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2008年4月に作成された記事

なんでも反對すればいいといふものではない

ひさしぶりに朝日新聞「聲」欄いぢりです。
今日の朝刊にのった「良心的脱走も逮捕するのか」といふ投書。投稿者は「作家 立花 薫(東京都江東区 37)」。

(引用ここから)
 日米両政府は、米側が脱走兵と認定した米兵について、すべて日本側に通知することで基本合意した(5日朝刊)。その結果、(中略)(脱走兵について)都道府県の警察に逮捕要請されることになった。
 (中略)すべての脱走米兵が犯罪行為を行うとは限らないだろう。そうした検討は必要なかったのだろうか。
 在日米軍基地から戦場に送りこまれる米兵が、自らの死傷を恐れ、または他者を殺傷することを嫌って実行する良心的脱走と呼ぶべき内容の脱走もありうる。そのようなケースでも日本の警察は脱走米兵を全力で捜索・逮捕するのだろうか。
 日本国憲法の前文には「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、生存する権利を確認する」とある。今回の合意はこの憲法の精神に反しているのではないかと心配する。
(引用ここまで)

書く方も書く方ならのせる方ものせる方だとしか言ひやうがありませんね。
第一に、今囘の合意は日本側がアメリカ側に、治安維持、犯罪の防止のために要請したことであり、それに對して米側が協力をする(脱走兵情報を提供する)といふものです。米側が日本側に脱走兵の搜索・逮捕の協力を要請するためのものではありません。であるから、脱走兵の情報の通知があったからといって、「日本の警察は脱走米兵を全力で搜索・逮捕する」義務はありません。
第二に、米兵の脱走は日本の國法には違反しないでせうが、アメリカの國法には當然違反します。ですから、日本の「犯罪行為を行」ってゐない米兵を逮捕した場合、米軍に引き渡すだけです。條約・協定にもとづいて駐留してゐる友好國、いや同盟國にその程度の好意的配慮をしめすことがそんなにわるいことでせうか。そもそも米側が脱走兵を、犯罪行爲をおこなひさうなのとおこなひさうにないのとに恣意的にわけて、犯罪行爲をおこなひさうなのにかぎり通知したりすれば、そのはうがよほど問題でせう。
第三に、良心的脱走云々といふことがそもそもをかしい。ベトナム戰爭の當時ならまだわかります。支持するしないは別として。當時の米軍は徴兵制でしたから。でも、いまの米軍は志願制です。軍に志願したといふことは「自らの死傷」の危險性があることを了解したうへで、ことによっては「他者を殺傷」することを任務としておこなふことがありうる職をみづから選び取ったといふことにほかなりません。にもかかわらず「自らの死傷を恐れ、または他者を殺傷することを嫌って」の脱走を「良心的脱走」の名のもとに容認するのなら、世の中はどうなってしまひますか。警察官が凶器をもって暴れてゐる犯人から「自らの死傷を恐れ」てにげても「良心的脱走」なので非難されるべきではないといふことになってしまひます。あるいは、消防士が「自らの死傷を恐れ」て、救助をもとめる人を見捨ててにげても、「良心的脱走」なのでしかたがない、といふことになってしまひます。
なほ、日本国憲法前文の當該箇所を段落ごと原文で引用すると、「日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。」となってゐます。前半部分の省略はともかく、「平和のうちに」をわざとはぶいてゐますね。これがあるとないとでは受ける印象が隨分ちがってきます。段落前半と合はせて讀めば、これはわが國が世界平和のために努力をすることをうたってゐることはあきらかです。決して「自らの死傷を恐れ」て職場放棄をすることを推奬してゐるわけではありません。
要するにこの投書は米軍憎し、政府憎し、米軍と政府のやることはなんでも反對、とにもかくにも米軍は日本から出て行け、と言ひたいにすぎません。
ところで小生、失禮ながら立花薫さんといふ作家を存じあげませんでした。檢索してみたら、ライトノベルを中心に二十册ぐらゐ著書のある方なんですね。いや、たいしたものです。で、その檢索で、以前「聲」欄にのったこの方のアレゲな投書がいくつかヒットしました。やっぱりもともとさういふ方なんですね。

チベット問題は相對化できない

唐沢(盜用)俊一さんと村崎百郞さんが「社会派くんがゆく!」最新號でチベット問題を語ってゐます
「一応どっちにも正義がある」なんてむちゃくちゃですね。よしんば村崎、唐沢(盜用)兩氏の言ってゐるとほりダライ・ラマが「宗教的な独裁者」であれ、「あの貧乏な国でポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大であれ、「坊主どもがホントにイバりくさって」ゐるのであれ、そのどこがいけないんですか。チベット人が中共・人民解放軍にダライ・ラマを排除してくれ、とたのんだとでもいふのですか。
ダライ・ラマが獨裁者であった、といふのは一面本當でせう。なにしろ觀音菩薩の轉生です。議會をつくって民主的に、なんてことはやらなかったでせう。でも、チベット人はその獨裁を受け入れてゐたのではありませんか。ダライ・ラマの獨裁のもとでこそチベット人はしあはせだったのではありませんか。ダライ・ラマは獨裁者であったとしても專制支配者ではなかったと思ひますよ。
「ポタラ宮をはじめとする宗教施設」が壯大なのだって、チベットの人民はみづからがまづしくても寺院に喜捨する方を望んだのではありませんか。人民がいやがるのにもかかはらず無理に取り上げたのではないと思ふのですが。あなた方は貧者の一燈を受け取ったお釋迦樣も非難するつもりですか。貧しいチベット人から食糧などを無理に取り上げたのは中共の方でせう。
「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした者たちの拷問・処刑法が」いかに殘酷であったとしても、それが他者がチベットを制壓していい理由にはなりません。「門外不出の秘教であるチベット仏典を国外に持ち出そうとした」ってことは、いはば國家機密を盜み出さうとしたことに等しいでせう。それに制裁がくはへられること自體はおかしなはなしではありません。その制裁がきはめて殘酷であったといふことは今日の民主主義・人權主義からははづれるかもしれませんが、當時のチベット宗敎王國は民主主義を標榜してゐるわけではありませんし、それどころか民主主義に價値を見出してはゐないはずです。それを殘酷だからケシカランといふのは民主主義眞理敎徒のかんがへかたです。あるいは現代のものさしで過去をはかるものです。いや、西洋のものさしでチベットをはかる、と言った方が適切でせうか。そもそも唐沢(盜用)さん、あなたが讀んだのは小説でせう。まさか小説に書いてあることが100%事實だと思ってゐないでせうね。
この二人が言ってゐることはチベット問題を相對化することにほかなりません。「一応どっちにも正義がある」なんてとんでもないことです。この問題に關しては中共には一片の正義もありません。チベットが100%の正義ではないからといっても、このやうな言説には五分の理もありません。
この對談が「鬼畜」を標榜しておこなはれてゐることは存じてゐます。でも「鬼畜」といふのはスタンスの問題であって、事實をまげることや、ためにする言説を許容することではないと思ひます。
あなたがた二人は、新聞でいへば社會面や文化面の人間です。政治面、經濟面、國際面について語る資格はありません。それらを語るには知識も見識も敎養も決定的に缺けてゐます。惡いことは言ひませんから、自らの手にあまることはおやめなさい。

春の嵐

文字どほり春の嵐、でしたね。昨日は。通勤のとき、傘がとばされさうでした。まるで台風でした。
そのためでせう。今朝、うちから驛までのあひだに、こはれてすてられたビニール傘を8本も見かけました。いかにすさまじかったか、といふのがよくわかります。

姓と名字の混同

5日(土曜日)付けの朝日新聞夕刊「Be evening」内のコラム「はみ出し歴史ファイル」。筆者は「歴史研究家・野呂肖生」。『豊臣秀吉 「天下人」の自負』といふサブタイトルの記事より。

(引用ここから)
秀吉は、猿や日吉といわれた幼少のころから、出世に応じて名を変えた。木下藤吉郎から羽柴秀吉、次いで信長の後継者を自認して平秀吉。さらに藤原秀吉として関白と太政大臣、最後は天皇から豊臣の姓を賜った。
(引用ここまで)

この人、姓(氏)と名字を混同してゐますね。
秀吉は名字は
なし(おそらく)→木下→羽柴
と變へてゐるのであり、
姓は
なし(おそらく)→平→藤原→豐臣
と變へてゐるのです。
また、姓を平としたのは信長在世中からだし、太政大臣になったのは豐臣姓を賜ったのちです。だから「藤原秀吉として關白と太政大臣」といふのもまちがひ。平姓を稱したのも信長の後繼者を自認したためではなく、單に主君にあやかった(まねをした)だけでせう。信長が生きてゐるうちから「後繼者を自認して」ゐたら、それこそ謀反人です。
なほ、念のために言っておきますが、姓と名字は並存するものです。晩年の秀吉は姓は豐臣、名字は羽柴、であったとかんがへるのが妥當でせう。仰々しく言ふと「羽柴太閤豐臣秀吉」(はしばたいかうとよとみのひでよし)ってな感じでせうか。
一般の人ならば仕方ありませんが、歴史研究家を稱する人が姓と名字の區別がつかないといふのはお粗末にすぎます。

日本終了のお知らせ

「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の改正(もしくは改惡)の動きが急であります。自由民主党、公明党のみならず、民主党の中にも神本美恵子參議院議員ら積極推進派が少なからずゐるやうです。
この問題については單純所持禁止と、「準兒童ポルノ」禁止の2點の問題點があげられてゐます。今囘は後者についてのはなしです。
「準兒童ポルノ」とは、(1)成人が兒童のやうな格好をしてゐるポルノ (2)漫畫、アニメ、ゲームなどいはゆる二次元の「繪」であっても兒童の性的な姿態や虐待などを寫實的に描寫したもの ださうです。なほ、ここでいふ「兒童」とは18歳未滿のことです。念のため。
(1)についてはとりあへずおくとして、(2)について考へませう。漫畫、アニメ、ゲームの大半には18歳未滿(らしく見えるものもふくむ)が登場します。いはゆるエロ漫畫、エロアニメ、エロゲにもかなりの確率で出てきます。といふより、出ないものの方がめづらしいと言って過言でないでせう。この改正案ではかういったもの(現在18歳未滿禁止とされてゐるもの)は當然違法として禁止するつもりでせう。それについての贊否はいろいろあるかと思ひますが、とりあへずおきます。
そして、それ以外の靑年向け、少年向け、少女向けの漫畫、アニメ、ゲームにも「兒童」の裸、下著姿、水著姿、性愛シーンは少なからず出てきます。それらが即「準兒童ポルノ」とはならないまでも、「準兒童ポルノ」の明確な定義がない、といふより明確に定義することが事實上不可能な状態においてはなにがいつ「準兒童ポルノ」と認定されるかわかりません。結果、漫畫、アニメ、ゲームにおける表現についておほいに萎縮がおこることでせう。
漫畫、アニメ、ゲームはいまや日本を代表する文化の一つに成長しました。文化廳がメディア藝術祭などでおほいに推進してゐることはご存じでせう。のみならず、今後の日本の有力な輸出産業として經濟産業省等も注目してゐます。實際、NIEs諸國、BRICs諸國の工業發展にともなって、日本の工業の優位性は年々うすれてゐます。それゆゑ、日本が經濟的に優位性を發揮できる分野は知的財産の分野、はっきりいへば漫畫、アニメ、ゲームなどのコンテンツ産業の分野が中心とならざるをえません。
「準兒童ポルノ」禁止はその近未來の主要産業たるべき分野に萎縮をもたらしかねないのです。
「児童買春、児童ポルノに係る行為等の処罰及び児童の保護等に関する法律」の改正(もしくは改惡)は議員立法によってなされるべく檢討されてゐるやうです。自民、公明、民主の3黨がその方向でまとまれば改正(もしくは改惡)は現實化するでせう。日本の國會は自らの手で自らの經濟發展にとどめをささうとしてゐるのです。この改正(もしくは改惡)法が成立したとき、まさに「日本終了」の第一歩を踏み出すことになるのではないでせうか。

まともな日本語がつかへないのはどっちだ

今日の朝日新聞夕刊の記事。例の脱走米兵がタクシー運轉手を刺し殺した事件に關連しての「脱走米兵の通報を検討 高村外相」といふ記事。(asahi.comにもあった。こちらは“「脱走米兵の通報、日米合意目指す」高村外相表明”といふタイトル。)

> 脱走兵はすべからく連絡してもらう仕組みを作りたい。

なんだよ、「すべからく連絡してもらう仕組み」って。これ、高村外相が語ったとほりのことばなのだらうか。だとしたら高村氏は日本の大臣なのに日本語がろくにできない、といふことになる。
あるいは外相は別の言ひかたをしたのを記者がこのやうにまとめたのだらうか。だとしたらこの記者、デスクおよび校閲擔當者は新聞記者なのに日本語がろくにできない、といふことになる。まあ、新聞記者の日本語がオソマツなのはいまに始まったことぢゃないけど。週に1囘ぐらゐは「檄(ゲキと書いてあることが多い)を飛ばす」を「活を入れる」とか「激勵する」のツモリで使ってゐるのを目にするからなあ。
まあなんにしろ「大学入試に強い朝日新聞」を信じた受驗生が漢文で減點されないことをいのるばかりだ。

顯微鏡を買ってしまった

まあ、衝動買ひみたいなもの。きっかけはGizmode Japanのこの記事
別に精子を見たいわけぢゃないが、「え、1200倍の顯微鏡が5千圓程度で買へちゃふの?」とおどろいたのだ。精子以外のものを見たってかまはんだらうし。
しかし、AmazonをみたらGizmode Japanの威力か、在庫切れ、再入荷豫定なし。ぢゃあ、と思ってAmazon内を檢索してみたら、いくつか顯微鏡が見つかった。そのなかで目をつけたのがこれ。やはり1200倍で、解剖用具までついてゐるし。これを書いてゐる時點ではショップ出品の3,950圓になってゐるけど、私が見たときにはAmazon自身の販賣で3,380圓、在庫1點あり、だった。だもんでつい註文してしまったのだ。
いや、特になにか見ようと思ってゐるものがあるわけぢゃないけど、子どものころ、顯微鏡とかってあこがれたでせう?そんなわけで私の内なる少年(あるいは男の子)があたまをもたげてしまったのですよ。
なんかわくわくするなあ。去年、「大人の科学マガジン Vol.17 」(テルミン)を買ったときもわくわくしたけど。ちなみにこのテルミン、チープながらもちゃんと演奏できますよ。わたしも何分か練習したら、「荒城の月」ぐらゐは(多少の音はずれはあるものの)演奏できるやうになりました。
文科系人間の私ではあるけど、やっぱり男の子は科學だ!です。

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