カテゴリー「ニュース」の記事

京都の日本料理店、ミシュラン掲載を拒否

asahi.comの記事より。
掲載を拒否、ってのは言葉のあやです。ミシュランが勝手に評價し、勝手にのせたって文句は言へんだらうし。つまり、「ミシュラン」にのせるための寫眞撮影を拒否してる、ってことです。
これ、思ふに紅白歌合戰とロックミュージシャンみたいなもんぢゃないかな。いまの紅白にどれぐらゐの權威があるのかは知らんけど、かつて視聽率70%とかとってたころの紅白は大變な權威があった。出演するのは一流人氣歌手の證明みたいなものだった。紅白に出るとギャラのランクがはねあがったらしい。特に演歌系の歌手なんかは、地方公演のギャラがドンとあがるので、紅白出演の有無はまさに死活問題だったらう。
しかし、たとへばロックミュージシャンとか、最初からテレビでの仕事をやってゐない、コンサートだって賣り興行でないミュージシャンは紅白に出るメリットは無いにひとしい。紅白のギャラ自體はたいした額ではないらしいし、それでゐてリハーサルなどに長時間拘束されて、自分の出番以外のアトラクションにも參加させられて、っていふんぢゃ、出たがらない人が多くても不思議はない。
この件はそれに似てゐる。
「ミシュラン」はそもそも旅先でのレストランガイド、といった性格のものだ。つまり、はじめて行っても安心な店を紹介してゐる。しかしここで對象にされた京都の日本料理店は、大抵が一見客おことはりだ。ガイドにのせてもらってもメリットはないし、問ひ合はせてくる一見客にいちいち對應しなければいけなくなるのなら、デメリットばかり、とさへいへるだらう。
元記事には料理研究家の服部幸應さんの

世界のグルメが和食を食べに日本に来る国際化の時代。観光都市・京都の名店がミシュランの評価をボイコットするなら残念な話だ

といふコメントものってゐるが、それよりある老舖店主の

フランスの調査員が、我々の文化や伝統を学んでいるとは思えない

といふ意見の方にわたしは共感する。
文化といふものは、本質的にローカルなものだ。よく「世界に通用する文化」などといふいはれ方をされるが、文化なんてものは世界に通用しなくてもよい。もちろん通用しても一向にかまはないが、そのために文化の方からすりよる必要はない。「たまたま」通用してしまったのなら、それもよし、といふ程度でよいのだ。
たとへば漢詩なんてものは、高島俊男先生によれば、日本人がいくら勉強したって四分の一もわかれば御の字ださうだ。それはさうだらう。最低でも支那語ができなければ、詩の音韻的なうつくしさは理解できないだらう。詩の背景には膨大な漢籍の教養もある。そしてなにより、支那人が支那語で支那人としての生活の中からつくるからこそ漢詩なのであって、たとへおなじ漢字を共有してゐるからといって、日本人がおいそれと支那人(の教養人)とおなじやうなものが作れるわけがない。
われわれの文化だってさうだ。フランス人に俳諧を、イギリス人に和歌を、アメリカ人に連歌を評價されたくはないだらう。
文化の方から「世界標準」にすりよるとどうなるか。われはれはすでに「柔よく剛を制する」はずの柔道が力まかせ(ゆゑに體重別)で、さらには一本をとるよりもこせこせとポイントをかせいだ方が有利なJUDOになってしまった例を知ってゐる。
「ミシュラン」にのせてもらへてありがたい、とか言って、「權威」にしっぽをふってゐるよりは、突っぱねてしまふ方がとにもかくにも京都らしい。
わたし個人としては、いちいち紹介が必要なところで飯を食ひたいとは思はないが、かういふ文化もあっていい。京都の料理店の矜持と見識をわたしは支持したい。

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韓國の子どもがちょっとかはいさうになった

「痛いニュース」にあった記事
まあ、領土係爭中の地を自國のものだって敎へるのはわかる。といふか、そのへんはわが國ももっと見習ふべきだと思ふ。
だけど、その際にはちゃんと相手側の主張・根據も紹介して、そのうへで自國の主張の方の正當性・優位性を強調するのが正しいやり方だらう。これを讀むかぎりでは、どうも日本側の主張・根據はまったくふれられてゐないみたいだ。歴史的經緯なんかも敎へてゐないのだらう。
しかも
「ドクトに攻めて来る国は日本」
なんてことまで敎へてゐるんだね。日本人ならだれ一人信じないうそを。良くも惡くも、日本は紛爭解決手段としての武力の發動を憲法で放棄してゐるのに。當然そんなことはおくびにも出さず、日本はいまでも帝國主義國家だ、なんて敎へてゐるんだらうね。
一番あきれるのが
「国際裁判」の寸劇でも、日本は完全に主張が退けられ、悔しがると言う場面まで生徒が演じました。
のくだり。日本は國際司法裁判所に付託しようと再々言ってゐるのに、それを拒否してゐるのは韓國の方だ。そんな寸劇をやらせるぐらゐなら、とっとと「国際裁判」とやらに應じて、日本を悔しがらせればいいぢゃないか。勝負から逃げておいて、「まあ、たたかったら俺が勝つけどな。」と言っているわけだ。それとも、「相手が勝負から逃げてゐる。」とか大噓を言ってゐるのだらうか。
くりかへすが、領土係爭中の地を自國のものだと敎へるのはよい。だが、それは、あくまで事實に基づいて、そのうへで自國の主張の正當性を敎へるべきものだ。はじめから偏頗なうそを敎へて、國際的に通用しない人間をつくることではない。
こんな敎育をされてゐる韓國の子どもがちょっとかはいさうになった。

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まづ隗より始めよ

文化廳の平成19年度「國語に關する世論調査」の結果の要點が發表されたといふので、各紙が記事にしてゐますね。
わたしが見た中では、全國紙では朝日、毎日、日本経済の各紙がことばの意味が、特に「檄を飛ばす」の意味が誤解されてゐる、といふか、本來とちがふ意味で使はれてゐることを取りあげてゐました(註1)。そのうち朝日毎日の記事をリンクしておきます(註2)。
で、まあ、讀んでいただければおわかりのとほり、兩紙ともエラさうに、といふか、他人事のやうに、といふかな書き方をしてゐるわけですが、これって、責任の半分ぐらゐは新聞にあるんぢゃありませんかね。新聞で「檄を飛ばす」(註3)を「本來と違ふ意味で」つかってゐるのを何度目にしたかわかりません。といふより、本來の意味でつかってゐるのを見た記憶がほとんどないんですが。
「憮然」にしてもしかり。これも本來の意味でつかはれてゐるのを見た記憶がありません。
まづ隗より始めよ、といひます。文化廳の調査結果をたれながしてしたり顏をしてゐる暇があるのなら、まづ新聞自身がことばの意味を正しく使ふやうにしてもらひたいものです。
まあ、「まづ隗より始めよ」も嚴密にいふなら、本來は「言ひ出したものからやれ」といふ意味ぢゃありませんけどね。

(註1)殘念ながら讀賣は手もとにありませんので、どうだったかわかりません。
(註2)日經のオンライン記事では、その部分は省略されてゐました。
(註3)「ゲキを飛ばす」と書いてゐることが多いやうです。多分「檄」が常用漢字ではないからでせうが、まさか「檄を飛ばす」ぢゃないから誤用ぢゃありません、と言ひぬけるためぢゃないでせうね。

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ちかごろ感動したこと三題

その1 チベットの騷亂・虐殺事件に關聯して

チベットの騷亂で、多くの僧侶や一般市民が中共政府の手によって虐殺されてゐるとの報道に接して、たいへん胸が痛みます。非武裝・丸腰の人びとが、軍隊や武裝警察によって一方的に殺されてゐるのですね。悲しみと怒りで胸がいっぱいです。
民主主義者でも人權主義者でもなく、かつ憲法9條改正原則贊成派である反平和的で暴力的で野蠻な私でさへこんなにもこの事態を憂慮してゐるのですから、民主的で人權意識にあふれる反戰平和團體のかたがたの怒りはいかばかりでせうか。反戰平和なみなさんがどうおっしゃってゐるのか、ちょっと見てみませう。

9条ピースウォーク
ピースウォーク
不戦のネットワーク
ピースウォーク金沢
平和を望む東大生の会
ストップ!「報復」戦争・市民の会

あれ?どこもチベット問題にふれてゐませんね。なぜ?
あ、さうか。あまりの悲しみ、怒りに我を忘れるほどに興奮して、とても聲明文など書けるやうな精神状態ぢゃないんですね、きっと。さうとしか考へられませんよね。
いやあ、かくも深き反戰平和の思ひ。感動いたしました。決して反戰平和を言ひ立てる相手を日本と合衆國に限定してゐる、なんてことぢゃありませんよね。


その2 福岡縣田川郡香春町立勾金中學校の問題について

たうたう逮捕者が出たやうですけど、そんな惡辣非道な生徒でも放校にできないんですね。なんといっても子どもの權利は大切ですもんね。義務敎育を受ける權利の前には校長や敎頭が心勞でたふれたり、ほかの生徒が受ける迷惑なんかはものの數ではないんですよね。
やっぱり人權とか民主主義って、大事なんですね。人權主義者でも民主主義者でもない私にはよく理解できないんですけど、さういふもんなんですね。
國民はすべて平等ですから、そんな彼らとて義務敎育である中學校を卒業することができるんでせう、きっと。授業にも出ないでいつ業を卒(を)へたのかよくわかりませんけど。
ほんと、民主主義とか人權とかって偉大ですね。感動いたしました。
はなしはかはりますが、ソビエト社會主義共和國聯邦とか、朝鮮民主主義人民共和國といふ國がかつて存在しました。あるいは現に存在してゐます。一部の「民主派」なかたがたによると、日本よりも民主的な國ださうです。そのためでせうか、非民主主義者の私はこの兩國の體制が大きらひです。かういった國に生まれなかったことを天に感謝してゐます。そんな私でも、かういふ國にある、あるいはあったといはれる矯正勞働キャンプなるものの存在がすこーしだけうらやましく思へてしまふことがあります。なぜなんでせうね。


その3 児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律の改正運動について

最近の世の中のうごきの中でもっとも感動したのがこの問題です。この記事とかこの記事とかでみなさん、御存じですよね。
彼らの人權意識の高さには感動の興奮をおさへきれません。私も性的虐待をふくむすべての兒童虐待には大反對ですから。
そのために16歳とか17歳の、女子なら結婚可能な年齡の“兒童”も小學生や幼穉園兒の兒童と同樣に保護しなければならないわけなんですね。なるほどなるほど。その人權意識の高さはさすがです。彼・彼女らも小學生・幼穉園兒同樣に行爲の意味も理解できないで、だまされて兒童ポルノを撮影されかねない、そしてそれが將來にわたって心の傷になりかねないといふことですね。
そればかりか『18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど』もだめと。具體的には『「子どもと見分けがつかないような、例えばセーラー服を着ているとか」といったもの』ださうです。18歳をこえてゐようが、20歳をこえてゐようが、セーラー服とかブルマとかを著て、ポルノな撮影に應じてしまふやうな人は兒童同樣に保護しなければいけないんですね。特に童顏だったり、貧乳だったりする人はさういふ格好をしてゐようがゐまいが兒童同樣に保護しなければいけないかもしれないわけですね。いやー、人權意識の低い私には思ひつきもしませんでした。
さらに『アニメ、漫画、ゲームソフトなどと、18歳以上の人が児童を演じるようなビデオなど』も「準兒童ポルノ」として違法化せよ、と。すばらしい。古來SFにはロボットが人間同樣に高度化したとき、その權利はどうなるのか、といふテーマで書かれた作品がいくつもありました。でもさすがのSF作家も繪にまで人權をみとめるべきかといふテーマには行きつきませんでした。この運動をおこなってゐるかたがたの人權意識の高さはSF作家の想像力などはるかに凌駕してゐたのですね。ふかく感動いたします。決して「現實と空想の區別がついてゐない」わけではありますまい。
そしてフェイクやフィクションなど「準兒童ポルノ」をふくめた廣義の兒童ポルノの單純所持も違法化すると。兒童の人權を侵害するケシカラヌ兒童ポルノ(準をふくむ)をボクメツするためには内心の自由などものの數ではないといふことですね。その人權意識の高さ、あらためて感動の渦であります。
さてみなさん、この運動がみのり、華氏451度的理想社會が到來すれば、われわれもこの法律にふれないやうに氣をつけなければなりません。
アダルトビデオを御所持の健康な若者のみなさん、モデルがセーラー服を著てゐるやうなケシカラヌものはまじってゐませんか。部屋のすみに積み上げたままになってゐるエロ雜誌のグラビアにセーラー服姿のモデルはゐませんか。
寫眞が趣味のおとうさん。むかし購讀してゐた「カメラ毎日」のバックナンバーは大丈夫ですか。沢渡朔さんや石川洋司さんが掲載されてゐましたよね。そんな號はのこってゐませんか。え、そんなふるい雜誌、段ボール箱に入れて納戸のおくに放り込んであるのでさがすのも大變?いえいえ、一人でさがすのは大變でも、おまはりさんが十人がかりとかでさがすと、あっといふ間に見つかってしまひますよ。
腐女子のみなさん、純情な高校生の主人公がちょっと危險な香りのする大學生にひかれていくうちに禁斷の仲になっていく、なんて漫畫をお持ちぢゃありませんか。兒童ポルノ法の對象に男女の別はないんですよ。氣をつけてくださいね。
ネットで山川純一さんの漫畫で大笑ひしてゐたみなさん、ハードディスクに保存してゐたりしないでせうね。たしか高校生が出てくる作品がいくつもありましたよね。五千いくらも出して「ウホッ!!いい男たち」を買ってしまったなんて論外ですよ。
やたらいろんな本や雜誌を買ひこんでは、すてられずにためこんでゐるみなさん。その數萬册の藏書の中になにがあるかもう把握してゐないでせう。ほんと、なにがあるかわかりませんよ。ある日突然おまはりさんにふみこまれたりしないやうに注意しませうね。
それもこれも兒童の人權保護のためなんですから、しやうがないんですよね、きっと。
さういへば日本弁護士連合会がこの問題に關する意見書を發表してゐます(あ、未來日付だ)。それによると日辯聯は、この方向での法改正に反對のやうです。弁護士法には「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」と書いてありますが、きっと日辯聯はこれに反した團體なんでせうね、日本ユニセフ協會さん、アグネス・チャンさん、マイクロソフトさん、ヤフーさん。人權主義者ではない私にはよくわからないのですけど。

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石原慎太郎の無責任發言

まづはこれを讀んでみてください。新銀行東京に關する、石原都知事の記者會見での發言です。
一言で言って、まるで他人事のやうな無責任かつ責任のがれの發言ですね。

(引用ここから)
 ――経営陣を任命したのは、知事はじめ都ですが。
 「これはしかし、要するに財界に諮ってですね、経団連のある重鎮から推挽(すい・ばん)を受けて、私たち、安心してこの方を引き受けたんですけどね。その人の能力を審査する、こっちはその知識も能力もありませんし。これはやっぱり日本を代表する経済界の推挽というものを私たち信用して、引き受けざるを得ないんじゃないですか」
(引用ここまで)

財界にはかってそのとほりに任命したのだから、俺には責任がない、といふことですか。そもそも財界が新銀行東京をつくってくれってたのんできたわけでもなければ、役員人事はまかせとけ、といったわけでもないでせう。銀行業界は都が銀行をつくることに反對してゐた。財界だってコワモテの東京都知事閣下からだれか推薦しろ、と言はれれば推薦せざるをえんでせう。だいたい「その知識も能力もありません」人(都)が銀行經營に乘り出さうとしたことがまちがひなのですから。

(引用ここから)
 「この銀行は旧経営陣によって、ちょっと常識から外れた運営がなされたんですね」
 「例えば、半年もつような会社だったら構わないから貸せというんだね。こういう指令を出して、貸出先の数をそろえることで何の営業の成績にもつながらないと思うんだけど。つまり、半年ぎりぎりもつような会社がお金借りたら、3カ月か4カ月延びても倒産するわけですよ。それが重なって、普通の銀行業務だったら考えられないことが行われたり、その他この他ありましてね」
(引用ここまで)

さうならざるをえない銀行をつくつたんぢゃないですか。既存の金融機關が貸してくれない會社をたすけるためにつくったんでせう。既存の金融機關が相手にしない會社ってのは、つまり經營状況のよくない、あぶない會社ですよ。はじめっから「ちょっと常識から外れた運営」をすることを目的につくった銀行と言っても過言ではない。
いや、構想の段階では「貸ししぶり」「貸しはがし」對策といふ側面があったのは承知してゐます。しかしそもそも「貸ししぶり」「貸しはがし」される會社といふのは、金融機關からみてリスクの高い會社にきまってゐます。しかも新銀行東京の設立までのあひだに既存金融機關に體力がもどってきて、從來「貸ししぶり」「貸しはがし」對象だった會社のうち、比較的マシだったところにも融資をするやうになった。さうなったら殘るのは本當にあぶないやうなところばかりにきまってゐます。
さういふところを相手にするのだから、金利も高くせざるをえません。しんぶん赤旗のサイトの記事なんでアレですが、リンク先によると利息制限法ぎりぎりだとか。すべてがそこまで高いかどうかは知りませんが、同行の貸出金利は相當高いといふウワサは結構ながれてゐました。
その結果、經營状況のよい會社はますます借りなくなる。同行は借り手をさがすのに必死だったみたいですよ。私の勤務先にも飛びこみ營業電話がかかってきましたし。
結論を言へば、銀行經營のノウハウもない素人が、特にリスクの高い層を相手にする銀行を公金をつかってつくること自身に無理があった、といふことです。どうかんがへても收益があがるわけがない。石原都知事は新銀行構想そのものがあやまりであったことをみとめて謝罪し、これ以上傷がひろがらないうちに淸算・撤退すべきだと思ひますね。

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徴兵制の次は徴農制かい

名門大學の政治經濟學部で學んだからといって、それだけでまったうな政治感覺や經濟感覺が身につくわけではないのは當然だが、そのまんま東知事、どんどん馬脚をあらはしていってゐるなあ。
たしか當選直後には談合は必要惡、なんてすごいことも言ってゐたけど、このたびは徴兵制發言。居酒屋で「若いやつはみんな軍隊に放りこみゃいいんだ。」とか管卷いてゐるオヤヂとレベルが同じですな。オヤヂの酒場談義ならそれでいいけど、いやしくも縣知事の發言としてはバカすぎ。とか言ふより、とりあへず「暴行罪で現行犯逮捕」「イメクラで未成年からサービスを受けたとの理由で事情聽取」「傷害罪で罰金」といふ華々しい經歴のかたに規律だの規範意識だのと言はれたくはないわなあ。
そもそも軍ってのは敎育施設ぢゃないし。規律だの規範意識だのを身につけさせるのは初等敎育の役割でせう。なんのために義務敎育制を敷いてゐると思ってゐるんだらうか。
東知事は自衞隊の規摸、といふものもわかってゐないのかもしれない。防衞白書平成18年度版によると、定員が陸海空あはせて251,582人、現員が240,812人ださうです。
たとへば20歳の國民を1年間だけ兵役につかせるとすると、どうなるか。日本の20歳人口は1,472,000人ださうだ。規律を身につけるために兵役につける、との發想だから、男女等しく徴兵する必要がありますね。病弱者等は免除せざるをえないだらうから、大きめに見積もって2割を免除としよう。それでも1,177,600人。これだけの人數をどこにどう配置するつもりなんでせう。そのための兵舍とか給料とか、財政負擔はどう考へてゐるんですかねえ。
それに現代の軍隊といふのは、兵器・戰略・戰術が高度化、專門化してゐて、せいぜい數年しか在籍しない徴兵の兵員にやらせるのは不合理・非效率だつたりもするのだが。
てなことを書かうかな、と思ってゐたら、今度は徴農制とか言ひ出したさうだ。それって、なんてプロレタリア文化大革命?なんてクメール・ルージュ?嗚呼。そのまんま東につける藥なしだなあ。

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日本・韓國・中華人民共和國・中華民國の漢字字體の統一

前項で“mixiニュースの「このニュースに關する日記を書いた人」ぢゃないんだから。”と書いたら、ふと思ひ出した。
數日まえ、mixiニュースで「日・韓・中・台が漢字の字体統一を決定、主体は繁体字に」といふ記事(提供元はRecord China)を讀んだ。趣旨は4箇國の學者が字形の統一をすすめていく、といふことのやうだ。まあ、學者が決めても、それぞれの國(政府)が採用するかどうかはわからないが、基本的には結構なこころみだと思ふ。もっとも、事實上漢字を放棄した韓國がどうしてかかはるのかはよくわからないが。
繁體字といふのはおもに中華民國で使はれてゐる字體のことだ。くはしくは知らないが、所謂康煕字典體と大きくはことならないのではないかと思ふ。それを主體にするのであれば、たいへん結構なことだ。ただし、漢字には多くの異字體がある。豫と預、國と圀、高と髙、島と嶋と嶌の類だ。かういふものを無理に統一することはさけてほしい。德川光圀を德川光國と書かれたら感じが出ないでせう?いや、圀ってのが武則天のワガママでつくられた文字だといふことは知ってますけどね。
なんでこの記事を思ひ出したのかといふと、そのときたまたま「このニュースに關する日記を書いた人」のトップにあがってゐたのが、相當事實誤認をしてゐさうな感想だったからだ。
それで思ひ立って、さきほど「このニュースに關する日記を書いた人」の一覽を見てみた。うわ、481件もある。ざっと見たところ、七・三で反對意見のはうが多い。そのなかで目についた意見のうち、いくつかについてコメントしてみたい。

・支那語、朝鮮語、日本語ではおなじ字でも意味がちがふ(例 手紙、愛人)から無意味だ。→「字」の意味は基本的にはちがはないと思ふが。勿論、微妙なづれは當然ある。でも、手紙とか愛人とかは、字の意味のちがひではなく、熟語の意味のちがひだ。ついでにいふと、ヨーロッパ諸語のあひだでもさういふ例は結構ある。たとへば英語のcenturyは世紀だが、フランス語のcenturieは百個のひとかたまり、ぐらゐの意味らしい(これがノストラダムスの「百詩篇集」が「諸世紀」と誤譯された原因)。また、英語のcanalは運河だが、イタリア語のcanaliは溝(英語ならchannel)だ(これが火星の運河、の誤解のもと)。

・それぞれの國の漢字はそれぞれの國の獨自文化だ。→せめて數百年かかつてそれぞれ獨自に發展したのならともかく、中華人民共和國の簡體字、日本の常用漢字の字體はそれぞれ數十年の歴史しかない。常用漢字のもとになった當用漢字などは大東亞戰爭敗戰のどさくさに國語改革派=漢字廢止勢力がきはめて短時間に、十分な檢討もせずに、クーデター的にさだめたものにすぎない。そのために「仮」をハンではなくてカと讀むとか、「芸」がウンであったりゲイであったりとか(ゲイは本來藝)、矛盾が大きい。

・繁體字を基本にされたら、書くのに手間がかかってかなはん。→手書き文字と、印刷體またはコンピューターのフォントは別物。たとへば「くに」は手書きのときはロとか、ロの中に點とかでも一向にかまはない。

・同じ漢字圈といえどもすでに個々の進化をとげだ別の言語だと思ってもいいでせう。→もともと支那語、朝鮮語、日本語はまったく別の言語だ。ただ表記に漢字をつかってゐる(ゐた)といふだけのはなし。たとへばベトナム語はかつては漢字で表記されたが、いまはローマ字で表記される。このやうに言語と表記(文字)といふのは、本質的に關係がない。もっとも漢字はまさに支那語を表記するために生まれた文字だから、これは密接な關係がある。なほ、日本語は現在にいたるまで類縁關係がまったく解明されてゐない、おそらくはまったく孤立した言語であって、支那語とはもとより、朝鮮語ともおそらく關係がない(勿論單語レベルでの影響は多々ある。しかし、現代日本語のなかに英語からの外來語が多いからといって、日本語と英語に類縁關係があるわけぢゃないのとおなじこと)。

・シナ・朝鮮への迎合だ。→飛躍のしすぎ。中共乃至朝鮮がうちにあはせろと要求したわけでもないし、繁體字がベースになるのなら、もっとも現行字體とかはるのは中華人民共和國だ。

・ちがふ言語で字體をそろへても意味がない。→有意性をいろいろあげるときりがないからやめるが、たとへば固有名詞だけでも表記が統一されればすばらしいことだと思ふ。東條英機を東條英机と書かれたくないでせう。

・これが本當にさうなってしまったら小學校で敎へるのは完璧な中國語になるわけだ。→だから言語と表記は關係がないって。それぢゃあ、大東亞戰爭敗戰以前の日本の言語は支那語なのか。

・エスペラントみたいに、繁體字のみを使って文法も單純にして新しい言語でも作ったらどうか。→支那語と英語は、類縁關係がないにもかかわらず、似てゐる點は結構多い。特に語順などはよく似てゐる。しかし、日本語と支那語には語順はもとより、似てゐる點はほとんど皆無といっていい。統一してあたらしい言語をつくるのは「絶對に」無理である。エスペラントはすぐれた言語だと思ふけれど、これもベースは印歐語であって、その他の言語は事實上無視されてゐる。

ああ、なんとなく書きはじめたら、やたら長くなってしまった。日本語についてのはなしをすると、ついアツくなってしまふなあ。いかんいかん。

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さすがにあきれた

なにがって、もちろん安倍首相の辭意表明。
(1)どうせやめるのなら、どうして參院選直後にやめなかったのか。
(2)なんのために内閣改造したのか。ほんの半月前のことではないか。この改造で入閣した大臣はいい面の皮だ。
(3)どうして所信表明演説の直後なのか。やめるつもりのやつが所信を表明するな。
(4)どうせやめるのなら、テロ對策特別措置法延長を衆議院再議決とかでむりやり通して、その責任をとってやめる、といふことにすれば格好もつくのに。あんたの爺さんが安保で似たことやってんだから、それにならったんだと思はれて自然なのに。
(5)長くみても、この半月のあひだに氣がかはった、といふことか。そんな無責任なやつが政治家やるな。とっとと議員も辭職しろ。
とまあ、あちこちで同じやうなことを書かれるだらうけど、儂も書かずにゐられなかったのよ。こんなやつが國政のトップにゐたのかと思ふと、本當になさけない。あー、やだやだ。

(おまけ)安倍首相の辭意表明にともなひ、つぎの總理は麻生氏か、との讀みで、まんだらけの株價がストっプ高になったさうだ。呵呵。

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ふたたびなにをさわいでいるのやら

ふたたび村上ファンド-阪神株関係のZAKZAKの記事
<上場が可能となった場合でも「選手が株式を買い集めて“モノ言う選手”となり、株主として『4番にしろ』『年俸を上げろ』『監督解任』などの提案をしてこないとも限らない」。>って。
とするとすべての上場会社は<「従業員が株式を買い集めて“モノ言う従業員”となり、株主として『部長にしろ』『給料を上げろ』『社長解任』などの提案をしてこないとも限らない」。>危険があるわけだね。
そんなことが現実的かどうか、ちょっと考えてみたらわかりそうなもんだが。
投資ファンドとかがからむと、みんなどうしてこう感情的になるのかね。あたしゃ貧乏人の一人として、村上某のような金持ちは大嫌いだが、もうちょっと冷静な言説はできんのかねえ。
第一、野球協約に球団の上場の規定がないのは、あきらかに協約の不備。球団を独立したビジネスではなく、企業の宣伝部門だとしか考えていないということがあきらか。
そもそもチーム名を「タイガース」とか「ドラゴンズ」とかよばずに「阪神」とか「中日」とかよんでいること自体が日本のプロ野球の一番の問題点だと私などはおもっているのだが。
メジャーリーグでは「ニンテンドー・マリナーズ」とか「スタインブレナー・ヤンキース」とかいったりしないし、ファンだってその球団の所有者(株主)がだれか、どの企業かなんて気にしていないだろうし。
球団株式が公開されてファンが株主になれるんなら文字どおり「俺の球団」になるんだから、わるいことばかりじゃないとおもうんだけどねえ。

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なにをさわいでいるのやら

村上ファンドが阪神電鉄株を大量取得したことに関するZAKZAKの記事。
投資ファンドが上場企業の株式を取得したって、それ、当然のはなしじゃないの。ホリエモンがニッポン放送株を取得したときは時間外取引をつかう、という裏わざみたいなことをやったわけだけど、今回はそういうのもなし。投資家がもうかりそうな株に投資してなにが悪いのかね。
第一、村上氏、まだタイガースはおろか、電鉄本体についてもどうこうしろとも言っていないじゃない。
こんなことでいちいち大騒ぎするのなら、株式上場をやめるか、いっそのこと資本主義をやめてしまったらどうかね。「士道不覚悟」ならぬ「資本主義不覚悟」だね。

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自民党、1議席を社民党に進呈

ライブがらみの記事をだいぶんサボってるんで、日付け順にはならないけど、生ものなので、総選挙の話題を。
今回は自民党が強い、強いといわれていたけど、ここまで圧勝するとは思わなかった。いや、筆者だけではなくて、当の自民党でさえも思っていなかったのだろう。
なにしろ比例区の北関東、南関東、東京各ブロックでは、捨て駒のような順位の候補まで当選している。それだけ小選挙区で勝ちまくった、ということだね。かつては民主党の金城湯池のように思われていた都市部で自民党が勝ちまくったのだな。
そのため、比例区東京ブロックでは、名簿搭載者が全員当選、という、すごいことになっている。このうち比例区での当選者は7名。
んー、ちょっと待てよ、ドント方式で計算すると……自民党の当選枠は8人になるじゃないか。比例区東京ブロックにもう1人候補者を立てていれば、もう1議席とれたわけだな。
かわりに1議席ひろったのは社民党。社民党は自民党に感謝しなければいけませんね、これは。

※自民党の得票数 2,665,417票
 社民党の得票数 300,782票
 2,665,417÷8=333,177.125
 ついでにいうと、民主党は1,962,225票で6人当選だが、
 1,962,225÷6=327,037.5
 で、自民党の「8人目」のほうが民主党の6人目より数値が上になる。

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追悼(一噌幸政さん)

今日の朝刊によると、一噌幸政さん(能楽一噌流笛方)が昨年12月29日になくなっていたそうだ。一噌幸弘さんのご父君である。つつしんでおくやみ申し上げます。

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UFJ銀行もと副頭取らは人間のくず

今日の朝日新聞朝刊によると、UFJ銀行のもと副頭取らが例の金融庁検査妨害に関して、同庁の調査に対して、「資料隠しは審査第5部の元次長が独断でやった」と口裏合わせをしていたのだそうだ。つまり、自分で命じておいて、責任を下のものになすりつけたのだ。こういうやつはまったくもって人間のくずだ。つまり、UFJ銀行は人間のくずが経営していた銀行だということだ。逆にいえば、くずほど昇進できるような体質の銀行だったということだ。ちなみにこのもと副頭取は三和銀行出身。三和銀行もバブルの頃は世界有数の大銀行でございます、とイバっていたものだが、その実、くずが経営するくず銀行だったというわけだ。バブル崩壊後、左前になったのは要は化けの皮がはがれた、ということだろう。
だいたいにおいて人の上に立つものは、本来下の者に責任のあることでもみずからの責任として引き受けるのが役目、というものだろう。一種のノーブレス・オブリージュともいえる。
昭和天皇は敗戦直後、昭和20年9月27日のマッカーサー元帥との会見で「敗戦に至った戦争の、いろいろの責任が追求されているが、責任はすべて私にある。文武百官は私の任命するところだから、彼等に責任はない。私の一身は、どうなろうと構わない。私はあなたにお委せする。この上は、どうか国民が生活に困らぬよう、連合国の援助をお願いしたい」(藤田尚徳「侍従長の回想」)とか「自分は今度の戦争に関して重大なる責任を感じている。従つて絞首刑も覚悟している……(中略)……自分の一身はどうなつてもよいから、どうか日本国民をこの上苦しめないで貰いたい」(橋本徹馬「天皇秘録」)とおっしゃったそうだ(黒田勝弘・畑好秀 編「昭和天皇語録」より孫引き)。これこそ人の上に立つものの態度であり、覚悟であろう。まあ、天皇といっても後醍醐天皇あたりは正中の変の責任をすべて臣下に押し付けたりしているが。
政治家も賄賂などが発覚するとすべて秘書のせいにする伝統がある。かつては「経済一流、政治三流」といわれていたのがバブル崩壊後、実は経済も三流だった、といわれるようになったが、この事件で政治・経済とも人間のくずが牛耳をとっているということがよりはっきりしてしまった。
そういえば三菱自動車、三菱ふそうのもとトップも裁判で責任のがれに終始しているが、部下からそれを否定する証言がでてきているなあ。
これが自分の国かと思うと心からなさけない。こういう心情をこそ愛国心、というのですぞ、妙な愛国心を強制しようとしている政治家たちよ。

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イラクの新人質事件で思ったこと

「元祖・イラクの人質」のいわゆる3バカは、まがりなりにも目的、というか理想、というか理念、というかを持っていた。それが正しいのかどうか、また仮に正しかったとしても、たとえば手段、時期等が適切だったのかには疑問の余地が大いにあるとしてもだ。
それにくらべて今回の香田さんはどうも目的がはっきりしない。何ゆえに4月よりも危険になったといわれるイラクにわざわざ行ったのか、さっぱり分からない。ありていに言えば、今回の方がよっぽど「悪質」なはずなのだ。
それにもかかわらず、「元祖」ほどの不快感がないのはなぜだろう。
「元祖」の方は、本人たち、というよりその家族や、支援者と称するいかにもプロ市民な人々が人質たちの非をまったく棚に上げる形で、居丈高に政府批判をしたり、自衛隊撤退を強要していた。それに対して香田さんは例のビデオで謝っていた。やっぱりこのあたりのちがいが印象に大きな差をあたえるのだろうな。
唐沢俊一氏が4月23日の日記に「何が悪いか。これは明らかである。 “態度が悪い”のである。」「人は結局のところ、正しさではなく、態度とか、ものの言い方とか、顔つきとか、そういうことで人を判断する。思想信条の異なるもの同士でも肩を組んで酒を飲むことは出来るが、態度の悪いもの、生意気なものとは席を同じくする気も起きないものなのである」と書いていたが、まさしくそれが証明された、ということだと思う。
「元祖」のときの3バカ批判を政府の言論操作であるかのごとく、また、「お上にたてつくものを許さない右傾化傾向」のごとく言っていた一部マスコミはそのあたりのことをきちんと考えなければいけない。だいたい根っからの(反体制とまでは言わないが)非体制派の筆者ですら「元祖」には大いな不快感を抱いたのだ。いくら自分たちが現体制が嫌いだからといって、何が何でも政府のせいにすればいいというものではない。自分(一部マスコミのこと)たちの方がよっぽど言論操作をしているのだということを自覚すべきだ。
それにしても反体制な人々って、辻元清美氏もそうだったが、どうしてこうも他人に厳しく、自分に甘いのだろうね。

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PTSD?

今朝の朝日新聞にちょっと面白い記事が載っていた(asahi.comにもあり)。「PTSD 半数は別症例」という記事だ。つまり、PTSDと診断されたもののうち、約半数が実はPTSD以外だった、ということだ。
その記事によると、そもそもショックから1ヶ月以内ではまだPTSDとは診断できないはずなのだそうだ。
あれー、イラク人質事件のとき、帰国早々にPTSDだ、という彼らの(支援弁護士の?)主張を垂れ流ししていたのはどこのどなたでしたかね。そのへんの自己批判、といって悪ければ自己検証はなしですか。
そういや「イラクの人を嫌いになれない」発言をストックホルム症候群で説明していたマスコミもあったな。ストックホルム症候群ってのは長期間にわたって監禁されていた場合に、人質が犯人に共感を寄せるようになることを言うはずなんですけど。
言論・報道機関としての矜持があるのなら、あんまりいい加減な言説を垂れ流さないで欲しいものだ。

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財界トップは人情のわからん馬鹿者だ

<奥田経団連会長>牛丼フィーバーにチクリ 「単純な国民だ」

 BSEの影響で、吉野家のほとんどの店で11日に牛丼販売が休止され、直前に客が「食べおさめ」の行列をつくったことについて、日本経団連の奥田碩会長は12日、記者会見で「(牛丼がなくても)死ぬわけでない。日本人は右から左へ早くふれやすい、単純な国民だと感じた」と、牛丼フィーバーをチクリと皮肉った。(毎日新聞)

上記はYahoo!ニュースで見かけた記事。奥田ナニガシは日頃からベースダウンだの政治献金斡旋の再開だの庶民の癇に障る発言ばかりしているが、これはひどいね。
そりゃ、あんあたみたいなカネモチは牛丼なんか食ったことないだろうけど、それ以上に、日頃慣れ親しんでいるものが姿を消す、というときの寂しさとか、愛惜感とか、そういう人情の機微もわからんのだろうか。
こんなやつが財界トップかつ外貨稼ぎ頭の大企業のトップだなんて、心の底からいやになる。人の心がわからんやつなんて、猿以下だ。粗忽亭日乗では、原則として政治・経済・社会問題は扱わないようにしているのだが、あまりに腹が立った、というより、情けなくなったので、今回は特に記す。

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