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大相撲はスポーツか文化か

明日、朝靑龍が橫綱審議委員會であやまることになったさうですね。なんでも高砂親方が朝靑龍があやまりたいと言ってゐる、と勝手に橫審に言って、その後、朝靑龍に連絡して了解をとった、とか。
變ですよね。本來なら、朝靑龍の方からあやまりたいからさういふ場所をつくってください、と言ふべきですよね。まあ本人は今でもあやまるやうな惡いことをしたとは思ってゐないんでせうね。現に日刊スポーツの記事では“最初は驚いて「えっ?」とか言っていたけど、”“戸惑いながらも「はい。分かりました」と返答した”とのことですから。
いまや橫綱といへば外國出身力士の指定席のやうになってしまってゐますが、ほんの十數年前までは外國出身橫綱といふのは歴代一人もゐなかった。小錦が橫綱になれずに、米紙にこれは人種差別のためだと言ったとか言はなかったとかで問題になったこともありました。
その前後のことだったと思ひますが、とある橫審の委員が、外人橫綱はいらない、橫綱の條件に「品格、力量が拔群であること」とあるが、外人力士にはふさはしい品格がそなはらない、などと發言したこともありました。
當時は隨分無茶なことを言ふなあ、と思ったものですが、今にして思へばこの發言、一理も二理もあったのだなあと思はざるをえません。
いまのわかい人たちはどう思ってゐるのかは知りませんが、筆者のやうな年寄は、やはり大相撲といふとただのスポーツではない、スポーツである以前に日本の文化だ、といふ感覺が自覺的にしろさうでないにしろあるやうに思ひます。實際、ふるくから宮中では相撲の節會がおこなはれ、いまでも天子樣の來臨を仰ぐことがあるのですから。日本人であれば子どものころからさういふことを見聞きしてきてをり、それゆゑ力士となる者も自然、品格といふことを意識したのではないかと思ひます。
それに對して外國出身力士は、さういふ原體驗がない。それゆゑ、入門後、あるいはその前にどんなに敎育を受けたとしても、歴史のある格鬪技、といふ程度の認識しか持てないのかもしれません。
もちろん、外國出身力士だからといって、絶對に橫綱にふさはしい品格がそなはらないとは言へないでせう。かつての高見山(現東關親方)のやうに、日本人以上に日本人らしいといはれた力士もゐました。逆に前田山のやうに、橫綱免許に「粗暴の振る舞ひこれありし時には自責仕る可く候」とただし書きをつけられた品格に少々疑問點のある橫綱もゐましたが。(この二人が師弟であるといふのは歴史のあやでせうか。)
さういふことを考へると、いまのやうに外國出身力士が多數をり、橫綱をはじめ上位陣の多くを外國出身力士で占めるやうになると、もはや日本文化としての大相撲は成り立たないのかもしれません。現在、大相撲はスポーツとしての側面と文化としての側面を兩立させようとしてゐるやうです。しかし、どだい、外國出身者を受け入れた上で日本文化であり續けるのは無理なのではないでせうか。
さうすると、純スポーツか、文化かのどちらかを選ばなければならないときが近づいてゐるのかもしれません。
純スポーツとするのなら、外國人の受け入れ制限も全廢する。力士の行動も法に反さないかぎり、とやかく言はない。割りの決定も、番付と成績の兩面から人爲的に決めてゐるのをあらため、機械的に決める。本割りでの同部屋對決もおこなふ。といふより、部屋制度そのものも見直さなければならないかもしれません。さらには日本相撲協會の非公益法人化も視野に入れなければならないでせう。
文化とするのなら、日本國籍保持者以外の入門を認めない。橫綱のみならず、力士の品格保持をやかましく言ふ。同部屋對決はおこなはない。云々。とせざるをえないでせう。もちろん相撲協會は公益法人のままで、入門時の敎習もいまより充實させる。
さてその場合、どちらの大相撲が魅力的でせうか。われわれはどちらの大相撲を見たいのでせうか。私は結論を出せずにゐます。

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日本シリーズ第5戰の繼投問題雜感

日本シリーズは大方の豫想どほり(?)、いきほひにまさるドラゴンズの日本一となりましたね。
で、なんですか。先發の山井大介投手が8囘まで完全試合だつたのに、9囘からリリーフエースの岩瀨仁紀投手にかへられたとか。岩瀨投手も三者凡退におさへて、繼投での完全試合といふことになったのださうですね。
この件について玉木正之さんがご自身のサイトで、つよく批判してゐるさうです。曰く「100年に1度あるかないかの凄い興奮の瞬間よりも53年ぶりの優勝を確実にしたかったというならナント小心な夢のない野球か!」
まあ、玉木さんならさういふでせうね。玉木さんはむかしから一貫して、勝敗にのみこだはる野球を批判してきた。野球がゲームである以上、勝敗は大事ではあるが、もっと大切なことがある、といふことだ。それは、プレーヤーの側からすればおもいっきり打ったり投げたり走ったりするダイナミズムであり、觀客の立場からすれば、みてゐてわくわくすること、血沸き肉踊る感覺、兩方あはせて一言でいふならば、野球本來の樂しみ、といふことだらうと粗忽亭は理解してゐる。
粗忽亭は玉木さんの文章については、そのユーモアセンスと、本人がそれをおもしろいと思ってゐるらしいことをのぞけばおほむね好きだ。今囘の件についても玉木さんの主張を支持する。そもそもヒット1本打たれてから、あるいはフォアボールを出してからかへてもおそくないではないか。1對0と、最小リードであった點は理解するが、いきなりホームラン打たれても同點になるだけ。しかも3勝1敗だったんだから、逆轉負けしてもまだ大丈夫。「Wシリーズでもたった1回の記録」と天秤にかけたら、そちらの方がはるかに重いと思ふけどねえ。
正之といへば、「燃えよドラゴンズ!」の山本正之さんはどう思ってゐるだらう。山本さん、落合ぎらいだからなあ。「日本一になったんやからサッサと辞めてほしい。」には完全同意ではないだらうか。
ところで、この件を報じた産經新聞(web)の記事タイトルは「あわや完全試合…中日・山井、非情の交代」(イザ!の記事Yahoo!ニュースの記事msn産經ニュースの記事)。完全試合しちゃいかんのかね。産經は記者もデスクもそろって日本語が不自由らしい。

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