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2007年12月に作成された記事

盜人猛々しい

例の唐沢(盜用)俊一さんの盜用騷動について、「社会派くんがゆく!復活編」に「『新・UFO入門』事件顛末記」といふタイトルで公式最終聲明?がのったやうです。内容については
藤岡真さんの「机上の彷徨」(時間がたつとリンク先がかはります。その場合は「次へ」をクリックして探してください。)
2ちゃんねるへの轉載その1 同その2(遠からず過去スレに入ってしまひます。)
をご參照ください。
まあ、一言で言って、盜人猛々しい、ですね。泥棒が被害者の被害の主張をいちゃもん呼ばはりしてゐるとしか言ひやうがない。知らない人がこれだけ讀んだら、漫棚通信さん(被害者)が法外な慰藉料を恐喝した、と解釋してしまふでせう。漫棚さんは慰藉料はいらない、と言ったのに。
唐沢(盜用)さんが書いてゐる經緯も多くのうそがふくまれてゐる。いちいち指摘しないけど、興味のある方は「ネット上の文章の盗用問題:『新・UFO入門 日本人は、なぜUFOを見なくなったのか』(唐沢俊一著)を巡って」「唐沢俊一 まとめwiki」「漫棚通信ブログ版 これは盗作とちゃうんかいっ・決裂篇」等をお讀みください。
ほかにも唐沢(盜用)さんの一行知識のいいかげんさも次々檢證されてゐます。(「トンデモない一行知識の世界」參照)
このほかにもパクリ疑惑がいっぱい。もう、物書きとしての矜持とかさういふものは一切ないんでせうね。
一時期とはいへ、かういふ人の讀者であったことがはづかしい。自分の不明をはぢるばかりだ。
ねえ、唐沢(盜用)さん、もうおやめなさいよ。見てゐるこっちがつらくなりますよ。私も讀者だったんだしさ。あなたのひねくれた(これはほめ言葉)ものの見方、おもしろいものを見つける嗅覺までは否定しませんから。だからいままでのうそやはったりや盜用を全部懺悔して出なほしたらどうですか。このままだと本當にだれからも相手にされなくなってしまひますよ。

附記
漫棚通信さんからの反論、といふか、批判といふかが出されてゐます。さすがは御當人、わかりやすい内容になってゐますので、あはせてお讀みください。
おまけに漫棚さん以上に唐沢(盜用)さんからパクられつづけてきた知泉さんの怒りの文章

「ヤッターマン」のリメイクについて

私は山本正之さんのファンだが、「ヤッターマン」をふくむタイムボカンシリーズはほとんど觀てゐないし、それゆゑ、特に思ひ入れもない。以下はそれをふまへてお讀みください。

リメイク版「ヤッターマン」の詳細が發表されるにつれて、ネットではいろいろと反撥もひろがってゐるやうです。特にオープニング・エンディングの主題歌についての反撥が。
先に發表されたエンディングについては、mihimaru GTとかいふユニットが唄ふさうです。私はこのユニットについて、まったく知らない(この發表ではじめて知った名前です)ので、なんとも言ひやうがありません。でも、いっくらなんでも「切ないラブ・バラード」ってのは場違ひぢゃないか、といふ氣はしますけどね。
オープニングは舊作の「ヤッターマンの歌」を世良公則と野村義男のユニット「音屋吉右衛門」が歌ふさうです。
で、ネットでは惡評だらけ。要は「なんで山本正之が唄はないんだ」といふことのやうなんですけどね。
エンディングについては上に書いたとほり、場違ひなものになりさうな危惧は私も持ってゐます。しかし、オープニングについては別にいいんぢゃないかな、といふ氣がするんですがねえ。山本さんが唄はなくても。
タイムボカンシリーズのオープニング・エンディングは「いただきマンボ」をのぞいて山本さんの作曲だが、ほかの人が歌ってゐるものも多い。エンディングはもとよりオープニングだけとっても「ゼンダマンの歌」「ヤットデタマンの歌」は山本正之本人が唄ってゐない。さういふのと同じだ、と考へればいいだけだと思ふんだけどなあ。
結局かういふ人たちは、なんでもかんでももとのままがいい、といふことなんでせう。でもそれぢゃあリメイクする意味がない。再放送しときゃいい、といふことになるんぢゃないでせうか。個人的にはオープニングが「ヤッターマンの歌」のままで(本當は新曲を書いてほしかったけど)、BGMも山本さんがやって、三惡の聲優も舊のまま、といふだけで上出來だと思ひますけど。
某所で「ネットを少しでも見れば確実に売れる方法がこれだけ書いてあるのに。」と書いてゐた人がゐたけど、それは「舊作のファンで、いまでもアニメを、すなはちヤッターマンの新作を觀てくれる人がよろこぶ方法」にすぎないのぢゃないか、といふ氣がします。舊作ファンを取り込みつつ、新しい視聽者も開拓するためにはいろいろ工夫をこらすのはあたりまへの努力だと私は思ひます。

漢字(戰後略字)に關する迷妄

どことはいはないが、私が目を通してゐるとあるブログで漢字の字體のことがちょっと話題になった。そこに次のやうなコメントがついた。

〈引用ここから〉
私は、あまりいろんな漢字を区別して使うことに反対です。たとえばわたなべさんという苗字は、以前は渡辺か渡部の2種類が書けたらよかったのに、このごろは渡邊とか渡邉とか、とても憶えられないような漢字をつかいます。(コンピュータだから書けるので手では書けない。私は辺で勘弁してもらってます)この2字の違いはルーペがないとわからないので、老眼には、ジジハラとしか思えません。こんな苗字のひとは渡辺に換えなさい。そのほうがトクですよ。

日本は戦争に負け、民主的な世の中にするため、漢字を簡略化しました。「恋」は戦前は 糸言糸+心 と書いた(わかりますか)。「体」は昔、 骨豊 と書いた(うまい)。ずっと便利になった。ところが、君が代や日の丸を強制する反民主主義勢力が、いろいろ戦前の体制に戻す運動の一環として、名前に関しては、旧字の使用を認めた。そのインボーに安易に乗っかった人が自分も困り、まわりも困らせているのです。
〈引用ここまで〉

私はこのブログはまったくのROMなのだが、正字正かな主義者の私まで「君が代や日の丸を強制する反民主主義勢力」と言はれてゐるみたいで、なんとなく不愉快であった。
私は「民主主義者」ではないが「反民主主義勢力」でもない。民主主義には一定の效用をみとめてゐる。それと同時に一定のマイナス面も認めてゐるだけだ。この點について書きはじめると民主政治と民主主義とをわけて論じるなど、日乘の1エントリではとてもおさまらない量になるので、省略する。問題は漢字の戰後略字(當用漢字、常用漢字、擴張新字體)についてだ。本來は當該ブログのコメント欄に書くべきことかもしれないが、そこは漢字についてのブログではなく漫畫についてのブログであり、KYと言はれかねないので自分のところに書く。
引用部分の前半については、まことに大きなお世話ではないだらうか。その傳でいけば、嶋田さん嶌田さんも島田と書け、といふことだらうか。名前といふのはアイデンティティそのものだ。どういふ字體で表記するかは大きく言へば個人の信條にかかはってくる。安易に損得で判斷すべきものではない。前にも書いたが、德川光圀を德川光國と書かれたら、やはり變だ。ほかにも私は澁澤龍彦(彦は本當はこの字ではない)を渋沢竜彦と書かれたら別人のやうにしか思へない。
後半については、ほかにもなんとなく、こんなふうに思ってゐる人がゐるのではないだらうか。これはまったくの誤解、といふより迷妄である。戰後の漢字改革(當用漢字音訓表制定による漢字制限ならびに略字體の採用)は民主主義とは關係がない。
日本には明治以來、否、幕末の前島密以來、日本語の音標文字化を主張する勢力が多數ゐた。その言はんとするところは、單純化すると「日本や支那よりも進んでゐる歐米諸國は漢字など使ってゐない。音標文字を使ってゐる。ゆゑにわが國語も音標文字(かな乃至ローマ字)化すべきだ。」といふことだ。
これは明治以來、政府、特に文部省の方針として長く維持されてきた。文部省の肝煎りでナントカ調査會とかナントカ審議會といふものが作られ、何度もその方向での答申が出された。しかし、一國の文字表記をかへようといふのである。當然反對もつよい。有名どころでは新村出博士が反對者だ。そのため、戰前は一度も決定・實施にいたらなかった。
ところが大東亞戰爭の敗戰による混亂に乘じて、といふか、一億總懺悔、これまでのものはすべてマチガイ、といふ風潮に乘じて文部省がクーデター的に發表・實施したのが當用漢字音訓表だ。當用漢字音訓表の發表時點では、文部省はこれは過渡的なものとかんがへてゐた。過渡とはなんの過渡か。漢字全廢、國語の音標文字(具體的にはかな)化のだ。そのために漢字の數を制限して、字體も簡略化したのだ。しかし、その後、中心勢力であったカナモジカイの松坂忠則の引退もあって、そこで頓挫した。ざっと言へばこのやうな經緯だ。以上見たやうに、當用漢字音訓表制定は明治以來の政府・文部省の宿願であった。戰後の民主化とは關係ないことが理解できよう。
漢字を簡略化して便利になった、といふが、印刷の字體と手書きの字體は別物だ。手書きでは國を国、あるいは口、または口の中にヽ、で一向に構はない。別段正字だからといって不便だといふことはない。
右派勢力の中に比較的正字正かな派が多いのは事實だらうが、だからといって「戦前の体制に戻す運動の一環として」「旧字の使用を認めた」といふのは飛躍にすぎない。先に名前をあげた澁澤龍彦などは「君が代や日の丸を強制する反民主主義勢力」どころか、みづからアナーキストをもって任じてゐた人だ。これをみても政治思想と文字表記の思想(とでもいふべきもの)は關係ないことがわからう。
文字の表記といふのは純粹に文化の問題だ。變に政治とからめてかたるのはやめてほしい。

ミスリード

知ってゐる人はあまり多くないだらうが、「時評」といふ月刊誌がある。官庁ニュース、といふサブタイトルのついた雜誌だ。
この雜誌に「菜々子の一刀両断!ってわけにはいかないが…」といふ連載がある。執筆者は総合社会政策研究所 寺内香澄さん。小料理屋をいとなんでゐる奈々子さんといふ女性に假託して時事批評、といったおもむきの連載だ。
12月號は「第48夜 新米議員の嘆き」。一言でいへば、地方議會議員の「議員報酬」「費用辨償」「政務調査費」の三重取りを批判した内容、といってよからう。そのうち、政務調査費について書いた部分。

〈引用ここから〉
(政務調査費は)大きな府県では(中略)年間六〇〇万円。(中略)議員さんが勉強するための費用だろうが、ほんとうにこんなにかけているのだろうか。(中略)
 次に大きいのは書籍資料の購入だろうか。これも知り合いの大学教授に聞いてみた。(中略)文科系の大学の場合、研究費は大きくないのだそうだ。(中略)
「僕たちはその一〇分の一もありませんよ。でも、それでも使い残しています。だって少々高い本でも一冊の単価は三千円。能力的に年間一〇〇冊も読めません。三千円に一〇〇を掛け合わせてごらんなさい。三〇万円ですよ」(後略)
〈引用ここまで〉

地方議會議員の政務調査費といふのが非常識に高額であるといふ趣旨には反對しない。それにしてもこの大學敎授のはなし、といふのは不自然ではなからうか。一般向けの本でも3,000圓ぐらゐの本はそんなにめづらしくない。學者どころか、大學院すら出てゐない粗忽亭でさへ、そのぐらゐの値段の本はときどき買ふ。學術書、專門書となれば、もっと高い本はいくらでもある。部數の見込めない分野の本なら萬をこえるのはあたりまへ。資料集のたぐひになると十萬をこえる本だっていくらでもある。場合によっては、高價な古書を買はなければならないこともあるだらう。しかも本を讀むのが商賣、とでもいふべき文科系の大學敎授が年間100册も讀めないって、本當だらうか。一般の勤め人が趣味で本を讀んでゐるのとはちがふのだ。その本の一部が必要な場合もあらう。さういふことをふくめたら、1日に1册や2册讀んでゐてもをかしくはないと思ふが。(研究者のかた、小文をお讀みでしたらコメントください)
自説の主張の補強のため、いい加減な數字をでっち上げるのはちょつとなあ、と思ったことであります。

百萬圓拾ったら

長いことライブ關係の日乘を書いてゐませんが、ライブに行ってゐないわけではありません。ここのところいそがしくて、最盛期の半分くらゐのペースにはなってしまひましたが、それでも藤井鄕子さんのライブでくばられるアンケートの「どのくらゐライブに行きますか」といふ質問では、「年50囘以上」に餘裕で丸をつけなければならない廢人っぷりではあります。
で、時間ができたら書きたいと思って、メモだけはとってゐるんですが、いつになることやら。そもそも日にちががあくと、メモとってゐても何のことか思ひだせなかったりするしなあ。
といふところなのですが、一つだけライブがらみのはなしを。
11月13日にMANDA-LA2に「ふちがみとふなと」をききにいきました。ふちふなをきくのは實はやっと2囘目、5年9箇月ぶり。前囘はやはりMANDA-LA2で、東京ナミイBANDと對バンでした。そのときはナミイBANDの初ライブで、そちらがお目當てだったのですが、ふちふなもその歌のヘンさ加減が氣に入ったのでした。特にバートン・クレーンのカバー「ニッポン娘さん」は大笑ひ。
その後ときどき「稀刊ふなととふちがみ」を送ってくれるのに、東京でのライブのときはなかなか日程が合はずに本當にひさしぶりになってしまったのでした。今囘はめづらしくはがきで關東ツアーのDMが來たのですが、なかでもMANDA-LA2はまだまだあいてゐます、と書いてあったのに、行ってみたら超滿員。あやうく立ち見になってしまふところでした。なんでもライブ前日だか前々日だかの夜になってどどどどどっと豫約メールが來たとか。
ああ、書き出すとつい餘計なことを書いてしまふなあ。
えっと本論はその日のMCのひとつ。要旨を箇條書きにします。
・最近、「探偵!ナイトスクープ」に出た。
・介護士をしてゐる女の人からの依賴で、おせわをしてゐる91歳のおばあさんがヘンな歌を歌ってゐる。百萬圓ひろったら女學校で裸ダンスとかそんな内容。調べてきかせてあげたい。
・これは二村定一さんの「百萬圓」といふ歌だが、今では音源は圖書館とかに大事に保管されてゐるだけで、簡單にはきけない。
・實はふちふなもファーストアルバム「日曜日ひとりででかけた」でカバーしてゐる。そこで出演依賴がきた。
・撮影のときは外で長い時間またされたり、リハーサルもできなかったり云々で大變だった。そんな苦勞をしたのに、東京では放映されないのが殘念。
といふやうなことでした。あ、もちろんそのあとに「百萬圓」をうたひましたよ。
「探偵!ナイトスクープ」って、たしかテレビ朝日でもやってゐなかったっけ、と思って調べたら、打ち切りになってゐたのですね。でもさらに調べたら、首都圈では東京メトロポリタンテレビ、ちばテレビ、テレビ神奈川、テレビ埼玉でやってゐるこがわかりました。うちではちばテレビが入るので、できたらみたいなあ、と。でもちばテレビでの放映スケジュールはわからないんですね。朝日放送のサイトにもちばテレビのサイトにも、ちばテレビでの放映内容までは書いてゐない。朝日放送では11月16日の放映だとわかったのですが。
それからちばテレビで「ナイトスクープ」をやる日(木曜22時)には極力テレビをつけてみることにしてゐたのですが、昨日(12月6日)、大阪におくれること20日にして放送されました。
みて一番おどろいたのが、調査の過程で唐沢(盜用)俊一さんに電話で話をきいて曲名等を確定させたこと。さういへば11月6日8日11日の日記に「探偵!ナイトスクープ」のことを書いてゐたなあ、と思ひ出したのでした。思ひがけない二つが思ひがけないところでつながってびっくり、といふはなしでした。
ちなみにこの歌の歌詞、一番だけ書いておきます。

百萬圓拾ったら 女學校建てて 僕先生
月謝は少しも取りません 綺麗な娘さん募集して
每日戀愛 エロ講義 裸ダンスを敎へます
オモシロイですね!

思はず「それ、なんてエロゲ?」といひたくなるやうな歌詞ですが、昭和7年の歌です。

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