは事實だらう。だとすると、東大の博士號取得者であってももはやエリート中のエリートとは呼びがたい、といふことになってしまふ。明治前期の學士にくらべて國内博士號の價値の薄さよ。海外のPh.Dよりはるかにおとるやうに言はれてしまふなんて、なんか悲しいなあ。

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