« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2009年7月に作成された記事

キリ番、Get!

一昨日の25日土曜日、きららホール(船橋市民文化創造館)で開かれたSalle Gaveauのライブに行ってきた。開場時刻の14時30分ちゃうどごろに着いて當日劵を買ふと、整理番號がちゃうど200番!キリ番、Get!でした。
ちなみにこのホールの定員は264名ださうです。わたしのあとにも來た人もゐるから、ほぼ滿席でした。Salle Gaveauってなかなか動員力があるんですね。このホールは船橋市營のやうで、このライブもホール自身の主催公演です。ホール主催公演自體についてゐるお客さんも結構ゐるみたいですが、なんにしろこれだけ入るといふのはめでたいこと。え、內容はどうだったって?もちろん言ふまでもなく、すばらしいものでしたよ。

この緊張感のない誤植はなんなのだ

今日の朝日新聞東京本社版に「週刊首都圏」といふ連載で「銭湯の富士山、継承なるか」といふ記事がのってゐる。そのなかにこんな記述が。

だが、東京都公衆浴場業生活生活衛生同業組合(都浴場組合)によると(後略)

なんだよ、「生活生活衛生同業組合」って。ちゃうど行がかはるところだったから見のがしたのだらうとは思ふけど。この手の記事といふのはニュース記事とちがって、時間的に餘裕をもって締め切ってゐるはずだろ。もうちょっと緊張感をもって、まともに校正をしてほしいものだと思った。

いまどきの新聞の日本語

ときどき新聞の日本語がなっとらん、といふ記事を書いてゐるけど、また一つ見つけてしまった。
6月30日付(すこし古くてすまん)の朝日新聞朝刊國際面の寫眞についてゐたキャプション。
「バグダッド中心部の検問所で28日、警備にあたるイラクの警察官=AP。バグダッドはこの日、ふだんからよく起きる砂嵐に見舞われ、昼間から夕方のような明るさだった」
あのねえ、晝間なのに砂嵐のせゐで薄暗かったと言ひたいんでせう。それなのに「○○のやうな明るさ」はないでせう。それだと本來よりも明るかったのかと思ってしまひますよ。「歌舞伎町は夜中でもネオンがかがやき、晝間のやうな明るさだ。」とかね。
いやもちろん「明るさ」には「明度」といふ意味があることは知ってゐますよ。だからこの文をまちがひだとは言はない。でも、わかりにくいへたくそな文だとは言へる。すくなくとも文を書くのが仕事である新聞記者が書くべき文ぢゃない。どうして「晝間でも夕方のやうな薄暗さだった」とか書けないのかねえ。

なぞだ

先日、電車ですわってゐたときのこと。
わたしのまへに立ってゐた、二十歳前後のにーちゃん。茶髮を立てて、サングラスをかけて、あごひげをはやして、I-podかなんか聞いてゐて、服は派手なTシャツにトレパンみたいな感じ。いかにも「にーちゃん」(あるいは「あんちゃん」か)といふ感じのいでたち。
それなのに讀んでゐたのが「PRESIDENT」。なんてそぐはないんだー、と思った。
いったいあれはなんだったんだらう。

この方がよっぽど差別ではないのか

朝日新聞7月4日夕刊のbe evening面に掲載された連載「天才の育て方」は「千住博、明、真理子のおかあちゃま 文子さん」の第1回目(asahi.comにも掲載あり)。
わたしは不勉強にして千住博、明、真理子さんの三人とも存じ上げないのだが、記事によるとかういふ方ださうだ。

長男の博(51)は日本画家。京都造形芸術大学学長で、大徳寺聚光院別院のふすま絵も手がけた。次男の明(48)は、映画やドラマの音楽から純音楽まで幅広いジャンルを扱う作曲家。長女の真理子は世界的なバイオリニスト

なんで三人のうち、お一人だけ年齡が記されてゐないんですかね。
え、真理子さんは女だからだらうって。いや、それはわかってますよ。でも、お母樣の方は

3人を育てた文子(ふみこ)(83)

とはっきり書いてあるのに。まったく解せませんね。
そもそも知らない人物のイメージを浮かべるのに年齡といふのはきはめて有用な情報のはずだ。たとへば「このたび芥川賞を受賞した○○さん(20)」と書いてあれば「この若さで芥川賞。早熟の俊英だな。」とか思ふわけだし、「このたび芥川賞を受賞した○○さん(62)」なら「いままでいろいろ苦勞されたかたなんだらうか。あるいは年をとってから小説を書き始めたんだらうか。どちらにしろ人生經驗の重みがありさうだな。」とか思ふわけでせう。
もちろん、一切年齡を書かないといふ立場もあってよい。たとへば先の例なら、その人がすぐれた小説を書いて、先達にみとめられて芥川賞受賞にいたったんだ、といふことさへわかればよいといふのなら、年齡は不要だらう。
しかし、一文の中に年齡ありとなしが共存してゐるといふのは、あきらかに不自然だ。よくはわからないが、女の年齡は書かないのが禮儀、といふわけのわからない「常識」が關係してゐるのだらう(ぢゃあ文子さんはどうなんだよ、とは思ふが)。
これこそ差別ではないのか。どちらに對する差別なのかはわからないが、男と女であつかひがちがふといふことは、あきらかに男女差別ではないのか。
さらに言ふ。女の年齡は書かないのが禮儀といふことになってゐるのだとしたら、それはなにゆゑか。年をとってゐると見られたくない(知られたくない)からか。だとすると、女の高齡者は無價値だといふことなのか。それは高齡者に對する差別であり、女に限って高齡者が無價値だといふのなら、それこそ女性差別といはざるを得ない。
どちらにしろ、不可解きはまる書き方であると思った次第だ。

心配したとほりになってきた

所謂兒童ポルノ禁止法の改正案が衆議院で審議されてゐますね。その審議の中でこんなやり取りがあったさうですよ(リンク先參照)。
「10年前、20年前、30年前とかに製造・販売されて手元にあるものを、そんなものをみんな調べるんですか?」と問いただした枝野議員に、法案提出者である自民党の葉梨康弘議員は、こう答弁した。
「児童ポルノかも分からないなという意識のあるものについては、やはり廃棄をしていただくのが当たり前だと思います」

ださうです。
つまり、かの宮沢りえさんの「Santa Fe」だって持ってゐるだけで犯罪になってしまふ可能性があるといふことです。
みなさん、「Santa Fe」ですよ、「Santa Fe」。あの一大社會現象になった、150萬部が賣れた「Santa Fe」ですよ。日本中いたるところにありふれてゐるあの「Santa Fe」ですよ。アイドル好きのあなたも、寫眞好きのあなたも、ブームにはとりあへず乘るミーハーのあなたも持ってゐるんぢゃありませんか。もう18年もまへに出た本ですから、買ったには買ったけど、どこにしまひこんだかわからなくなってゐる、といふかたも多いと思ひます。
そんなみなさんもこの改正案が通ったら、1年以内にさがし出して捨てないと「兒童ポルノ所持者」といふ忌まはしい汚名のもと、逮捕されてしまふかもしれないのですよ。
わたしは以前のエントリーで、たとへば「カメラ毎日」のバックナンバーを持ってゐるだけでも逮捕されかねない、と書きました。それが現實化してしまひかねないのですよ。
いや、さすがにわたしも「Santa Fe」まで違法になるとは思ひませんでした。現實はわたしの心配を上回ってしまひさうです。
法案提出者である自民黨の葉梨康弘議員は
廃棄までに1年の猶予があり、有名なものなら政府が(違法になるかどうかを)調べるとも述べた
さうですが、調査對象になるものなんてごく一部でせう。それこそ「Santa Fe」だとか、篠山紀信さんの「少女神話」だとか。むかしアラーキーが大量に少女寫眞を撮ってゐたことがありましたね。あれなんかどうなるんでせうね。「Santa Fe」がだめなら、沢渡朔さんの「少女アリス」なんて絶對だめでせうね。藝術だって言っても認めてくれないでせう。
澁澤龍彦先生愛藏の古寫眞「交叉する少女」(でしたっけ)なんかまちがいなくアウトでせうね。さういへば、むかし澁澤龍彦展でカタログがはりに賣ってゐた季刊みづゑ編輯部「澁澤龍彦をもとめて」にこの寫眞、收録されてゐたやうな氣が。こんな本、どこに行ったかわからないよ。この改正案が通ったら、わたしも「Santa Fe」御所持の皆樣方や白田秀彰先生ともども犯罪者の仲間入りですね。とほほほほ。

« 2009年6月 | トップページ | 2009年8月 »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

ninja