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今日の「余録」の言語感覺はみごとだった

わたしは「男性」「女性」といふことばがきらいだ。
理由はいろいろある。
第一には「をとこ」「をんな」といふ立派な和語があるのに、なぜわざわざ漢語で言はねばならないのか、といふことだ。
漢語といふものは原則として漢字二文字で一單位を形成する。支那語といふものがさういふ性質だからだ。二つの文字がそれぞれ意味をもって語となるものが多い(例「集中」「潛水」)が、なかには二文字一組にするためにほとんど同じ意味の漢字を二つ組みあはせたものや、あまり意味のない漢字を添へたものもある。前者の例には「花卉」とか「戰鬪」とかがある。後者の例には「帽子」とか「椅子」があげられる。これらは日本語にとってはあまり有用なものとは言へまい。
「男性」「女性」も後者のうちだと言ってよからう。「男」「女」で意味は表現されてゐるので、「性」は添へものだ。そんなことばをわざわざつかふ必要性をわたしは感じない。
それから「男性」「女性」には、就中「女性」には、ポリティカル・コレクトネスの雰囲氣がすることもきらいな理由の一つだ。なんでも「をんな」はサベツ語だから「女性」と言へ、と言ってゐる人もいる由。そんなばかなはなしがあるものか。和語といふのはサベツ語だとでも言ふのか。
そしてもっと感覺的な理由として、「男性」「女性」といふ言葉には、においや體溫といったものを感じない、といふ點がある。
「男らしい」と言へば力强さやいさぎよさを感じるが、「男性らしい」ではその感じがおほいにうすれてしまふ。「女らしい」といふことばからはやさしさや纖細さを感じるが、「女性らしい」では無味乾燥な感じしかしない。わたしは「いい女」は大好きだが、「いい女性」は、まあきらいではないかな、程度のイメージしか受けない。わたしは一度も女だったことがないのでよくはわからないが、御婦人方も「いい男」の方が「いい男性」よりも好ましいのではなからうか。
ところが最近目にする文章といふものは滅多矢鱈に「男性」「女性」ばかりで、「男」「女」といふ表現が少なくなってゐる。まことになげかわしい。
と常日ごろ思ってゐたところだが、今日の毎日新聞の「余録」欄はよかった。記事內容は山本作兵衞さんの炭鑛畫が世界記憶遺產に登錄されることになった件であるが、安易に「男性」「女性」といふ表現ばかりに逃げこんでゐない。
ふんどし姿の男の先山と上半身裸の女の後山が寝そべって採炭する「寝掘り」の絵はこの間の報道でご覧になった方も多いだろう。
と書いてゐる。これがもし
ふんどし姿の男性の先山と上半身裸の女性の後山が寝そべって採炭する
と書かれてゐれば、そこからは人間のいとなみや、炭鑛勞働の苛酷さといったものはつたはってこないだらう。
その一方、
絵を描き始めた頃は女に衣をまとわせていた作兵衛に、暑い切り羽で衣を着ていられるかと詰問したのはかつて炭坑で働いていた女性だった。
とも書いてゐる。
繪の中の人は「女」であり、そこからはなれた(かつては炭鑛で働いてゐたとはいへ)人物は「女性」と書き分けてゐるのがわかる。みごとな使ひわけだ。なんでもかんでも「男性」「女性」ではなく、どうしても「男」「女」と書かなければ繪のニュアンスをつたへられないところはそのやうに書いてゐるのである。きちんと神經をつかった文章と言ふべきだらう。
このブログではいつも新聞の日本語の惡口ばかりを書いてゐるので、たまにはほめてみました。いえ、感心したことがあれば素直にほめたいと、いつも思ってはいるんですよ。あまりその機會がないだけで。なにぶんへそまがりなものですから。

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