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長文雜記

いや、いつも雜記なんですがね。別のタイトルで書き始めたんですが、書いてゐるうちにどんどんちがう方向に走っていったので、意味のないタイトルにしてみました。
さて、本文。
『たぬきちの「リストラなう」日記』といふブログがある。といふか、あった。過去形なのは、一應5月末をもって終了してゐるからだ。ただし、正確に言ふと最終エントリは6月1日の投稿だし、しかも6月2日に追加エントリの投稿があったのだけど(後述)。
このブログは「都内のわりと大手と思はれる出版社」(としか書いてゐないが、あきらかに光文社)ではたらいてゐるたぬきちさんが以前から別のタイトルで書いてゐたものだが、勤務先が3月中旬に希望退職の募集をはじめ、それに應募することにきめてからタイトルを變更して、退職日である5月末日まで限定で自分と勤務先のリストラ關係のことを書いてゐたものだ。
粗忽亭は本といふものが大好きで、ジャンボ寶くじにでもあたったらとっとと仕事をやめて本だけ讀んで暮らしたい(いや本當は音樂も聽きたいしネットものぞきたいので“だけ”といふのは誇張ですが)やうな人間なので、出版社まはりのことなんかについてもなにかと興味がある。
ここ數年は出版不況の聲は耳にたこができるぐらゐ聞こえてくるし、今年はまづまちがひなく「電子出版元年」になるだらうと言はれてゐる。もう出版社も從來のビジネスモデルが通用しなくなってきてゐる。だからこそ光文社でもリストラをやるわけだ。そんな出版社の内側にいる人の生々しい聲が聞けるといふのはなかなかない機會だ。そんなわけでこのブログの存在を知ってから、ずっと讀み續けてきた。
出版社のかかへるいまの問題點の指摘や、將來への提言(といふほどはっきりしたものではないが)などは興味深かった。しかし、讀んでいくうちにもう一つおもしろいところが出てきた。それはコメント欄だ。なにがおもしろいかと言って、それはたぬきちさんの書いてゐる内容(あるいは方向性)とコメント(もちろん一部の、ですが)とのズレがおもしろかったのだ。ああ、俺ってつくづく性格惡いなあ。
たとへば、光文社は希望退職者にとても優遇された條件を用意して、しかもいはゆる肩たたきなどもなく、みづから手をあげる人だけをきちんと會社都合退職としてゐる。たぬきちさんもこの機會にまったくみづからの意志で退職をえらんだのだけど、「安易に退職を受け入れてはだめだ」とか「個人加入できるユニオンに入れ」とかいふ聲があったりした。
まあ、「リストラ」といふタイトルのために心ならずも退職に追ひ込まれる、といふふうに受け取っちゃったのかもしれないけど、きちんと本文を讀めばさういふものではまったくないことがわかると思ふのだけど。
それからこのブログを會社に對する告發だと受け取ってゐる人が多かったのもおもしろかった。たぬきちさんには會社に對するうらみもつらみもなく、感謝と愛情をいだきつつやめていくのだとしか粗忽亭には受け取れなかったのだけど。
コメント欄の風向きがかはってきたのは、たぬきちさんが自分の年收や、今回の早期退職の條件などを書いてから。たぬきちさんはいま四十代なかばで、年收は千數百萬圓、といふところらしい。そのあたりが書かれてから、やたら批判的な、といふよりはヘイトコメントが多くなってきた。いやー、金錢に關する嫉妬ってコワいねー。それに價するほどの仕事ぢゃないだらうとか、それにくらべて書店や、印刷業や、あるいは著者は安すぎるとか。多くの場合は自分とくらべてたぬきちさんの惠まれぶりが氣に入らない樣子だった。
いや、これはたぬきちさんを批判したってしかたないだらう。そりゃたしかにこの年收は決して低い額ではない。でも、たぬきちさんは高額の給料をはらう光文社に入社を希望して採用されたのであり、粗忽亭をふくめてさうぢゃない人は光文社に入社を希望しなかったか、あるいは希望しても採用されなかったのだから、それをねたんでもしかたがない。
はなしはかわるけど、國立大學の授業料はむかしはとても安かった。學生が數日アルバイトすればかせげてしまふ程度の額だったりした。いまは高くなったとはいへ、それでも私立にくらべるとまだ安い。それでゐて國立大學の方が教育條件は良かったりする。教員一人あたりの學生數とか。しかも、たとへば東京大學なんかだと、その安い學費でこの分野では日本一、どころか世界一、なんて教員の指導を受けられたりする。
これについて、「俺は私立の××大學生だが、講義はマスプロだし、教授にろくな人材もいない。それなのに授業料は東大の方が安い。東大生はケシカラン。」と言ってもしかたがない。だって、その人は東大の入試を受けなかったか、受けても合格しなかったのだから。それとおなじことだと思ふ。
それよりもなによりも光文社の給與水準に驚いてゐた人が多いのが粗忽亭には意外だった。だって大手の、あるいは歴史のある出版社の給料が高いのは周知の事實だと思ってゐたから。それが善い惡いではなく。私などは光文社クラスなら四十代で二千萬圓ぐらゐはあるかと思ってゐたので、むしろ意外に少ないのね、と思ったぐらゐだ。
それで、そのへんが一段落したと思ったら、今度はたぬきちさんが會社のことを書いてゐるのは守祕義務違反だのなんだのと騷ぎ立てる人がちらほら。でも、さういふコメントを書く人が、具體的にどこが守祕義務違反だと指摘したものは見かけなかった。そもそも光文社の希望退職募集は對外的にも發表されてゐるのだし、それ以外の記事内容も「業務上知り得た祕密」に該當すると思はれるものは無いと思ふのだけど。勤務先のことをいろいろ書くと氣まづい、といふのはあるだらうけど、氣まづいのと守祕義務違反とはちがふ。第一、たぬきちさんの同僚の多くが、すなはち會社側もこのブログの存在を知ってゐるのだから、本當に「守祕義務違反」に相當することがあれば會社の方がアクションを起こすはずであり、他人がとやかく言ひ立てることではない。粗忽亭はこのやうになんでもかんでも「自肅」させようとする風潮が大きらいだ。かういふのは一種の檢閲みたいなものだ。まあ亞檢閲とでも言はうか。
日本の戰前の檢閲は國家が強權をもっておこなったものだが、その分はっきりしてゐた。基本的に軍や天皇に關すること、共産主義思想をほめたたえるやうなことはアブナイけど、それ以外はたいていなにも言はれない。それにくらべて現代の亞檢閲は國家でもない、強權も持たない一個人や民間團體などがそれとなく壓力をかけてくることが多い。これは著作權侵害ぢゃないかとか、名譽毀損になるかもしれませんよとか。とても陰濕な感じがある。
新聞雜誌の記事だらうが個人ブログだらうが、さういふリスクは筆者(新聞雜誌記事および書籍等は新聞社、出版社等も)が覺悟して引き受ければよい話であって、他人がとやかく言ふものではない。その記事によってなんらかの權利が侵害されたとか、自分の名譽が毀損されたとか思った人がいたら本人が筆者や出版社に抗議したり交渉したり、それでもらちがあかなかったら、訴訟を起こすなりすればよいだけのはなしだ。
それかあらぬかブログなどネット上の個人的な文章でもやたら伏字を多用する人がいるのも見苦しい。伏字などといふものは權力側から強制された場合、あるいはその介入を未然にふせぐためにやむなくおこなうものだ。それも戰前のそのての出版物などを見たらわかるとほり、數ページにわたってほとんど全文とか、段落丸ごととか、肝になることばを片っ端にとか、とにかく、少なくとも豫備知識なしではなんのことかわからないぐらゐに削ってしまふものだ。ミッキー○ウスとかマイ○ロソフトとかのやうにだれでもわかるやうな伏字なんか見苦しいだけでなんの益もない。まあ半分洒落でやってゐる場合もあるのだらうが、おもしろいとも思へない。このてので感心したのはセ○ラ○ム○ンといふ伏字ぐらゐだ。一文字おきに伏字にしただけのやうに見えて、伏せた部分は全部長音記號だもんね。これを見たときは笑ったなあ。
なんかはなしがあっちこっちに飛んでゐるが、もとにもどして。「リストラなう」のはなし。
とにかくさういふ批判的なコメントもほとんどなくなってきて、最終的には好意的なものがほとんどにおちついてきた。そんな中、前述のとほり、6月1日の記事をもって最終回をむかへた。はずだった。
ところが6月2日に『【お知らせ】「リストラなう」にコメントを寄せてくださったみなさまへ【とても重要】』といふエントリが掲載された。内容は(1)「リストラなう」が新潮社から書籍化される。 (2)その際にコメントの一部も收録したい。 (3)コメント不掲載希望の人は指定の方法(結構面倒)で申し出てくれ。 といふやうなこと。
いやー、さうするとそのエントリにコメントがつくわつくわ。ほとんどが批判コメント。
ブログが出版されるといふことそのものに對して怒ってゐる人。すべてが企劃だったのか、とか言ってゐる人。そしてもっとも多いのが一件一件承諾をとることなく、不許可の人だけ申し出よといふ方法に對する文句。法的にあぶないよ、といふ人も。いやしかし版元は新潮社だよ。あの『電車男』の。『ブラック会社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』の。そっち方面の經驗は積んでゐるし、著作權に強い顧問辯護士もかかへてゐるはず。それ以前に法務部門もしっかりしてゐるよ。でなければ週刊新潮なんかこわくて出せるはずがない。たぬきちさん個人に辯護士をつけるやうすすめる人もいたけど、そんなことよっぽど賣れっ子の作家でもないかぎりやりませんよ。そんなことしてゐたら印税なんか全部ふっとんぢゃふ。ましてや職業作家ぢゃない(継續して文章書きで生計を立てるわけではない)人がそんなことしませんって。出版物の内容(著作權關係であれ、名譽毀損等であれ)で問題があるときは著者と發行者との兩者が責任を問はれるのが普通だから、個人でいちいち心配して對策をとってもしかたありません。そのための出版社の法務部門であり、顧問辯護士なんですから。
批判してゐる人は、かつてヘイトコメントをつけた人、自分のコメントが利用されるのがおもしろくない人、このブログが出版されてたぬきちさんや新潮社の利益になるのがおもしろくない人、等々いろいろあるやうだが。
それにしてもネット環境さへあれば世界中どこからでもタダで讀めるブログにコメントを載せておいて、ときには匿名で口汚い批判を書いておいて、人の目にふれるハードルがはるかに高い書籍に載せられるのはいや、といふメンタリティーが理解できない。そもそも一度書いて發表(ブログへのコメントもそれに該當する)してしまった文章といふものはある意味筆者の手をはなれてしまふ。もちろん著作權がないといふ意味ではないよ。綸言汗の如しではないけれど、取り戻すことはできないのだし、それ相應の責任が付隨する、といふことだ。それをある出版物で補助的につかわれても文句をいう筋合ひではない、といふのが(法律論とは別の)粗忽亭の感覺なんだがなあ。
上記の『電車男』や『ブラック會社に勤めてるんだが、もう俺は限界かもしれない』や『世界極上ホテル術』なんかとちがって著者本人の文章がメインで、コメントは添へ物にすぎないのだし。書いて發表したものに對して、それが自分の意圖せざる利用だといへど、もう書いてしまったものはしかたがない、と思ふのだけどね。
そんなわけで粗忽亭があちこちに書き散らしてゐるコメント(「リストラなう」には書いてゐません)がさういふものに收録されるやうなことがあっても一切文句は言ひません。また、粗忽亭日乘へのコメントも、書籍化の際には收録されてしまふかもしれないと覺悟のうえでお寄せください。って、そんな可能性は一恆河沙に一つもありませんが。あ、だれですか、一不可説不可説轉に一つもないと言ってゐる人は。

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コメント

私も読者で書き込みもしました。書籍化は想定してませんでした。どのくらい売れるか分からないし、このブログはリストラ物ではなく、出版の未来についてなので、一般的にどれだけ興味が持たれるのか想像できなかったからです。でも出すならたくさん売れてほしい。まずは週刊新潮で取りあげていただいて、夕刊紙→ワイドショーの流れはどうだろう?
当然ネットも活用してのメディアミックスで。出版業界は電子書籍、再販制度、図書館やリサイクル書店の印税問題、広告収入激減によるビジネスモデルの変更など様々な問題があります。その問題を広く知ってもらい議論が盛り上がりよい方向へ進むする起爆剤になってほしいのです。あと大学の教科書関係高過ぎ!発売まであと2ヶ月。どこまで話題にさせられるかだと思います。私は期待しています。

>よいこらさん
コメントありがたうございます。
おっしゃるとほり、このブログの主題は出版と出版業界の未來ですので、そのへんに興味を持ち、お金を出してまでさういふものを讀まうと思ふ人がどれぐらゐいるのか、ちょっと想像がつきませんね。
ただ單に賣れるといふことなら、不當な解雇にあってなげいてゐるとか、それに怒ってゐるとか、失業してみじめな思ひをしてゐるとか、さういふ内容の方がずっと賣れさうな氣がします。なんといっても他人の不幸は蜜の味、と申しますから。
一般の讀者にではなく、むしろ廣い意味での出版關係者の方が興味をもつかもしれませんね。新潮社がどういふ層をターゲットと想定し、どのやうな販賣戰略をとるのかにも興味があります。

どう編集されるかですね。年収公表のあたりはコメントは全て載せるべきでしょう。僻みヤッカミが読んでて清々しい(笑)でもそこじゃない、出版の未来なんですよね。新潮社もそこに目をつけてくれているはずなんだけど・・・
ただ、あのブログでは版元・書店の視点はありましたが、読者視点がなかった気がします。本の価格のつけ方が私は知りたい、説明してほしい。価格によってターゲットも変わりますよね?「リストラなう」は1365円、この価格ってどうなんだろ?出版するにしても新書程度?の値段かと思ったので。
あとリストラされた会社名公表するんですかね?一応まだ伏せてるじゃないですか。

本當にどう編輯するんでせうねえ。コメントの選別って相當むづかしいと思ひますけどね。全部載せてゐたら本文よりコメント部分の方がはるかに多くなってしまふし。
コメントの著作權處理に關してもグレーなままで突っ切ってしまふやうですし。だからこそ反撥を生んでゐるんですけど。
純粹に出版の未來についてをテーマとするのなら、コメントなしで書籍化した方がよかったかもしれませんね。まあコメント欄のグダグダがおもしろかったのも事實なので、あった方が賣れゆきはよいかもしれませんが。
版元だけではなく、著者も出版に關してはプロなので、それなりのもくろみあってのことでせうけれども。

> ただ、あのブログでは版元・書店の視点はありましたが、読者視点がなかった気がします。

おっしゃるとほりだと思ひます。まづお客樣によろこんでいただいて、そのうえで利益の確保をはかる、といふのが理想的な商賣のやりかただと思ふのですが、さういふ順序が必ずしも意識されてゐなかったやうには感じます。
それでもあのブログと書籍化が「本の未來」に對する一石になればよいな、とは願ってゐるのですが。

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