« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2010年7月に作成された記事

疑問に思ふこと二題

その一。
(選擇的)夫婦別姓反對者は大抵「夫婦別姓だと家庭が崩潰する」と言ふけれど、どういふ根據に基づくのだらうか。中國(民國、人民共和國ともに)、南北朝鮮、ベトナム等、選擇的どころか完全に別姓の國もあるが、かういふ國は崩潰家庭が多いといふデータでもあるのだらうか。
イスラム圈やモンゴルのやうに姓に相當するものがない國も多いが、別姓でさへ家庭が崩潰するのなら、かういふ國は家庭といふ概念がないといふことになるのだらうか。
データをしめさずに「夫婦別姓だと家庭が崩潰する」と主張してゐる人が、一方でポルノ規制派(あるいは兒童ポルノ規制派)の「(兒童)ポルノが性犯罪を助長する」といふ主張をデータがない(もしくはデータは反對の傾向をしめしてゐる)と論駁してゐたりする例をまま見かけるが、これはダブルスタンダードではないのだらうか。

その二。
民法の非嫡出子の法定相續分を嫡出子の半分としてゐる規定の合憲判斷の見直しを懸念してゐる人の意見は大抵「不倫を促進することになる」。もっともな意見だ。促進するといふと言ひすぎかもしれないが、ある種不倫の罪惡感を薄めることにはなるかもしれない。その結果、不倫がふえる、といふこともあるかもしれない。
しかし一方、現行規定は明確に非嫡出子を差別した規定でもある。非嫡出子は日陰者であると法律で堂々と定めてゐるわけだ。
つまりこの問題は社會全體の秩序と、個人の尊嚴との對立に還元される。すなはち、現行規定は、社會全體の秩序維持(にどの程度貢獻してゐるかは不明。これもデータの取りやうがない)のために、非嫡出子の權利や尊嚴は制限されてもやむを得ない、といふ考へかたと言へる。かたや現行規定見直し派は、非嫡出子をふくむ個人の權利や尊嚴をまもるためには多少は社會秩序に影響があったとしてもやむを得ない、といふ考へかたと言ってよからう。
別の言ひ方をすると、前者は全體主義者、後者は個人主義者、といふことにならうか。
私は個人主義者を自認してゐるが、個人主義が萬能だとは思ってはゐない。それはともかく、現代において全體主義者と呼ばれることによろこびを感じる人は少ないと思ふが、この問題において非嫡出子差別規定を當然と考へる人は、みづからのことをどう思ってゐるのだらうか。

例によって「社会派くんがゆく!」Vol.102にツッコンでみるよ

今回も更新が3日遲れてましたね。「例の延刊」ってやつでせうか。(朝日新聞夕刊の「ニッポン人脈記」がいま、宮武外骨をテーマにしてゐるので、眞似てみました。)

思ったとほり、今回は大相撲問題を中心に語ってゐますね。でもって、語ってゐる内容も事前に豫想がついたやうなことばかり。大丈夫だらうか、そんなに素直で。
といふわけで、今回は大相撲についてのところに限定してツッコミます。

村崎 その“だれた”イベントの最たるものが、大相撲だよな(★2)。だいたい、あんな“おもらいデブを増長させまショー”を年に6回もやるなんて多すぎだろ(笑)。しかもNHKが一場所につき5億円で、年間30億円も放送料を払ってるなんて気前良過ぎだし、それで相撲協会は“公益法人”だからほどんど税金を払わないでいいなんて、そりゃ、みんな肥え太ってダメになるわ。
⇒公益法人でも、收益事業には課税される。法人税は一般法人が30%のところを22%の輕減税率で課税。法人住民税は法人税額が課税標準になるので、一般法人の30分の22といふことになる。法人事業税は一般法人と同樣の税率で課税される。なほ、本場所や地方巡業の興行は當然收益事業である。

村崎 もう国技の看板外して、普通にプロレスみたいに興行としてやってくれればいいよ。場所も蔵前国技館じゃなく後楽園ホールとか府中競馬場で特設リング作って、ヤクザの皆さんに頭下げて見に来て貰えばいいじゃん(笑)。
⇒×蔵前国技館 ○兩國國技館。なんのために北の湖が引退をのばしたと思ってゐるんだらう

唐沢 そもそも一円も外貨も稼げないスポーツを何で「国技」と呼ぶかね。逆に朝青龍なんかに稼がせて、モンゴルに日本円を持ってかれてる。
⇒海外での放映權料等もあるから、一圓もってことはないはず。そもそも國技と外貨とどういふ關係があるのか。

唐沢 歌舞伎の『め組の喧嘩』でもわかるように、昔は相撲取りというのはれっきとした勇み肌だった。そもそも、星ひとつ違えば待遇から給金から天と地ほど違うと言われる相撲は、多くのスポーツの中でも最もギャンブル性の強いもんだろう。そこに生きている者がギャンブル好きでないわけがない。暴力団とのつきあいが悪いって言ったって、暴力団が嫌がっているのを相撲協会側がどうしてもつきあってくれと厨房みたいにストーキングしたわけじゃなし、相撲取りをこうまでこの件で責めるのもいかがなものか?「賭博はいけない」って記事のすぐ下にtotoの広告が載ってんだぜ、新聞見ると(笑)。
⇒×星ひとつ違えば ○番附一枚違へば

村崎 賭博の規制そのものが建前のザル法っていうかさ、法治国家の手前、一応は賭博は法律で取り締まることにしてるってだけで、現実社会では普通に仲間内で麻雀やるにしても一銭も賭けないでやる奴なんて一人もいねえじゃん?仲間内でやるゴルフだってニギらないでプレーする奴なんかいねえだろうし、そんなこといちいちあげつらって責めてたら社会が回らねえんだよ。
⇒おなじ賭博でも、刑法では單純賭博と常習賭博と賭博場開張等圖利はわけてゐる。しかも「ただし、一時の娯楽に供する物を賭けたにとどまるときは、この限りでない。 」との規定まである。

唐沢 “賭博は国民の射幸心をあおって労働意欲をなくす”というのが取り締まりの名分らしいが、江戸時代の百姓じゃあるまいし、資本主義国家に生きる人間に射幸心がなくってどうすんの。ビジネスも株も射幸心がなきゃ出来ゃしないよ。
⇒ビジネスって偶然の利益を勞せずして得やうとする行爲なのか。

唐沢 それだけ賭博って人間にとって魅力のある娯楽なんだから、だったらホントに全部、国で管理することを考えなくちゃいけない。「この賭博はいいけど、この賭博は悪い」という線引きをどこでしているのか、まずそこから明確にしないと話は始まらないよね。人間の欲望を禁止することなんか出来ないのだから、だったら国が管理すべきでね。
⇒いまでも合法な賭博はすべて國が管理をしてゐるのだが。もちろん、さきにあげた「一時の娯楽に供する物を賭けた」賭博は例外ね。

村崎 それしたって今回、話が変だなと思ったんだよ。ヤクザの胴元だったら、350万円勝った程度じゃ脅さないと思うし、こんなんで発覚したら野球賭博産業そのものが上がったりじゃん。
⇒琴光喜が350萬圓勝ったのではなく、古市容疑者が琴光喜に口止め料350萬圓を要求した。琴光喜の勝ち金が350萬圓だなんて報道は當初からなかったと思ふが。

唐沢 30億円という助成金もらってたら、どんなまともなヤツでもおかしくはなるよな。
⇒30億圓の助成金ってどっから出てきたはなし?そんな助成金、だれも出してゐませんよ。ひょっとしてNHKの放送權料のこと?放送權料と助成金の區別がつかないの?

村崎 何度もいうけど、「デブの救済システム」としての大相撲ってのはもう、なくなってもいいんじゃないかってオレは思うよ。同じデブなら、ちゃんと自分で努力して才能を発揮して、コミケで同人誌売ってるデブのほうがはるかにマシな真人間だって。
⇒關取になるやうな力士は「ちゃんと自分で努力して才能を発揮して」いるのではないのか。だれもが關取になれるわけではないぞ。

唐沢 繰り返すけど、何で競輪や競馬はよくて、野球賭博はダメなのか。そこを子供にもわかるようにはっきり説明してくれないとね。グダグダいうヒマあったら、野球賭博そのものを国で管理しちゃえよって言いたい。
⇒さきにも書いたとほり、「賭博は原則すべて非合法、個別の法律で國が管理するものだけが合法」といふのが日本のシステム。なぜ野球賭博がだめなのかは、つまり國が直接ないし間接的に管理してをらず、收益を公共事業等に使ふのではないから。野球賭博だってサッカーくじと同樣に國が管理して、收益を公的な分野に使ふことにするのなら合法化も不可能とはいへない。

以上、明確におかしな點だけを取り上げてみました。もっと本質的に「それはちがふだろ」といふところも多々あるのですが、「見解の相違」と言へなくもないので、略。
あと、何度も「國技、國技」と言ってゐるけど、大相撲が國技だといふ根據はなにもない。舊兩國國技館(開館當初は「常設館」)の開館式の披露文で江見水蔭が相撲は國技であるとしたからにすぎない。それがもとで「國技館」と名付けられ、なんとなくだれもが「大相撲は國技」と思ふやうになってしまったにすぎない。むかし、いしいひさいち先生の「ワイはアサシオや」でアサシオが相撲がなぜ日本の國技と呼ばれるのかは「國技館でやってゐるから」と言ってタコサゴ親方にぶっ飛ばされてゐたけど、實はあれはほとんど正解と言ってよい答へなのだ。

(7月16日一部加筆)

※以前の「社会派くんがゆく!」關連記事
唐沢俊一氏は大阪のことを書かないほうがいいと思う
今月の「社会派くんがゆく!」の明確なあやまり
今月の「社会派くんがゆく!」
たびたびで悪いが、「社会派くんがゆく!」につっこみを
ひさびさに「社会派くんがゆく!」に突っ込んでみる
チベット問題は相對化できない
今月も突っ込みどころ満載の「社会派くんがゆく!」
ひさしぶりに「社会派くんがゆく!」につっこんでみようか
「社会派くんがゆく!」Vol.95へのツッコミ
今月もでたらめな「社会派くんがゆく!」
「社会派くんがゆく!」Vol.99についてちょっとだけ
おそくなったけど、「社会派くんがゆく!」Vol.100に對する簡單なツッコミ
恆例「社会派くんがゆく!」Vol.101へのツッコミ

「監修」するなら目ぐらゐ通せ

「数字でわかるお江戸のくらし」(監修 東京大學史料編纂所教授 山本博文)といふ本を買った。どういふ本かといふと、Amazonの紹介はつぎのとほり。

数字でなるほど! ビジュアルで楽しい!
面白おかしい八百八町の生活

 時間がゆるやかに流れ、人と人とのつながりが濃いのが江戸時代である。
 今では失われた社会に郷愁を抱くためか、江戸ブームと呼ばれる状況がある。江戸の人々の所作を学び、江戸切絵図を片手に現在の東京を散策する人も少なくない。
 本書は、江戸についての文献や史料に基づきながら、『数字』をキーワードとして「江戸時代の庶民の生活から社会まで」を幅広く概観したものである。

・庶民(棒手振り)の一日の収入はいくらぐらいか
・週休5日だった!? 武士の生活とは
・駕籠の初乗りの運賃はいくらだったか
・大奥の維持費は200億円以上!?

…などなどの興味あふれる事柄を、現在の単位・価値などに換算することで、江戸と現代を面白く比較することができるようになっている。
 また簡にして要を得た説明のほか、200点を超える江戸の生活を描写した絵画史料を活用したのも、本書の大きな特徴である。ここに描かれた人びとの姿や風景を丹念に見ていけば、自然と江戸時代の生活へタイムスリップできる。

こんなふうに書いてあるので、粗忽亭は江戸時代に關する數値データをあつめた本だらうと思った。さういふものが一冊にまとまってゐるといふのもハンドブック的で便利でよいかな、と思って買ってみたのだ。
たしかにさういふデータもいろいろあった。だけど、「『数字』をキーワードとして」ってのは、必ずしもさういふ意味ばかりだけではなかったのだ。たとへば御“三”家についての項目がある。あるいは“三”奉行についての項目もある。要するに數字がちょっとでもからめばOK、といふことらしい。しかも奧付と參考資料を見るかぎり、編輯プロダクションが、一般向けの輕い歴史本からまとめたもの、のやうだ。少々期待はずれであった。ネット書店で本を買ふと、かういふ失敗はどうしても避けられない。
さて、そのなかに『悲劇的結末を迎えた「徳川四天王」』といふ項目がある。これがまことにお粗末なものであった。
ちょっと引用してみよう。(ルビは略)

 とくにこのなかでも本多作左衛門忠勝の働きは、後生(ママ)に燦然と輝く華々しいものが多い。生涯57の戦いに赴いて、傷ひとつ負わなかったといわれ、その戦場での鬼神の如き戦いぶりから、忠勝のふたつ名は「鬼作左」。(後略)

本多忠勝の通稱は作左衞門ではなくて平八郎だ。「家康に過ぎたる物が二つあり、唐の頭と本多平八」といふことばを知らんのか。作左衞門は、おなじ本多でも本多重次の通稱だ。參河三奉行の一人であったとき、「佛高力、鬼作左、どちへんなしの天野三兵」と謳はれたのだ。ここからわかると思ふが、「鬼作左」といふのは、むしろその性格を評していったものだ。主君家康に對してさへも、平氣でづけづけと諫言したやうな剛直な人だったらしい。
しかし、ただ剛毅で氣性のはげしいだけの人物ではなかったやうだ。重次關連で一番世に知られてゐるのは、彼が妻にあてた手紙文。曰く「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」。この手紙文や、また、奉行をつとめてゐたことから察するに、才知もあった人なのだらう。

それからこの項目、あとの方にはこのやうなところもある。

 だが、江戸時代になり、家康は彼らに重要なポストを与えたのかというと、実際はそうでもなかった。直政は戦の傷がもとで早死にし、忠次は家康と不仲になって疎遠となり(後略)

えーと、「江戸時代になり」って、酒井忠次は關ヶ原の戰ひの4年も前に死んでゐるんですが。「不仲になって疎遠となり」っていふのは、家康の長子信康が嶽父織田信長から武田勝頼との内通をうたがはれたとき忠次が辯解しなかったために(ばかりでもなからうが)切腹させられた、といふ事件があり、家康がそれを遺憾としてゐたといはれてゐる(異説あり)ことを指してゐるのだらうが、なんにしろ「江戸時代にな」ってからのことではない。
さらにこの項目についてゐた小見出しは「残ったのは2家」となってゐる。直政と忠次をのぞいて2家、ってことなのだらうけれど、「家」單位でみれば、4家とも大名として明治維新をむかへてゐる。殘ったのは2人、ならともかく、2家ではまったくまちがひだ。
こんな初歩的なまちがひが平氣で載ってゐるところをみると、山本教授は監修の名義を貸しただけで、原稿をまったく讀んでゐないものと推察する。もし讀んでゐてこれだとしたら、織豐時代~江戸時代を專門とする歴史學者としては、あまりにはづかしい。監修の名義を貸すのなら貸すで、原稿のチェックぐらゐはしてほしい。御自身で書かれた著書は結構おもしろいのだから。

ところでこの本の別の項目にだが、「食べあわせ」なる表現が出てくる。この編プロの人たちは、歴史知識だけではなく、日本語にも不自由なやうだ。きっと道草を食べたりしてゐる人たちなのだらう。こんな指摘をされて、いまごろ泡を食べてゐたりして。出版不況のあふりを食べたり、詐欺師に一杯食べさせられて倒産したりしないやうに氣をつけてくださいね。

« 2010年6月 | トップページ | 2010年8月 »

2017年7月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31          

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

ninja