« なにか辯護士にうらみでもあるのだらうか | トップページ | 謎の喫茶店ではありません »

兒童ポルノ法の永六輔

痛いニュース(ノ∀`)」で知ったのだが、法政大學社會學部の白田秀彰准敎授(一橋大學法學博士[註1])が、私は兒童ポルノに該當するものを單純所持してゐる、兒童ポルノの單純所持が違法化された曉には 、他の誰を摘發するよりも先に私を逮捕しろ、と宣言してゐる。
くはしくは直接リンク先を讀んでほしいが、ごく簡單にまとめると、つぎの趣旨のやうだ。
・2001年第三刷發行の荒木經惟さんの寫眞集を古本屋で購入した。
・これには10歳未滿とおぼしき兒童の性器付近が鮮明に描寫されてゐる。
・これは法學者である自分から見て、避けようがなく「兒童ポルノ」に該當する。
・ゆゑに兒童ポルノの單純所持が違法化されたら、私を逮捕せよ。
白田准敎授がこのやうな行動に出たのは「2001年まで何の問題がなかった本を、そのまま保持しているだけで、いつの間にかその本が違法品となり、なんら違法なところのなかった所有者が、いつの間にか容疑者になるカフカの『変身』的不条理について、立法者や法執行関係者と議論してみたい」ためとのこと。
粗忽亭も以前、かつて本屋で普通に賣ってゐた、まったく合法であった書籍・雜誌がいきなり違法になってしまふおそろしさについて書いたが、白田准敎授がうったへやうとしてゐるのは同樣のことのやうだ。
それはそれとして、この白田准敎授の「俺を逮捕せよ」といふ宣言を讀んで、粗忽亭は永六輔さんを思ひ出してしまった。
かつて、計量法によって、尺貫法の使用は刑事罰をもって禁止されたことがあった。それを遺憾とした永さんは、みづから曲尺鯨尺を密造密賣して、それを公言し、みづからの逮捕をうったへるなどの運動をおこなった。しかし警察・檢察は永さんを逮捕しえず、結果、尺貫法の使用が默認されるにいたった(リンク先參照)。白田准敎授の方法論はこれと同じといえよう。
永さんと白田准敎授とでは、法の成立(施行)の前後との差異はあるが、白田准敎授のこの作戰、はたして永さんなみに功を奏すであらうか。
なほ、リンクした白田准敎授の宣言文、後半は單純所持違法化の問題點だけではなく、性表現・猥褻表現規制の問題點等にもふみこんでをり、たいへんよみごたへがある。白田准敎授の主張には粗忽亭はことごとく贊成だ。粗忽亭がいままで文章化し得なかったことを、みごとにまとめてゐる。さすがに學者として、文章(論文)を書く訓練を受けただけのことはあると、心より感心した次第だ。

(附記)
「痛いニュース(ノ∀`)」にある、2ちゃんねるでのコメントを見ると、『こいつが変態なのは良くわかった』『これは反権力を気取った真性ロリの捨て身戦法だな』『自分の性癖正当化しようとしてるんだぜ』『とどのつまり単なるロリコン野郎だろw』『ロリが息巻いてるだけじゃねーか。』『ただの変態ロリコン野郎だろ』『いつなんの目的でそれ買ったんだよオッサン』などといふのがたくさんあってあきれる。白田准教授は『私はこの本を、一連の問題の当事者となるために古書店で入手した。』『その10歳未満と見られる児童の裸体写真を見たとき、もう40歳になる私の意識に浮かんだ言葉は「親の顔が見たい」というものだった。』と書いてゐるのだが。ソースもろくに讀まずにコメントつけてゐるんですね。

[註1]1998年の取得なら「博士(法學)」とかぢゃないかと思ふのだが、本人の履歴書に「法学博士」とあるので、とりあへずさう書いておく。

« なにか辯護士にうらみでもあるのだらうか | トップページ | 謎の喫茶店ではありません »

コメント

白田秀彰准敎授の宣言文、読みました。
内容は主人さんが仰るやうに考察が多岐にわたってをり、大変読み応へのあるものでした。
単純所持違法化、猥褻表現規制の問題点の指摘も去ることながら、特に我が国の風俗・文化史からの考察には拍手を送りたい気持ちです。
白田准教授の指摘のやうに我が国の風俗から鑑みれば十八歳未満を児童とすることに合理的理由を見出せませんし、いわんや児ポ法の精神は日本文化の精神から著しく逸脱するものと考えます。
例へば、児ポ法の精神からみれば『赤とんぼ』の歌詞なんか児童虐待にあたるのではないでせうか?
無論、法は時代の変化に応じた対応が求められますので、江戸、明治の風俗文化を基準にといふつもりはありませんが、それにしても児ポ法はラディカルすぎませう。
現在でも日本文化は児ポ法の精神に反するものばかりで、現代日本文化の核であるところの漫画やアニメを観れば一目瞭然です。
もし、児ポ法によって絵画表現も規制されるならば日本の漫画アニメは一瞬で消し飛んでしまふでせう。
・・・と、長くなりさうなので児ポ法に関する私の意見はまた別の場所で述べたいと思ひます。
ともあれ、法学者の中からかういふ方が出てくることは大変心強いものがあります。
永さんの運動のやうに効を奏せばよいのですが。

ところで、2ちゃんねるでのコメントはまったく呆れるものばかりですね。
しかし、実際に世間一般からも児ポ法に反対する奴は全てロリコン、あるいは変態性欲者なのだと誤解される傾向があるやうに思ひます。(実際、さういふ方も反対されてゐるのでせうが、それはそれで問題ないと思ひます)
それゆゑ、児ポ法に正面切って反対する識者は少ないのかもしれません。

>あび卯月さん
コメントありがたうございます。
私は白田准敎授の宣言文を讀んで、場合によっては本當に見せしめ逮捕をされかねないにもかかはらず、「兒童ポルノ」單純所持を宣言した勇氣にも感動しましたが、それ以上に感動したのが
『さらに加えて、もし次のような動機から今般の表現規制が行われているのであれば、それは反国民的行為であるとも言える。それは、「外国から見てみっともないから」「外国の基準から見て恥ずかしいから」というような理由だ。それは、自国民の意思を、どこか外国(西洋先進国?) 国民の意思に従属させることを当然とする考え方だ。我々国民が、我々自身の一般意思の表明としての法律に服することは、それは憲法が予定したことであるから当然である。しかし、我々国民が、我々の一般的な規範観や感情とは一致しない、どこか外国国民の倫理や規範に従属すべきという発想は、国民の信託のもとに活動すべき国会議員の発想としては、背任的なものではないか。どこか外国国民の意思が法律となり、その法律によって、多くの国民が逮捕され処罰されるという状況は、まるで属国の悲哀そのものだ。』
といふ部分でした。まさにそのとほり!です。
この外國の基準が云々を敷衍すれば、捕鯨や死刑制度は即廢止せねばならないことになります。また、戰爭の放棄などといふ憲法の規定は、「外國の基準」からすれば非常識もいいところであり、即刻改正せねばならないことになります。さらにいへば、君主制をとってゐる國は少數派ですから、天皇制も廢止、ですかね。もっとも、なにかといふと外國外國と言ひ立てる人の「外國」とは歐米のことで、その他の國は視野に入ってゐないのが普通ですから、ヨーロッパには君主制國家がたくさんあるといふ理由で天皇制は「外國の基準」に合致する、といふことになるかもしれませんが。
さういへば一昔前には、「成人が電車の中など、人前で漫畫を平氣で讀んでゐるのは日本だけだ。外國ではかんがへられない。はづかしい。」などといふ主張がよく聞かれました。これなども「外國の基準」にしたがって、おとなが漫畫を讀まないやうになってゐたら、今の日本文化、およびコンテンツ産業はなかったことでせう。
それはともかく、白田准敎授といふかたは專門馬鹿におちいることなく、廣い知識と視野をお持ちであるとお見受けしました。まことに感服した次第です。

主人さんが引用された箇所もほんたうに素晴らしいですね。
全く宣言文を読みながら「そのとほり!」と拍手の連続です。

我が国の学者や文化人は、昔から外国崇拝が強く、かつては支那、いまでは西洋がその対象となってをり、彼らが日本批判をする場合、必ず西洋(特に欧州)を引き合ひに出して、日本がいかに西洋と比べ「遅れてゐるか」を主張します。
そして、さういふ「素晴らしい」諸外国に一歩でも近づくことが即ち進歩であり正しい道だと考へてゐるごとくあります。
本来、我が国の歴史、文化、生活に根ざして日本のあるべき姿を模索すべきはずの保守派の学者のなかにもさういふ人がゐて、また政治家、官僚の中にも多く存在してゐるやうです。
児ポ法に限らず、裁判員制度あたりもアメリカの真似でせう。
結局、彼らが日本をアメリカ並にすることが正しい進歩であると考へてゐるゆゑだと睨んでゐます。
いい加減、外国の基準に従ふ愚に気づくべきです。

翻って白田准教授はさういふ愚かしい思考に陥ることなく、主人さんの仰るやうに広い知識と視野を持たれてをり、全く敬服の至りです。
ところで、いましがた気づいたのですが、この白田准教授はHNKの番組「ザ☆ネットスター」にゲストで出演された方なのですね!
この番組はネット上で流行ってゐる物事を取り上げるといふ番組なのですが、公式サイトがギャルゲーのサイトみたいだといふことで以前から話題になってゐました。
私は今月号は見逃してしまったのですが、四月号(創刊号)と五月号をみてすっかり気に入ってゐたところでした。
四月号には朋先生こと声優の金田朋子さんと白田准教授が出演されてゐて、白田さんは執事のコスプレをされてゐました。
その模様は公式サイト動画から御覧になれます。
http://www.nhk.or.jp/netstar/casts.html
まさか、あの番組に出演されてゐた品の良い学者さんと白田さんが同一人物だとは思はず、気づいた時はまことに驚きました。

また、六月からは同番組から朋先生のネット番組も始まる予定でこれにも白田さんはゲスト(レギュラー?)として登場されるさうで、予告篇が下のアドレスから御覧になれます。
http://www.nhk-ep.co.jp/netstar/kanetomo_contents.html
こちらは明治時代の書生のコスプレでせうかね。
白田さんのサイトでも伺へるやうに准教授はコスプレ好きのやうですね。
白田准教授、ますます好きになりました。

>あび卯月さん
まことにおっしゃるとほり、日本人には文化植民地根性がしみついてをります。仕事等の必要性もないのに、多額の授業料と膨大な時間をつひやして英會話學校にかよふ人がたくさんゐるのも、外國崇拜のあらはれだと思ひます。たとへば、英米文學を原書で讀みたいとか、日本語に翻譯されてゐない英語文獻を讀みたいとかの動機があるのならともかく、驛前留學(は倒産しましたが)してゐる人たちがその英語力を活用する機會はたいてい(一生のあひだにせいぜい數囘程度しか行くことのない)海外旅行(それもほとんどはパックツアー)のときぐらゐでせう。そんなのは學校英語プラス身振り手振りで十分まにあひます。
小學三年生から英語ををしへやうといふうごきも、同樣のものといへます。外國語を身につけるといふ一點からいへば、はやくから學びはじめるのは有益ですが、小學校で英語の授業がはじまればその分、なにか別の敎科の授業をへらさなければならない。その得失についてまともに議論されてゐる樣子はほとんど見かけません。
わたしが一番おろかしく思ふのは、史的唯物論で日本史を解釋しやうとすることです。史的唯物論はいふまでもなく、マルクスがヨーロッパの歴史を分析してとなへたものです。それゆゑ、ヨーロッパ史にかぎっては、原始共産制→奴隸制→封建制→資本主義と歴史が展開した、といふのは正しいでせう。そのあとの →社會主義→共産主義 が正しいかどうかはともかく。しかしそれが歴史的文化的諸條件がまったくことなる日本にあてはめるのはどうしても無理がある。にもかかわらず、日本ではどの時代が奴隸制に該當するかだの、何時代のどの身分の人が農奴に當たるだの、大まじめに論爭してゐます(あるゐはしてゐました)。しかもその論議に參加してゐるのは、かならずしも左派の學者にかぎりません。これなども海外思想崇拜のなせるものでせう。
しかし、ひるがへって、日本の獨自性を主張する人にも問題なしとはいひきれません。國學では本居宣長、國粹主義では三宅雪嶺・志賀重昂あたりはえらかったと思ひますが、國學の平田篤胤などは日本の獨自性を主張するあまり神代文字を捏造してしまひますし、國粹主義も幼穉な排外主義、人種的偏見などに轉化してしまふきらひがあります。三宅、志賀らの「國粹主義」は、本來「國粹保存主義」であって、日本の獨自性を主張しても、排外思想や人種的偏見とは無縁です。
いまの知識人の中に宣長、三宅、志賀のやうな人はどれだけゐるのかと考へると、いささかこころもとないものがあります。

英語についての御意見も全く同意です。
小三から英語を教へるなんぞ、一体何を考へてゐるのでせうね。
これで、国語の授業時間が減らされるとしたら、児童生徒の国語力はますます低下することでせう。
英語を教へる前にやるべきことがあると思ひます。

日本史を史的唯物論や階級闘争史観に無理矢理当てはめて理解することも全く愚かしいことですね。
そもそも、唯物史観論者が云ふやうに歴史が科学的なはずがなく、ある程度の傾向が見出せても「法則」を見出せようはずがありません。
ファシズムといふ用語も同じく、ドイツ、イタリーのファシズムをそのまま日本に当てはめるのは無理があります。
それゆゑか、「天皇制ファシズム」などといふ奇妙な言葉が生まれたのでせうが、歴史学において今だに唯物論者が幅を利かせてゐる現状には辟易とさせられます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/8411/41491095

この記事へのトラックバック一覧です: 兒童ポルノ法の永六輔:

« なにか辯護士にうらみでもあるのだらうか | トップページ | 謎の喫茶店ではありません »

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

ninja