カテゴリー「アニメ・コミック」の記事

ツンデレももはや學術研究對象

土曜ことばの会」といふ言語學研究會があるさうです。詳細はリンク先を。
その次囘(10月11日)の發表會では「役割語としてのツンデレ表現―役割表現研究の可能性―」 といふ發表がおこなはれるとのこと。ツンデレももはや立派な學術研究對象なんですね。發表者は粗忽亭の大學漫研の先輩です。なほ、

第2弾、「ツンデレ表現の待遇性」も執筆中です。

ださうです。
ちなみに、發表者は甲南女子大学文学部日本語日本文化学科の日本語學の教授ですので、岡田斗司夫さんの「オタク文化論」なんかとは相當毛色のちがふものだと思ひます。多分。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「カリ城」の破綻點

「たけくまメモ」に「パンダとポニョ」といふエントリがあがってゐます。なかなかの長文で、3回に分けてアップされてゐます。その(1)その(2)その(3)
で、その(2)で竹熊さんは

宮崎アニメについては昔から言われていることがふたつあって、それは「プロット(物語の組み立て)が破綻している」ということと「プロットの破綻が気にならないほど映像が素晴らしい」ということです。

と書いてゐます。
それに關連して、コメント掲示板の方で、さういふ破綻は「千と千尋」以降だ、いや、むかしからだ、「カリオストロ」はストーリー無茶苦茶だ、いやいや「カリオストロ」は、ストーリーはタイトなつくりだ、ストーリーは無茶苦茶ぢゃない、云々なんてやりとりがありました。
それでおどろいたのが、宮崎監督のファンの中には、「カリオストロ」のストーリーが破綻してゐないと思ふ人もゐるのだな、といふことです。
わたしはもうだいぶ前からアニメに對する、といふより、フィクション全般に對する興味がうすれてゐるので、宮崎監督の作品も「紅の豚」(これもテレビで見ただけ)を最後に見てゐないのですが、元おたくとして、「カリ城」は大好きな作品です。しかし、この作品に破綻がない、あるいはストーリーが無茶苦茶ぢゃない、といふ人が、少なくともファンの中にゐるとは思ってもゐませんでした。「カリ城」の偉大なところは、ストーリーの破綻などものともしないおもしろさにあると思ってゐたからです。
だってさうでせう。冒頭、ルパン一味は國營カジノから大量の現金を強奪しますが、それがゴート札だと氣づくと、惜しげもなく捨ててしまふ。これはルパンの、超一流の泥棒として、僞札などぬすんでよろこんでゐられるか、といふ矜持だと解釋できるでせう。(Wikipediaによると家訓らしい)
しかし、そのあと、つぎの仕事は決まったと言ってカリオストロ公國に潛入するわけですが、その「仕事」といふのがなんなのかさっぱりわからない。なにを目的に潛入したのか謎なんですね。泥棒が「仕事」といふ以上、なにかを盜むことが目的のはずなんですが。わたしの記憶では、それについて語られてゐる場面はなかったやうに思ひます。
でまあ、潛入に成功してみると、城内にたまたま不二子がすでにもぐりこんでゐる。これなんかご都合主義としか言ひやうがありません。
それで、カリオストロ公國内でのルパンの行動を見ても、なにひとつ本來の泥棒としての行動をとってゐるやうに見えないのです。いみじくもラストシーンでクラリスが、あの人はなにもぬすんでゐない、わたしのためにたたかってくれただけ、と言ふやうに。
そして、不二子がゴート札の原版を持ち出していくのを見ると、それに色氣を示してゐます。それって、冒頭で僞札をおしげもなくまきちらしたのと、どうかんがへても矛盾してゐます。
このほかにもこまかい矛盾點はいくつもあります。でも、それをこえて「カリ城」はおもしろい。何度見てもおもしろい。單純に爽快、痛快といふだけでなく、感動さへしてしまふ。「カリ城」の眞骨頂はここだとずっと思ってゐました。
くりかへしますが、わたしは「カリ城」が大好きです。現役のおたく時代には、何度もくりかへして見ました。だから、この作品をけなす氣もちなんてさらさらない。
でも、いや、それだからこそ思ふのです。この作品を「ちゃんとしたストーリー」といふのは、ひいきの引き倒しではないかと。むしろ、さういふ矛盾點すら超越した傑作なのだと、素直に解釋すればよいのではないでせうか。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

なんでこんなところに萌え繪が

とびっくりしたオハナシ。
昨日、音や金時に「KAO'S! 絶品アコースティック」といふライブを聽きにいきました。高橋香織、鬼怒無月、渡辺等、仙波淸彦といふソノスヂでは知られたメンバーです。
今日書かうと思ってゐるのはライブのはなしぢゃありません。メモはとってあるんで、時間ができれば書きたくはあるのだけど。
なんのはなしかといふと、當日くばられたチラシのはなし。音や金時のスケジュールが二つ折りにされ、そこに數枚のチラシがはさまれてゐました。で、丁度二つ折りのスケジュールからはみだしてゐる部分になぜか萌え繪が。な、なんでだ。さういふのとはほど遠さうなメンバーのライブなのに。鬼怒さんは漫畫好きだけど、萌えアニメファンぢゃないだらうに。と思ってひっぱり出して見たら、“『BAMBOO BLADE O.S.T』CD発売記念ライブ☆仙夜一夜☆”のチラシでした。
このアニメの音樂を仙波さんが擔當してゐるらしい。しかも、高橋さんも參加してゐるらしい。MCによるとO.S.T.の1st(先の繪がジャケット)は仙波さんが曲を書いたのだが、たくさん書いてつかれたので、2nd(3月26日發賣豫定らしい)は高橋さんにほとんど丸投げした、とか。それにしても仙波さんがアニメの(それもかういふ繪柄の)音樂をやってゐるとは、考へもしませなんだ。しかしこの作品、劍道アニメらしいので、邦樂囃子仙波流家元の仙波師匠にふさはしいのかもしれません。
さういや鬼怒さんも「狼と香辛料」の音樂に參加していますね(過去には「BRIGADOON まりんとメラン」にも)。意外にアニメ音樂關係者率の高いライブでした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「ヤッターマン」のリメイクについて

私は山本正之さんのファンだが、「ヤッターマン」をふくむタイムボカンシリーズはほとんど觀てゐないし、それゆゑ、特に思ひ入れもない。以下はそれをふまへてお讀みください。

リメイク版「ヤッターマン」の詳細が發表されるにつれて、ネットではいろいろと反撥もひろがってゐるやうです。特にオープニング・エンディングの主題歌についての反撥が。
先に發表されたエンディングについては、mihimaru GTとかいふユニットが唄ふさうです。私はこのユニットについて、まったく知らない(この發表ではじめて知った名前です)ので、なんとも言ひやうがありません。でも、いっくらなんでも「切ないラブ・バラード」ってのは場違ひぢゃないか、といふ氣はしますけどね。
オープニングは舊作の「ヤッターマンの歌」を世良公則と野村義男のユニット「音屋吉右衛門」が歌ふさうです。
で、ネットでは惡評だらけ。要は「なんで山本正之が唄はないんだ」といふことのやうなんですけどね。
エンディングについては上に書いたとほり、場違ひなものになりさうな危惧は私も持ってゐます。しかし、オープニングについては別にいいんぢゃないかな、といふ氣がするんですがねえ。山本さんが唄はなくても。
タイムボカンシリーズのオープニング・エンディングは「いただきマンボ」をのぞいて山本さんの作曲だが、ほかの人が歌ってゐるものも多い。エンディングはもとよりオープニングだけとっても「ゼンダマンの歌」「ヤットデタマンの歌」は山本正之本人が唄ってゐない。さういふのと同じだ、と考へればいいだけだと思ふんだけどなあ。
結局かういふ人たちは、なんでもかんでももとのままがいい、といふことなんでせう。でもそれぢゃあリメイクする意味がない。再放送しときゃいい、といふことになるんぢゃないでせうか。個人的にはオープニングが「ヤッターマンの歌」のままで(本當は新曲を書いてほしかったけど)、BGMも山本さんがやって、三惡の聲優も舊のまま、といふだけで上出來だと思ひますけど。
某所で「ネットを少しでも見れば確実に売れる方法がこれだけ書いてあるのに。」と書いてゐた人がゐたけど、それは「舊作のファンで、いまでもアニメを、すなはちヤッターマンの新作を觀てくれる人がよろこぶ方法」にすぎないのぢゃないか、といふ氣がします。舊作ファンを取り込みつつ、新しい視聽者も開拓するためにはいろいろ工夫をこらすのはあたりまへの努力だと私は思ひます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吾妻ひでおと「萌え」

吾妻ひでお先生が、「萌えの元祖」と言われることについて、「うつうつひでお日記」や「リュウ」誌で「俺は萌えなどという気持ち悪い言葉は知らん」という趣旨の発言をしていることが一部で話題になっているようだ(粗忽亭は「リュウ」誌は未読)。それについて少々考察を。(以下敬称略)
まず、「萌え」ということばが一般化したのは、1990年代であり、吾妻ひでおが純文学シリーズ等々を描いたり、「シベール」を作ったりしていたころにはなかったことばである、という点には留意する必要があろう。それゆえ吾妻が「俺は知らん」というのは当然といえば当然だ。当時、吾妻の描く美少女などをあらわすことばとしては「ロリコン」といのが一般的だった。この「ロリコン」というのは、本来のlolita complexとは少々意味あいがちがう、と思ったほうがいい。美少女―特に二次元のそれ―をめでる気もち、ぐらいにとらえておくのが妥当だろう。一説によると、lolita complexは英語だが、ロリコンは和製英語だ、ともいう。とすればanimationとアニメのちがい、変態と(その頭文字から発生した)エッチと(英語化した)hentaiのちがいのようなものかもしれない。
話がずれたが、そもそも吾妻ひでおの美少女キャラクターと現今の「萌え」キャラとは大きなちがいがあるように思う。それは「媚び」があるかどうかではないだろうか。
「萌え」キャラは作中の男性キャラに対して、また、読者(である男性)に対して、意識的か無意識かは別にしても「媚び」の要素が濃厚に感じられる。はやりのツンデレにしても、「ツンツン」の部分は「デレデレ」を引き立てるための要素、といってもいいのではないか。
それに対して吾妻美少女キャラは基本的に「媚び」がない。ミャアちゃん(猫山美亜)などはその典型だ。ななこだって、気弱でやさしいだけであって、媚びているわけではない。「やけくそ黙示録」の阿素湖素子などは潜入した学校で、教師からお前には男への媚びがない、と明確に指摘されている。
これは還元すれば、「萌え」キャラ系の作品は一般的にいって男性が主で女性が従、という構造なのに対して、吾妻作品は基本的に女性が中心であり、男性キャラはそれにふりまわされる役割だ、ということにもなる。「ななこSOS」あたりはそのへんの配分が微妙だが(ただし私は、この作品においてもななこという「状況」に周囲がふりまわされているのだと思うが)、「スクラップ学園」、「やけくそ天使」、「贋作ひでお八犬伝」、「みだれモコ」等においては、確実に女性キャラクターが世界の中心の位置を占めている。
そういうことを考えあわせれば、吾妻ひでおを「萌えの元祖」と位置づけるのは、やはりまちがっている、というべきではないかと私は思うのだ。
それでは吾妻が現在の「萌え」に無関係かというと、そんなことはない。吾妻ひでおがいなければ現在の「萌え」はなかった、というのはいいすぎかもしれないが、少なくともいまの「萌え」とは随分ちがったものになっていたであろうと思うし、あるいはこの状況は10年遅れていたかもしれない。
結局吾妻ひでおは「萌えの元祖」ではなく、「萌えの源流(のひとつ)」に位置づけるべきなのではないだろうか。どんな大河も源流は小川であったり湧き水であったりする。だがそれは大河そのものではない。その源流にそのほかの源流が合わさり、雨がくわわったりして大河になるのだ。
「萌え」な作品を描いている人には直接・間接に吾妻ひでおの影響を受けている人は多いと思う。そんなわけで、吾妻ひでおは「萌えの源流の(主要な)ひとつ)」というのがもっとも正確なのではないか、と私はかんがえるのだ。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

6月7日 手塚治虫文化賞贈呈式

東京會舘でひらかれた手塚治虫文化賞の贈呈式に行ってきた。なぜ筆者が、というと、同賞は候補作選定の段階で一般読者からの推薦を募集しており、大賞受賞作の推薦者から2名が贈呈式に招待される。これに当籤した、というわけだ。なんたる僥倖。一生分の運を使い果たしてしまったかもしれない。
式は17時30分からだが、案内状には17時15分までにこい、となっている。勿論、仕事が終わってからではまにあわない。よってこの日は年休。午後半休でもよかったのだが、へたに出ていって、帰れなくなると困るので、思い切って一日休んでしまう。
夕方まで時間があるので、買い物(本やらCDやら)とか、その他所用をおこないたかったのだが、未明に目がさめてしまい、当日乗に長文のコメントを書いたりしていたため、次に起きたのが中途半端な時刻になってしまい、断念。
早めに家を出たので、16時50分ごろについてしまった。
案内状にあるとおり、受付で封筒をわたすと、中身(招待状など)ごと回収されてしまう。名前をチェックしたら返してくれると思っていたのだが。しまった、中身を抜いて渡すのだった、と後悔。でも、後で聞くと、中身は返してもらった人もいるらしい。担当者によってまちまちだった模様。
資料などをもらう。資料は式次第、受賞作発表時の記事のコピー、選考経過や選評、過去の受賞作などが書かれた小冊子、それにピンバッジ。このピンバッジは毎年デザインがかわるのだそうで、これを楽しみに贈呈式に出席している人も多いらしい。今年は手塚治虫とアトムが肩を組んでいる図。
小冊子にあった選評を、「失踪日記」の部分のみ転載しておく。発表時に新聞に出ていたものもあるが、のっていないのもあるので、ファンには興味もあろうかと思うので。

 吾妻ひでおにしか描けない世界。画風が子ども向けなのに、中身は重い。このアンバランスが吾妻の特長だったが、この作品でそれを極限的に示した。(荒俣 宏氏評)

 ギャグ・マンガ家の宿命ともいえる暗闇に足を踏み入れ、また戻ってきた。驚嘆すべきことだ。それを娯楽読み物にしてしまうところが、もっととんでもない。地獄にいても観察してしまう性は、やはりギャグ・マンガ家。さすが吾妻。(いしかわじゅん氏評)

 マンガ家が自身の身辺雑記を描くことは、今、それほど珍しくない。その草分けである作者が、ガチンコで自分自身の体験を描くと、群を抜いて面白い。壮絶な内容だが、マンガとして純粋に楽しめる。吾妻の作家性がマンガというエンターテインメントを肌で分かっているからこそ、楽しませるのだと思う。(印口 崇氏評)

 アルコール依存症、失踪という異常体験を客観化しつつユーモラスに描いた異色作。体験だけに頼った手記マンガではなく、作家と自意識という日本近代文芸のテーマも読み取れる。(呉 智英氏評)

 これだけの体験をし、生還して作品として描ききった。惜しみない賛辞を贈りたい。ホームレスになっても、やがてガスの配管工になり、また不思議な道を辿り、マンガの世界に戻ってくる。泣き笑いのような感覚を私たちに抱かせ、人間に対する愛しみの感覚を蘇らせてくれる。(藤本由香里氏評)

 しばしば「壊れる」などと表現される、ギャグ・マンガ家の過酷な精神状態からの生還の記録である。実体験が作家の内部で濾過され、独自の表現へと昇華して生まれた傑作である。過酷でありながら、どこか楽しげにも思える放浪生活の中で出会う、ちょっと世の中からずれた人々は、吾妻マンガの登場人物そのもの。作者の目に映る不条理な妄想世界は、いまや厳然たる実話となって読者の前に広がる。その不思議な感覚を、いかにもマンガらしい、吾妻の丸っこい絵柄が支えている。いま吾妻ひでおはギャグ・マンガの絵と文法で、とんでもない世界を語り始めた。(村上知彦氏評)

まだ会場の用意ができていないので、控え室へ。資料でも読んでいようかと思ったら、吾妻先生のファンクラブ関連での知り合いである、Gさん、Tさんほかが入ってきた。両氏と久闊を叙する。両氏らが編集した第34回日本漫画家協会賞大賞受賞記念の冊子「吾妻讃」(「ななこ・ざ・すーぱーがーる」特別増刊号)を御恵贈いただく。
一行の中に法体の人物と、小柄な眼鏡の女性がいる。おそらく、と思ったら、やはり蛭児神建(元)さんと夫人であった。
ほどなく会場の用意ができたので、移動する。
始まるまでまだ時間がかなりあるので、展示されている受賞作のパネルやサイン本等を見にいったり写真にとったり。
そうこうしているうちに開場がだんだんうまってくる。吾妻先生ゆかりの人たちも多数。いちいち名前は書かないが、高千穂遙さんが随分やせていたのにはびっくりした。
ところで、こういう式典の場なので、筆者は普通にスーツで行ったのだが、出席者の中にはフリーの人も多いので、服装は多彩。Tシャツ姿もめずらしくない。
贈呈式は秋山社長ほかの挨拶、来賓紹介、選考委員紹介(香山リカさんはトレードマークの眼鏡姿ではなかった)等のあと、贈呈式。吾妻先生は「尊敬する手塚先生の名前のついた賞をいただけて光栄です。今後はロリコンとかをやめまして、まじめに生活していきたいと思います。みなさんもアル中とかは気を付けてください。」とごくみじかい挨拶。もともと人前とかの苦手な人だし、今は鬱病もあるので、この程度の長さでも(うけていましたが)結構たいへんだったろうと思う。始終うつむき加減で、しんどそうだったし。
なお、先の挨拶、朝日新聞紙上ではロリコンのあとに(マンガ)とはいっていたけど、本当にロリコンマンガという意味だったのかどうかは不明。ちょっと前に公式サイトに「ChuBohを買うのをやめた。」とか書いていたし。
他の受賞者の挨拶は、長くなるので略。ひぐちアサさんも伊東理佐さんもしっかりメモを用意してきて、それなりの長さ。小野耕世さんは、御尊父(漫画家の小野佐世男)と手塚の思い出などにはなしがおよぶと、感極まって、何度も言葉が途切れていた。
贈呈式が終わってパーティー。実はこのパーティーの最中に、大賞受賞者への花束贈呈がある。そしてそのプレゼンターは、一般読者推薦者、すなわち筆者ともう一人の推薦者なのだ。ちなみにもう一人の方は女性。多分男女一人ずつ選んだのだろう。この女性は筆者とはちがい、むかしからの吾妻ファンではないもよう。これは偶然だろうが、期せずしてバランスが取れたといえよう。
花束をわたす際に一言話してもらう、と聞いていたので、お祝いの言葉を考えてきていたのだが、司会者は、筆者に対しては「どうしてこの作品を推薦しようと思いましたか。」とふってきた。
そこで、用意してきたコメントを即興でアレンジして、次のごとく述べた。「私事になりますが、私、二十年ほど前(の吾妻ブームのころ)、吾妻先生のファンクラブでいろいろと活動をしていました。しかし、その後、作品数も少なくなり、また、「失踪日記」に書かれているようなこと(失踪、アル中)の噂も伝わって来、心を痛めていたのですが、このたびその経験を見事な作品に昇華されました。これを読んで、今年の大賞はこれしかない、と思いました。」
てなわけで、たいへん緊張しながらも、なんとか大役を果たし終えた。
そのあと、Gさん、Tさんらに「そんな役割があったのか。だったら今日の記念に是非とも先生のサインをもらっておけ。」と言われる。筆者は先生のサインはすでにいくつか持っているため、今日は遠慮しておくつもりだったので、色紙も本も持ってきていなかったのだが、両氏らに背中をおされて(感謝しています)、先に書いた資料の小冊子の「失踪日記」の紹介ページに(失礼ながら)サインをもらう。
19時過ぎぐらいにパーティー終了。会場を出ようとすると、入口に花が。菊地成孔さんから吾妻先生に、だった。
そのあと、Gさん、Tさんに打ち上げ、というか、祝杯の宴をさそっていただき、有楽町のだん家へ。ほかにOさん、さらに悟東あすか師。悟東師は、吾妻先生の唯一の直弟子いうべき方(アシスタントは弟子ではないとすると)。いろいろ興味ぶかいお話をうかがう。ほかにもなつかしい話あり、意外な話ありで、閉店まぎわまで。
本当にうれしく楽しい一日だった。
ところで後日、「手塚治虫文化賞」事務局から封書がとどく。開封してみたら、一般読者推薦者から抽籤で図書カードが当たった、とのこと。二重に当たったのか、贈呈式招待者にはもれなく(といっても二人だが)くれたのかはわからないが、とてもうれしい。デザインは勿論、「失踪日記」の表紙。勿体なくって、使えません。
ところでこの封筒(長辺に封がある)を開けるとき、のりづけ部分にはさみをつっこんで切ったら、送り状も一緒に両断してしまった。ああ、なんたるミス。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

「失踪日記」、第10回手塚治虫文化賞マンガ大賞受賞!

連休中の怠惰と連休明けの多忙とで当日乗の更新がとどこおっている(書かなければいけないことがたまっている)が、とりあえずおおいそぎで。

今日の朝刊で第10回手塚治虫文化賞の発表。さきほど見たら、asahi.comにはまだ掲載されていませんが、私が1年前に予想したとおり、「失踪日記」がマンガ大賞。心よりお祝い申し上げます。
四半世紀来のファンとして、そして、この世で十指にはいる、とまではいわないが、手足あわせて二十指にははいるかもしれないファンとして、こんなにうれしいことはありません。
選考委員評は「異常体験を客観視しつつユーモラスに描いた。」(呉智英氏)、「実体験が作家の内部で濾過され、独自の表現へと昇華して生まれた。」(村上知彦氏)と、例のコミ通の石舘通信氏と当然ながら正反対の評価。
また、「吾妻さんを知らない、若い人が読んで20万部を超えた。懐古的な作家ではない」(印口崇氏)。これも石舘氏があくまで「この作品を読む前から漫画家・吾妻ひでおさんをよく知っていて好意的な印象をを持っている」人が「『あの吾妻 ひでおさんが、実体験を自分を主人公にして書いた事に意味がある!』という感覚」で読んでいる、あるいは「吾妻さんの笑いがツボな人」「そしてもともと吾妻 ひでおさんにくわしい、もしくは好意的な印象を持っている人には楽しめる作品なのだなぁ」と主張するのと正反対の評価です。
いずれにしろ、石舘氏の主張するように、コミカルなタッチを排除してかかれていたのなら、「失踪日記」がこんなに注目され、評価されることはなかったはずです。
くりかえしになりますが、本当におめでとうございます。
(なぜかYOMIURI ONLINEにはのっているので、そちらをリンクしておきます)

| | コメント (0) | トラックバック (0)

この人には漫画を読む能力があるのだろうか

週刊コミ通」(「ファミ通」のエンターブレインとは関係ないらしい)なる自称「コミック・漫画の情報サイト決定版!」なサイトにある「コミログ」というブログの「失踪日記」のレビュー。ちょっとリンクをクリックして読んでみてください。
これを書いている石舘通信氏という人は、プロフィールによると「31歳、放送作家。 当サイト(粗忽亭註 週刊コミ通のこと)の編集長。」だそうだが、この人に漫画をちゃんと読む能力というのがあるのだろうかと本気で心配になってしまった。
吾妻ひでお先生は、いうまでもなくギャグ漫画家だ。ギャグ漫画家である以上、あらゆることをギャグのネタにするのは当然の話。この作品の最大の価値も、とてつもなく重い、悲惨な体験を、笑って読めてしまうギャグ作品として昇華させたところにあるのだが、そういうことがわからないのだろうか。実体験をリアルに書くことのできる人はほかにもいるだろう。しかし、それを「作品」に昇華できる才能はそうそういるものではない。
第一、「失踪日記」に書かれた内容が実体験であるか否かというのは、あえて言えば二次的なことだ。事実であれ、創作であれ、とてつもなくおもしろいのがこの作品の魅力なのだ。
勿論、この作品をおもしろくないと思う人がいたってそれは一向にかまわない。人の趣味にまで立ち入る気はない。しかし、実体験なのにリアルに、ではなく、コミカルに書いているから価値がない、というのはほとんど思考停止に近い意見ではないだろうか。
そして、淡々と書かれている作品の行間(漫画だから「コマ間」か)から、作者の苦しみが、それこそリアルに読み取れるはずなのだが(少なくとも粗忽亭には痛いほど感じられた)、この人はそれすらも感じられなかったようだ。
このような漫画読解力の人間が放送作家で食っているというのはまあおくとしても、「コミック・漫画の情報サイト」の編集長をつとめている、というのは無茶もいいところだろう。あなた、本当に漫画を読めていますか?それ以前に本当に漫画が好きなんですか?
念のために書いておくが、これは鶴岡法斎氏も書いているとおり、好きな漫画が、大好きな漫画家が悪くいわれているから怒っているわけではない。「実体験」=「リアルに書くべきだ」という自分の大いにかたよった価値観になんの疑問もいだかない、そのリテラシーのなさにあきれているだけだ。
なお、この「コミ通」サイトのクロスレビューを見ると、おなじようなことを書いている人がほかにも。「創作とはどういうことか」がわかっていない人がレビューを書くってのはどうなんですかねえ。

| | コメント (3) | トラックバック (1)

「失踪日記」文化庁メディア芸術祭大賞受賞のコメント発表される

今年はいまだライブに一度も行っていない。今年も去年同様、1月5日の渋さ知らズ劇場がライブはじめになる予定だったのだが、出かけるまえに読みだした某ブログ(とっても有名なとこ)が止まらなくなってしまって、さぼってしまった。ほかにもその気になれば行こうかと思いつつ、結局行かなかったものもいくつか。
そんなわけで、なにも書くねたがなかったのだが、そのあいだにレンタルカウンターのアドレスがかわっていて、2日ほど作動も表示もされていなかったり、別館はテンプレートの不具合かなんかで表示がすべて中央よせになってしまって読みにくくなっていたり(サポートフォーラムのかきこみを参照してテンプレをいじって修正)、わざわざ項目をたててかくほどではないことはいろいろあったのです。
さて、文化庁メディア芸術祭のページに受賞コメントがのっているので、「失踪日記」のページをリンクしておく。「なぜなら笑ってほしかったからです。 」というところがすばらしい。やはり吾妻先生は根っからの漫画家、それもギャグ漫画家だ。
だれがかいたのかはわからないが、贈賞理由も的を射ている。
ただ、タイトルの下につけられている分類(?)がストーリーマンガなのはちょっと疑問。この賞の開催概要では

【マンガ部門】
マンガ作品
[ストーリーマンガ、コママンガ(四コマ、一コマなど)、オンラインマンガ、自主制作マンガなど]

となっているので、しかたがないのかもしれないが。
しかしこの「失踪日記」という作品、贈賞理由にあるとおり「私マンガ」にはちがいないが、(これも贈賞理由にあるとおり)「エッセイマンガ」でもないし、ストーリー漫画にもギャグ漫画にも分類しがたい。そういえば吾妻先生のかつての不条理ものも表面はギャグでありながら、単純にギャグ漫画に分類するのをいさぎよしとしない作品が多かった(「狂乱星雲記」、「るなてっく」など)。すぐれた作品の前ではジャンルわけなど不毛な点は漫画も音楽もおなじなのかもしれない。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「失踪日記」、文化庁メディア芸術祭マンガ部門大賞受賞

12月16日、文化庁メディア芸術祭受賞作発表。マンガ部門大賞は吾妻ひでお先生の「失踪日記」。これで日本漫画家協会賞大賞受賞とダブルクラウン。心よりお祝い申し上げます。こうなれば手塚治虫文化賞もとってトリプルクラウンとなってほしい。
ところで余談だが、吾妻先生といえば、2ちゃんねるの吾妻関連スレを読んでいると、いろいろと知ったかぶりが出没していてあきれてしまう。たとえば、これは19日の書き込みだが、「公認(ファンクラブのこと。粗忽亭註)は無かった。 /公認されないことが当時のファンクラブのステータスつーか流儀だった。」とか書いてあったり。実際は公認ファンクラブが乱立していたんだがなあ。公認してほしいというと、先生、気軽に公認してくれたから。この書き込み者が名前をあげている「しっぽがない」(正しくは「シッポがない」)も「あじましでお不安倶楽部」(のち「アジマフ」と改称)も公認だったんだが(粗忽亭は両方の会員)。それ以前にも「吾妻ひでおファンクラブ」が公認だったし、「東大吾妻会」や「福島吾妻ひでお倶楽部あるまじろかんぱにー」等も公認だったような気がする。ただし、公認をもらっても、基本的に活動は自主的で、特に便宜をはかってもらったりはしなかっただけで(多少はありましたが)。まあ、むかしのことだし、場所が場所なのでしかたないが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「失踪日記」、第34回日本漫画家協会賞大賞受賞

T/O
ではあんまりだから、参考URLをしめしておきます。
http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/new2/new.cgi
http://www.nihonmangakakyokai.or.jp/new3/new.cgi
心からお祝い申し上げます。
鬼が爆笑しそうですが、来年の手塚治虫文化賞も受賞するのではないかと、私は睨んでおります。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

いまさらながら、吾妻ひでお「失踪日記」について

3月26日、予想よりも随分はやく、Amazonから「失踪日記」が届いた。よって、この本のことについて書く。なんで1ヶ月もたってから、といわれそうだが、まあその、いそがしかったのだ。3月17日付の記事の段階で、すでにたいへんな話題になっていたのだが、この1ヶ月でスタンピード現象ともいうべき勢いで、さらにひろがっている。google検索のヒット数も約217,000件と3倍になっている。新聞にも私の知るかぎりで全国紙3紙(朝日、讀賣、産経)とブロック紙1紙(北海道)で取り上げられた。活字本ならともかく、漫画でこれだけ多くの新聞に取り上げられるということはめずらしい。
これだけ話題になっているので、私があらたに書くことは実はあまりない。であるから、ここからの内容は既存の報道、ブログ等とほとんど重なる。よって、すでにそういうものを読まれた方にはここから先は読む価値はほとんどない。
にもかかわらず、いまごろになってなぜ、書くのかといえば、それは私には書く義務があると思うからだ。なにゆえ書く義務があるのかというのは、3月17日付の記事を読んでいただければ、わかっていただける思う。
さて、その記事のなかで、私は大変月並で陳腐なことを書いた。「吾妻先生というのはまぎれもなく天才だ。」と。だが、「失踪日記」を読みおわっての感想というのはやはり、「吾妻先生というのはまぎれもなく天才だ。」であった。いかに月並で陳腐であろうと、私はこの言葉を繰り返さざるをえない。
ホームレス体験や、アルコール依存症での強制入院など、普通ならふりかえるのにどうしても感情が先にたってしまうこと、いや、並の人間ならふりかえることすら容易にはできかねることを、ストイックなまでに淡々と描き、すべて実話でありながらそれをギャグにまで昇華させる、そのようなことができる人間に対して、私のボキャブラリーでは天才以外の表現を思いつかない。吾妻先生自身、巻末のとり・みき氏との対談で「自分を第三者の視点で見るのは、お笑いの基本ですからね。」と述べておられるが、それがいかにむずかしいことかは多言を要するまでもないだろう。ましてやこのような極限体験においては。
この本は、いまやほとんど滅びてしまった私小説という分野の、まさに正当な後継者と位置づけられる資格がある。いや、みずからの体験をギャグにまで昇華させるということは、リアリズムにこだわる私小説ではなしえなかったことだ。それをなしえたこの作品は、私小説をこえた唯一無二の世界を切り拓いた、と言ったほうが適切だろう。SFファンであり、かつ太宰治や葛西善蔵も好きであるという吾妻先生にしてはじめて可能であったこと、なのかもしれない。
作中で語られるひとつひとつのエピソードについては、長年のファンである私にとっては既知のことも少なくない。それでもおもしろく読めた──届いたその日に3回ほどくりかえして読んでしまい、その後も数回読み返した──というのは、単なる「こんなことがあったのか」的な興味ではなく、漫画作品としての完成度の高さのひとつの傍証であろう。
新聞の書評や、各種ブログ記事などでは、タイトルどおり失踪中の話(「夜を歩く」「街を歩く」)に対する評価が高いが、私はそれ以上に「アル中病棟」の方がおもしろかった。これは、失踪、ホームレス生活というのは、いわばみずからが選択したことであり、その気になればいつでも家に帰れたのに対して、アルコール依存症、強制入院の方はみずからが望んだことではなく、3箇月の治療プログラムがおわるまでは帰ることもできないという点で、より一層の極限状況であるからだろう。「アル中病棟」では、その最初の1箇月が描かれているだけなので、そのあとの2箇月の部分も是非読みたい。早く読みたい、とはいわない。マイペースで、ゆっくりでいいので、いつの日か執筆、出版してくれることを心より望む。
ところで余談だが、この本の帯の推薦文は菊地成孔氏。意外な人が読んでいるものだ。妙なところで変態音楽とつながってしまった。でも、この本の読者で成孔氏を知っている人は何割ぐらいいるのだろうか。兄の秀行氏ならかなりの割合で知っているだろうが。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

山本直樹さん、ちがいます

私は大学時代は変態音楽愛好家ではあまりなかった(※1)。当時、私が一番エネルギーを投入していたもの、それは吾妻ひでお先生の漫画と、そのファン活動だった。公認ファンクラブに2つも加入し、その会報・会誌に原稿を書き(※2)、毎月、片道約2時間かけて例会にかよい、はてはその前日に例会場ちかくの会員宅に泊まりこみ、唯一の黙認ファンクラブとも友好をむすび、SF大会に参加し、その中で企画やイベントをやり、そのための自主制作アニメにかかわり(※3)、それ以外の独立のイベントにもかかわり、という具合であった。
その吾妻ひでお先生の新刊「失踪日記」がたいへん話題になっている。いま、googleで検索してみたら、約70,700件もひっかかった。当然、このブログでもこの本にはふれなければならないのだが、まだ入手できていない。AmazonでDVDなんかと一緒に注文しようと思っていたら、いつのまにか「通常4~6週間以内に発送します。」になってしまっていたのだ。
というわけで、「失踪日記」を取り上げるのは後日。そのかわり、というわけではないが、「オリンポスのポロン」1、2と「ななこSOS」1がハヤカワコミック文庫から出たので、取り寄せた。もちろん、もとの本(※4)は持っている。だが、吾妻先生の本は、新装版などが出れば、それもかならず買うことにしているのだ。
今回のハヤカワ版には、一部、描き下ろしのおまけマンガなどが入っている。それだけ目を通そうとして、結局、あちこち読んで(読みなおして)しまった。吾妻先生の新装版を買ったときはいつものことだ。
あらためて思った。吾妻先生というのはまぎれもなく天才だ。なにをいまさら、と言われそうだし、自分でもそう思う。でも、やはりそうなのだ。今までに何度そう思ったことだろう。吾妻先生の作品というのは、読みかえすたびにそう感じてしまう。
「きまぐれ悟空」(※5)のサン・ワイド・コミックス版が出たときにも、なんておもしろいんだ、と感動した記憶がある。はじめに読んだときにはそれほどとは思わなかったのだが、あらためて再読して、その価値に気がついたのだ。
「ふたりと5人」も、かつてはたいしたことのない作品だと思っていたが、1995年~1996年に新版が出たときに読み返してみたら、おもしろかった。「ふたりと5人」は傑作、「きまぐれ悟空」は大傑作といっていいレベルの作品だった。ところが、「不条理日記」や「メチル・メタフィジーク」や「やけくそ天使」や「スクラップ学園」や「陽射し」や「どーでもいんなーすぺーす」や「ネムタくん」や「みだれモコ」や「翔べ翔べドンキー」や「やどりぎくん」といった超傑作群を同時並行に読んでいた身には、比較のうえで色あせて見えていただけだった、ということだ。
話をもどす。今回のハヤカワ版の書き下ろし部分を読むと、たしかにかつての、天才とよばれたころに戻りつつあるのを感じる。なによりも荒れ放題だった絵が、最盛期のレベルにほぼ戻ってきているのだ。
ところで「ポロン」の2巻には山本直樹さんが解説を書いているが、そのなかで山本さんが初めて読んだ吾妻先生の作品のタイトルを「レットイットビート」と書いている。それも2回も。
山本さん、違います。あの作品のタイトルは(そして主人公の名前は)「エイト・ビート」といいます。解説文そのものはいいことを書いているんだから、こういうところをまちがわないでください。神は細部に宿るのです。しかし編集部もちゃんとチェックしてほしいよなあ(※6)。
それから「ななこ」の1巻には、当時のLPレコード「ななこSOSドラマ篇」(※7)と連動して描かれた「悪魔のような貴男」がフルカラーで収録されているのはよいのだが、その初出が『ななこMYLOVE』(????年??月)となっている。編集部よ、しっかりしてくれ。同書の出版年月ぐらい、ちょっと調べればわかるはずだ(ちなみに1983年11月)。
早川書房は、奇想天外社とならんでSFギャグ漫画家としての吾妻先生を世に知らしめた出版社だ。奇想天外が「不条理日記 SF大会篇」をSFマガジンが「メタル・メタフィジーク」を載せなければ、私は吾妻ファンになっていなかったかもしれないのだ。それだけに、早川書房にはしっかりしてもらいたいのだ。


※1 山下洋輔さんや難波弘之さんのファンだったので、またっくなかったわけではない。
※2 今とは筆名はちがう。
※3 技術があるわけではないので、トレスと彩色だが。
※4 「ななこSOS」は光文社JUST COMICSで1983年~1986年に全5巻で(正確にいうと5巻は光文社コミックス)、マガジンハウスMAG COMICSで1996年に全5巻で出ている。「オリンポスのポロン」は秋田書店プリンセスコミックスから1979年に全2巻で、また、「おちゃめ神物語 コロコロポロン」は双葉社100てんランドコミックスから1983年に出ている。筆者はすべて出た当時に買っている。
※5 これは3回出版されている。
※6 吾妻先生も事前に解説文は読まれなかったのだろうか。
※7 当時放映されていたアニメ版のレコードとして出た。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吾妻ひでお第2回原画展に行く

開催期間が3月22日~4月3日で日曜日休み、行ったのが3月27日だからちょうど期間の真ん中ぐらいだ。
会場の「ゑいじう」はCOFFEE & GALLERYということなので、展示を見た後、コーヒーの1杯も飲もうかと思い、閉店(19時)1時間前ぐらいに行くつもりだったのだが、その前の用事が伸びてしまい、30分前に駈け込むような感じになってしまった。
場所は曙橋駅の近くだが、ちょっと奥まったところにあるので、結構わかりにくい。四谷三丁目駅からも近い。筆者は1駅ケチって、もとい、運動のため、四ッ谷駅から歩いたのだが、案内はがきの地図を頼りに行ったら、すんなりとたどり着けた。
「ゑいじう」は1階が喫茶コーナーで、2回がギャラリーになっている。ただし1階の壁にも何枚か展示されている。
展示物は漫画原稿(4ページもの一式)のほかはイラスト。すべて描き下ろしの美少女イラストだった。イラストはすべて販売物である。もう、6~7割売れてしまっている。いいな、と思う絵はたいてい売約済みだ。あたりまえだが。もっと早い時期に来るべきだったかな、と思う。平日に行くのは無理だと思い込んでいたのだが、よく考えたら、終業後、すぐに駈け込めば十分間に合ったのだということに気がつく。もっとも、それはそれで、あの絵もこの絵も欲しくなって困ったかもしれない。
ほかの販売物は、展示イラストのプリント(EPSONの用紙だったから、原画をスキャナで取り込んだものをプリントしたのだろう)、近年の単行本いろいろ、ななことポロンのDVD。本やDVDは勿論持っているので、買わない。DVD BOXを買うと、イラストカードをスパイラルで綴じたものがおまけに付くようだ。これだけ欲しいけど、そのためにまたDVD BOXを買うわけにはいかない。プリントが13種あったので(ほかに品切れのものがあるかどうかは不明)、各1枚、特に気に入った1点は2枚、計14枚買う。1枚1,000円なので、結構な額だ。
折角なので原画も1枚買おうと思い、まだ売れていない分を品定め。1点、(ケント紙にではなく)スケッチブックに描いたものだが、気に入ったのがあったので、それを買うことにする。ところが、1階におりて、そちらの展示を見ていると、こちらにもいいのが1点(これもスケブ)。両方買うには持ち合わせがたらないので、もう一度2階に行ったりしてしばし熟考。結局1階のを買うことにする。
ところが支払いは振込みでいい、ということなので、結局2枚とも買うことにしてしまう。安月給の身には少々大きいが、まあ、たまの贅沢である。
スケブのイラストには額が付いていないが、額装もしてくれるので、お願いしておく。飾るスペースはなさそうな気もするが、額に入っていれば間違って折ってしまうようなこともないだろうし。しかも背景色などはプロが見立ててくれるので、自分で適当に額装するより良いだろうと思う。
このあとは新宿Pit Innへ。以下次項。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

吾妻ひでお原画展ほか

なんか、休日になると眠くてしかたがない。先週もだったが、土曜日はまるまる眠ってしまった。目がさめても、すぐにうとうとしてしまうのだ。まともに活動できる状態になったのは日曜の夜からだ。まだ風邪が抜けきっていないのか、平日の(ライブ通いなどによる)睡眠不足がひどいのか、それとも単に怠け者なだけか。ま、最後の可能性が一番強いような気がする。
さて、申し込んでいた「ななこSOS」カレンダーが届いた。今頃カレンダーというのもなんだが、案内が年明けに来た(12月31日消印)のでしかたがない。その後、筆者の風邪とか、小為替を買いに行く暇がなかったとかで、先週やっと送金できたのだ。発送は迅速果敢であった。吾妻先生、ありがとうございます。
2,000円と安くないので、1部だけ買うつもりだったが、結局思い直して2部買ってしまった。私家版のものだからな、と思うとついそうしてしまう。これだからファンというやつは、だな。
「産直あづまマガジン」も2部づつ買っているもんなあ。しかもカレンダーはその性質上、増刷しないだろうしなあ。と思うと長年のファンとしてはつい、2部買ってしまうのであった。
さて、カレンダーといっしょに、「吾妻ひでお第2回原画展」の案内のポストカードが入っていた。3月22日~4月3日とまだだいぶ先の話ではある。第1回のときは、筆者が東京を離れているときに、しかもいつの間にか行われたものであった。
夜7時までで、しかも日曜休とのことだから、土曜日にしか行けない。しかし、なんとか都合をつけて、ぜひ行きたいものである。

| | コメント (0) | トラックバック (0)