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「カリ城」の破綻點

「たけくまメモ」に「パンダとポニョ」といふエントリがあがってゐます。なかなかの長文で、3回に分けてアップされてゐます。その(1)その(2)その(3)
で、その(2)で竹熊さんは

宮崎アニメについては昔から言われていることがふたつあって、それは「プロット(物語の組み立て)が破綻している」ということと「プロットの破綻が気にならないほど映像が素晴らしい」ということです。

と書いてゐます。
それに關連して、コメント掲示板の方で、さういふ破綻は「千と千尋」以降だ、いや、むかしからだ、「カリオストロ」はストーリー無茶苦茶だ、いやいや「カリオストロ」は、ストーリーはタイトなつくりだ、ストーリーは無茶苦茶ぢゃない、云々なんてやりとりがありました。
それでおどろいたのが、宮崎監督のファンの中には、「カリオストロ」のストーリーが破綻してゐないと思ふ人もゐるのだな、といふことです。
わたしはもうだいぶ前からアニメに對する、といふより、フィクション全般に對する興味がうすれてゐるので、宮崎監督の作品も「紅の豚」(これもテレビで見ただけ)を最後に見てゐないのですが、元おたくとして、「カリ城」は大好きな作品です。しかし、この作品に破綻がない、あるいはストーリーが無茶苦茶ぢゃない、といふ人が、少なくともファンの中にゐるとは思ってもゐませんでした。「カリ城」の偉大なところは、ストーリーの破綻などものともしないおもしろさにあると思ってゐたからです。
だってさうでせう。冒頭、ルパン一味は國營カジノから大量の現金を強奪しますが、それがゴート札だと氣づくと、惜しげもなく捨ててしまふ。これはルパンの、超一流の泥棒として、僞札などぬすんでよろこんでゐられるか、といふ矜持だと解釋できるでせう。(Wikipediaによると家訓らしい)
しかし、そのあと、つぎの仕事は決まったと言ってカリオストロ公國に潛入するわけですが、その「仕事」といふのがなんなのかさっぱりわからない。なにを目的に潛入したのか謎なんですね。泥棒が「仕事」といふ以上、なにかを盜むことが目的のはずなんですが。わたしの記憶では、それについて語られてゐる場面はなかったやうに思ひます。
でまあ、潛入に成功してみると、城内にたまたま不二子がすでにもぐりこんでゐる。これなんかご都合主義としか言ひやうがありません。
それで、カリオストロ公國内でのルパンの行動を見ても、なにひとつ本來の泥棒としての行動をとってゐるやうに見えないのです。いみじくもラストシーンでクラリスが、あの人はなにもぬすんでゐない、わたしのためにたたかってくれただけ、と言ふやうに。
そして、不二子がゴート札の原版を持ち出していくのを見ると、それに色氣を示してゐます。それって、冒頭で僞札をおしげもなくまきちらしたのと、どうかんがへても矛盾してゐます。
このほかにもこまかい矛盾點はいくつもあります。でも、それをこえて「カリ城」はおもしろい。何度見てもおもしろい。單純に爽快、痛快といふだけでなく、感動さへしてしまふ。「カリ城」の眞骨頂はここだとずっと思ってゐました。
くりかへしますが、わたしは「カリ城」が大好きです。現役のおたく時代には、何度もくりかへして見ました。だから、この作品をけなす氣もちなんてさらさらない。
でも、いや、それだからこそ思ふのです。この作品を「ちゃんとしたストーリー」といふのは、ひいきの引き倒しではないかと。むしろ、さういふ矛盾點すら超越した傑作なのだと、素直に解釋すればよいのではないでせうか。

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コメント

竹熊さん、随分皮肉屋ですね。
そこからのリンク先の町山さんのラジオでの発言も併せて思はず笑ってしまひました。
(「息子に駿って呼ばせているなら赦す」「絶対、人や家畜が死んでる」とか。)

各方面で云はれてゐることですが、「ポニョ」は今までの宮崎作品にも増して難解といふか、矛盾点が多く意味不明な内容らしいですね。
伊集院光さんもラジオで「このまま宮崎先生が突っ走ってくれたらデビットリンチになれる」といふ風なことを云ってゐました。
また、「宮崎監督は大人が理解できなくても子供に解ってもらへればいいと思って作っているのかもしれないけど、当の子供が上映中に何度も親に「これはどういう意味?」などと繰り返し訊いてゐた」とか、
「上映前に「ポーニョポーニョ♪」と唄ったりして、あれほど元気の良かった子供たちが皆、静かになってゐた」云々。
なんだか、ここまで云はれると逆に観てみたくなりました。
いつかテレビで放映されるでせうからその時を待ちたいと思ひます。

粗忽亭主人さんが記事で指摘されてゐるやうに宮崎作品におけるストーリー上の矛盾点は「カリ城」からあったことです。
ただ、それが気にならないほどのエンターテイメント性が宮崎監督の魅力でした。(勿論、映像の魅力等も含めて)
今度の「ポニョ」の評判が芳しくないのは「カリ城」やのちの「ラピュタ」あたりにあったエンターテイメント性よりも宮崎イズムのやうなものが前面に出てしまった結果ではないかと思ってゐます。

>あび卯月さん

コメントありがたうございます。10日ほどネットと縁のない生活をおくってをりましたので、返信がおそくなりました。おゆるしください。
宮崎監督の作品にかぎらず、名畫とよばれる映畫には、往々にしてプロット乃至ストーリー(この二つをどう使ひ分ければいいのか、わたしは理解してゐませんが)に破綻や矛盾があるものです。でも、それが氣にならない。極言すれば、プロット、ストーリーの破綻、矛盾が傷にならない映畫を名畫と呼ぶのかもしれません。
いはゆる藝術映畫についてはどうかはわかりませんが、娯樂作品としての映畫の價値は見てゐておもしろいこと、これにつきると思ひます。そのためにはあへて破綻や矛盾を内包した作品をつくることさへあってよいのではないかと考へます。といふより、實際に脚本を書きながら、「ここはあそこと矛盾するけど、この方がおもしろいからかうしてしまへ。」などといふこともきっとあるのではないでせうか。わたしはそれでいいのだと思ひます。

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