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チベット問題は相對化できない

唐沢(盜用)俊一さんと村崎百郞さんが「社会派くんがゆく!」最新號でチベット問題を語ってゐます
「一応どっちにも正義がある」なんてむちゃくちゃですね。よしんば村崎、唐沢(盜用)兩氏の言ってゐるとほりダライ・ラマが「宗教的な独裁者」であれ、「あの貧乏な国でポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大であれ、「坊主どもがホントにイバりくさって」ゐるのであれ、そのどこがいけないんですか。チベット人が中共・人民解放軍にダライ・ラマを排除してくれ、とたのんだとでもいふのですか。
ダライ・ラマが獨裁者であった、といふのは一面本當でせう。なにしろ觀音菩薩の轉生です。議會をつくって民主的に、なんてことはやらなかったでせう。でも、チベット人はその獨裁を受け入れてゐたのではありませんか。ダライ・ラマの獨裁のもとでこそチベット人はしあはせだったのではありませんか。ダライ・ラマは獨裁者であったとしても專制支配者ではなかったと思ひますよ。
「ポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大なのだって、チベットの人民はみづからがまづしくても寺院に喜捨する方を望んだのではありませんか。人民がいやがるのにもかかはらず無理に取り上げたのではないと思ふのですが。あなた方は貧者の一燈を受け取ったお釋迦樣も非難するつもりですか。貧しいチベット人から食糧などを無理に取り上げたのは中共の方でせう。
「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした者たちの拷問・処刑法が」いかに殘酷であったとしても、それが他者がチベットを制壓していい理由にはなりません。「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした」ってことは、いはば國家機密を盜み出さうとしたことに等しいでせう。それに制裁がくはへられること自體はおかしなはなしではありません。その制裁がきはめて殘酷であったといふことは今日の民主主義・人權主義からははづれるかもしれませんが、當時のチベット宗敎王國は民主主義を標榜してゐるわけではありませんし、それどころか民主主義に價値を見出してはゐないはずです。それを殘酷だからケシカランといふのは民主主義眞理敎徒のかんがへかたです。あるいは現代のものさしで過去をはかるものです。いや、西洋のものさしでチベットをはかる、と言った方が適切でせうか。そもそも唐沢(盜用)さん、あなたが讀んだのは小説でせう。まさか小説に書いてあることが100%事實だと思ってゐないでせうね。
この二人が言ってゐることはチベット問題を相對化することにほかなりません。「一応どっちにも正義がある」なんてとんでもないことです。この問題に關しては中共には一片の正義もありません。チベットが100%の正義ではないからといっても、このやうな言説には五分の理もありません。
この對談が「鬼畜」を標榜しておこなはれてゐることは存じてゐます。でも「鬼畜」といふのはスタンスの問題であって、事實をまげることや、ためにする言説を許容することではないと思ひます。
あなたがた二人は、新聞でいへば社會面や文化面の人間です。政治面、經濟面、國際面について語る資格はありません。それらを語るには知識も見識も敎養も決定的に缺けてゐます。惡いことは言ひませんから、自らの手にあまることはおやめなさい。

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