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2009年1月に作成された記事

則天文字は漢字にあらず?

朝日新聞1月24日夕刊にのってゐた「はみ出し歴史ファイル」。『徳川光圀 荷が重くて?「光国」から改名』といふ記事。筆者は以前にもネタにさせていただいたときとおなじく「歴史研究家・野呂肖生」。以下に記事を引用する。

 3代将軍・徳川家光から与えられた「光国」の名は、中国の古書「晋書」の「聖徳龍興して大国を光有す」によるが、56歳の時、自ら「国」を「圀」に変えた。「圀」は漢字ではなく、則天武后が定めた約20の則天文字の一つ。「光国」では、いささか荷が重いから、漢字より格下の則天文字に変えたのではないかと考えられている。

うーん。まあ、「晉書」云々といふのもまちがひとはいへなからうが、家光の偏諱をあたへられた、とするのがもっとも素直な解釋だと思ふ。
それよりもおどろくのは、この筆者によると則天文字は漢字ではないらしい。漢字ぢゃなければ一體なんなのでせう。則天文字といふのは、武則天が定めた新しい漢字字體なわけなのだけれど。
それに則天文字が漢字より格下といふのはどういふ意味だらう。恐れ多くも大周帝國の女帝が定めた文字ですよ。則天文字の中には「曌」といふ武則天專用の文字まであるのですよ。どうして格下などといふことがありませうか。
則天文字が「漢字」より格下だといふのなら、ぜひともその根據を敎へてほしいものです。

1月21日 鬼怒無月アコースティックギターソロ at lete

鬼怒さんのギターソロライブは結構おこなはれてはゐるものの、粗忽亭はあまり行ってゐない。多分いままで1回しかないんぢゃないかなあ。理由は、かういふライブは割と郊外の、それも小さなお店でやることが多いから。豫約しておかないと入れるかどうかわからなかったりするんですね。ピットインの豫約は單なる優先入場權のやうなものだから行けなくなってもあまり問題はないのだが、かういふライブは人數限定だったりするので、豫約しておきながら行けなくなる、なんてわけにはいかない。お店に迷惑がかかってしまふ。それゆゑ確實に行けさうなときにしか豫約できないのだ。そんなわけで、粗忽亭にとってはたいへんレアな鬼怒さんのソロライブなのである。
leteといふのは下北澤にある小さなCafe&Bar。ライブは20名限定だけど、これだって結構無理に椅子をならべてゐる感じ。そんな親密な空間でのライブでした。
で、この日のライブは、結論から言ってすごくよかった!の一言につきます。客の中に粗忽亭の知り合ひが何人かいたけど、そのうちの一人も、人間のやることだから好調不調はあるけど、今日はすごくよかった、と言ってゐた。バンド編成でストラトを高速・大音量で彈くときは調子惡いなら惡いなりにごまかしも聞くだらうけど、アコギソロぢゃそんなわけにいかないだらうからね。
この日やったのは、3曲をのぞいてあとは卽興だったのだけど、1曲をのぞけば、すべて曲想もすばらしいものばかりだった。そしてもちろん演奏は言ふことなし。とてもソロとは思へない。これ、音だけ聞かされて、ギターデュオだよって言はれたらみんな信じてしまふんぢゃないだらうか。などと思ったりしたのでした。
普段は大音量なライブにばかり行ってゐる粗忽亭だけど、かういふのもしみじみ良いなあ。本當に行ってよかったと心から思へるライブでした。

新常用漢字の音訓もいまひとつ整合性に缺けるやうな氣が

今日の朝日新聞朝刊に《新常用漢字表をよむ 上 「書く」から「打つ」に対応》といふ記事が出てゐた。新常用漢字表(正式名稱未定)は、かなり制限色の薄まったものになり、なにかと柔軟になるやうなのだが、この記事を讀んでゐてちょっと氣になったことがある。それは

 「私」の訓「わたくし」に「わたし」が追加されるのは意外だった。「わたし」の方が実際にはよく使われているから。二つの訓の入れ替えも検討されたが、現状では難しく、併記することにした。

 「世界中」とか「町中」と言う時の「中」の音「ジュウ」は、実は常用漢字表になかったので追加される。

 「十」の音も「ジュウ」と「ジッ」だけで、「ジュッ」はなかった。常用漢字表の約束事だけに従えば、「十回」は「ジュッカイ」とは読めないわけだ。新常用漢字表では「ジュッ」という音も認めることを備考欄に注記する。

といふ部分。「私」や「中」の方には特に異論はないのだが、「十」の讀みに「ジュッ」を認めるといふのはいかがなものだらうか。
「十」の音は、もとの支那語のjipといふ音がjip→jipu→jifu→jiuと變化したものが「ジュウ」(正かなでは「ジフ」)であり、jip→jipu→jitu→jitと變化したものが「ジッ」である。(註1) よって「ジュウ」と「ジッ」の二つの音があるのだ。「十回」は「ジッカイ」であって、「ジュッカイ」といふのは二つがまじった、いはばなまりにすぎない。(註2) いや、「ジュウ」だから「ジュッカイ」ぢゃないかとおっしゃる向きもおありだらうが、その傳でいけば「九回」は「キュッカイ」になってしまふ。(註3)
實際に口から出る發音はともかくとして、新常用漢字表のやうな場でなまりを、いはば公式に認めてしまふといふのは不適當なのではないだらうか。
もちろん、實際には「ジュッカイ」と發音してゐる人が多いのだから、といふ考へ方もあるだらう。しかしそれを言ひ出したら、どこで線を引くべきかといふ難問が發生する。引用文中の前半部分では「私」の訓について書いてある。「わたし」といふ訓は「わたくし」が縮まったものだが、これは「わたくし」から「わたし」といふ語(あるいは訓)が派生したと解釋できるので、「わたし」が追加されるのは妥當だと思ふ。しかし、「私」を「あたくし」とか「あたし」となまって發音する人は少なからずゐるが、これは採用されてゐない。「ジュウ」といふなまりは許容で、「あた(く)し」といふなまりはダメといふ根據はなにかと問はれたら、きちんとこたへられるのだらうか。
さういふことを考へあはせると、新常用漢字表の音訓には「なまり」は採用しない方がよいと思ふ。表には原則の音訓だけをのせる。ただし、實際の發音に關してはあまり目くぢらを立てない。(註4) さういふ對應が一番よいのではないだらうか。

(註1)簡略化して書いてゐますので、「いや、その説明では不當だ、そもそも入聲といって云々」といふ御指摘は御容赦ください。
(註2)だから「備考欄に注記する」かたちをとるのだらうが。なほ、 わたしも日常的には特に意識しないかぎり「十回」は「ジュッカイ」と發音してゐます。
(註3)「九」は入聲ではなく、漢音としては「キュウ」(正かなでは「キウ」)のみで、「キッ」といふ音はありません。なほ、「ク」は呉音。おなじ「キュウ」でも「急」は入聲なので、「キュウ」(正かな「キフ」)のほかに「キッ」の音があります。常用漢字音訓表にはのってゐませんが。用例としては、あまり思ひつかないので當て字でまうしわけありませんが、「急度」(キット)なんてのがあります。
(註4)つまり、ふりがなをつけるのなら「ジッカイ」だけど、「ジュッカイ」と發音しても許容する、といふことです。「わたし」だって、一部地方の人はさう書いて「ワタス」のやうな發音をするでせう。それはそれで良いのではないかといふのがわたしの立場です。

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