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追悼 高島俊男先生

(以下の文はさるクローズドなところに書いた文を一部手直ししたものです)
支那文學者(おそらく御本人はこの表現を一番このまれるだらう)の高島俊男先生が4月5日に亡くなつたさうだ。わたしが現在、もつとも敬愛してゐる文筆家だ。專門の支那文學や支那語のみならず日本語にも該博な智識と鋭敏な感覺をお持ちで、その著書「漢字と日本人」(文春新書)ではわたしの日本語に對する蒙をおほいに啓いてくれた恩人である。「『支那』はわるいことばだとうか」(文春文庫「本が好き、悪口言うのはもっと好き」所載)では「支那」といふ言葉の正當性とそれに對する愛情をたつぷり披歴していらつしやる。病氣がちな方であつたやうだが、それでも85歳(もちろん數え歳で)まで生きられたのは幸ひだつたといふべきか。晩年は眼病のため大好きな讀書もままならなかつたやうであり、生きる樂しみも少なかつたかもしれない。あちらでは視力ももどることだらう。思ふ存分本を讀んでください。合掌。

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