まづ隗より始めよ
文化廳の平成19年度「國語に關する世論調査」の結果の要點が發表されたといふので、各紙が記事にしてゐますね。
わたしが見た中では、全國紙では朝日、毎日、日本経済の各紙がことばの意味が、特に「檄を飛ばす」の意味が誤解されてゐる、といふか、本來とちがふ意味で使はれてゐることを取りあげてゐました(註1)。そのうち朝日と毎日の記事をリンクしておきます(註2)。
で、まあ、讀んでいただければおわかりのとほり、兩紙ともエラさうに、といふか、他人事のやうに、といふかな書き方をしてゐるわけですが、これって、責任の半分ぐらゐは新聞にあるんぢゃありませんかね。新聞で「檄を飛ばす」(註3)を「本來と違ふ意味で」つかってゐるのを何度目にしたかわかりません。といふより、本來の意味でつかってゐるのを見た記憶がほとんどないんですが。
「憮然」にしてもしかり。これも本來の意味でつかはれてゐるのを見た記憶がありません。
まづ隗より始めよ、といひます。文化廳の調査結果をたれながしてしたり顏をしてゐる暇があるのなら、まづ新聞自身がことばの意味を正しく使ふやうにしてもらひたいものです。
まあ、「まづ隗より始めよ」も嚴密にいふなら、本來は「言ひ出したものからやれ」といふ意味ぢゃありませんけどね。
(註1)殘念ながら讀賣は手もとにありませんので、どうだったかわかりません。
(註2)日經のオンライン記事では、その部分は省略されてゐました。
(註3)「ゲキを飛ばす」と書いてゐることが多いやうです。多分「檄」が常用漢字ではないからでせうが、まさか「檄を飛ばす」ぢゃないから誤用ぢゃありません、と言ひぬけるためぢゃないでせうね。
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