« 【書評】文藝別冊 [総特集]いしいひさいち 仁義なきお笑い | トップページ | ネット民曰く「マスコミはうそをつく」 しかしネットもうそをつく »

DQNネームはやっぱりDQNネームだ

Business Journalに「宇多田ヒカルに村上春樹も! なぜDQNネームは批判される?」といふ記事がのってゐた。この記事、をかしなところだらけだ。ちょっと目についたところをコメントしてみよう。

まづ村上春樹の件だが、「ねじまき鳥クロニクル」は小説であって、小説と現實とを一緒にしてはいけない。

武士の名前には實名(じつみゃう。諱ともいふ)と假名(けみゃう。通稱ともいふ)がある。このうち實名がもっとも正式の名前ではあるが、これは普段は使はない。そもそも聲に出して呼ぶものではない。一應、主君と親と師は呼んでもよいことになってゐるさうだが、彼らとて實名で人を呼ぶことはまづない。假名か、上級武士であれば官名で呼んだであらう。たとへば徳川吉宗は大岡忠相を「ただすけ」とは呼んでゐまい。「越前」と呼んでゐたはずだ。
實名といふものは文書、特に公文書用の名前であり、ことに本人が署名するための名前だった。だから書ければよいのであり、あへて言へば讀める必要はなかった。ゆゑに今でも讀みのはっきりしないものが少なくない。
織田信雄は「のぶを」か「のぶかつ」か。瀧川一益は「いちます」か「かずます」か。大石良雄は「よしを」か「よしたか」か。吉良義央は「よしなか」か「よしひさ」か(現在は「よしひさ」説が主流)。はっきりしないのだ。
そのかはり假名はそれぞれ「三介」「彦右衞門」「内藏助」「左近」と、讀むのにまぎれがない。こちらは口頭で呼ばれる名前だからだ。
この記述はかうした歴史的事實を無視したものとしか言ひやうがない。

鷗外は歐米でもわかりやすい名前を、といふ考へで子供の名前をつけた。たしかに日本人的な名前ではないが、讀ませかたに無理はない。
大杉榮はなにしろアナキストだ。すくなくとも當時の概念では「まともな人」ではない。いはば秩序破壞者だ。一般例にはならない。
鐵幹・晶子の場合も鷗外とおなじ。とても讀めないヘンな字を當ててゐるわけではない。

江崎玲於奈、三浦朱門も讀みに無理はない。特に三浦は言はれなければシモンだとは氣がつかない、むしろ古風にすら感じるレベルと言へる。
大江健三郎はまあ、ノーベル賞は受けても文化勳章は拒否するやうな人だからなあ。日本嫌ひの日本人であるから、見本にはならない。

「彌勒」といふのはたしかに大きく出たなあ、といふ感じだが、讀みがヘンなわけでもないし、「向日葵」に至ってはそもそもなにがヘンなのかさっぱりわからない。女の子の名前に花の名前をつけるのはそんなにDQNなのか。「さくら」だとか「百合」があるのだから、向日葵だってまったく不思議ではない。
また内田春菊はその獨特の生い立ちや感性からしても、一般的な知識人と同列にはできない。大森望については、まあ、かはってはゐるはなあ。どう見ても朝比奈みくるちゃんですよね、これは。(でも萌えない)

それから君枝、和子、節子って、絶滅してます?普通にある名前だと思ふけど。逆に美羽、杏、眞理って、そんなに藝能人みたいですか。特に眞理なんてむかしから定番の名前だと思ふのだけど。
「心愛」のくだりなんてなにを言ひたいのかさっぱりわからない。11年なんて去年でせう。まさにいま、DQNネームがはびこってゐる現状を示してゐるだけではありませんか。

總じて言へば、この記事はただただ現状を追認し、若い世代に對して猫なで聲で「わかるわかる、をぢさんはわかってるよ」と媚びてゐるだけの愚劣なものと斷じて大過ないであらう。

« 【書評】文藝別冊 [総特集]いしいひさいち 仁義なきお笑い | トップページ | ネット民曰く「マスコミはうそをつく」 しかしネットもうそをつく »

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/8411/55698756

この記事へのトラックバック一覧です: DQNネームはやっぱりDQNネームだ:

« 【書評】文藝別冊 [総特集]いしいひさいち 仁義なきお笑い | トップページ | ネット民曰く「マスコミはうそをつく」 しかしネットもうそをつく »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

ninja