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2007年9月に作成された記事

31歳の女が彼氏の連れ子に嫉妬して包丁で刺した事件でふと思ったこと

各種報道でおなじみのこの事件
粗忽亭の姪(あーちゃん 4歳)がこんなこと言ってゐたのを思ひだした。
「ママとパパがラブラブしてるといや。あーちゃんがパパとラブラブできないもん。」
「こーちゃん(弟)がパパとラブラブしてても、あーちゃんがパパとラブラブできないから(以下略)」
いや、これはかはいいやきもちなんだけどね。
31歳が4歳兒と同じやうなことを言って、そのうへ包丁をふりまはしたわけですね。いやはや。

プロ野球順位表のゲーム差表示について

新聞のスポーツ面をひらくと、プロ野球セ・パ兩リーグの順位表がのってますね。この表には「ゲーム差」といふ項目があります。
このゲーム差なんですが、いはゆる全國紙をみると、朝日だけが各チームと首位チームとの差を表示してゐて、讀賣、毎日、産經、日本経済の各紙は一つ上のチームとの差を表示してゐます。手もとにある某地方紙でも、一つ上との差です。だもんで、この點について、朝日新聞だけが一般傾向にさからってゐるのだらうか、とまあ、ギモンに思ってゐました。
ところがいま、Wikipediaで檢索してみると、「リーグ戦」の項にゲーム差についての表記がありました。それによると、

「・首位から見たゲーム差を表示する放送・新聞・雑誌 日本テレビ、TBS、フジテレビ、テレビ朝日、テレビ東京、朝日新聞、日刊スポーツ、スポーツ報知、週刊ベースボール
 ・1つ前の順位のチームとのゲーム差を表示する放送・新聞 NHKと上記以外の各新聞
  ※以前はテレビ東京とフジテレビも1つ前の順位のチームとのゲーム差を表していたが、現在は首位から見たゲーム差に改めた。」

ださうです。ははあ、民放はこぞって「對首位派」なんですね。テレビみないもんで、ぜんぜん知りませなんだ。で、新聞はたいてい「對一つ上派」。讀賣と報知で對應がちがふのが興味ぶかい。
で、これ、どちらの表記がわかりやすいと思ひます?粗忽亭は斷然「對首位」だと思ふんですが。
といふのは、「對首位」表示だと、特定チームが何位にゐようと、首位との差は一目見りやわかるし、チームAとチームBとの差も、ひき算を一囘やるだけ。
それに對して、「對一つ上」だと、一目でわかるのは、まさに一つ上のチームとのゲーム差のみ。たとへば四位のチームが首位と何ゲーム差あるか知りたければ、たし算を三囘やらなければなりません。最下位チームなら五囘!
ひき算一囘ぐらゐなら、ほとんど「暗算してゐる」といふ意識もないぐらゐに一瞬でできますが、たし算三囘とか五囘とかになると、ちょつとばかり面倒です。
「對一つ上」表示のメリットはいかに、また、「對一つ上」表示をしてゐる新聞等はどういふかんがへにもとづいてさうしてゐるのか、なんとなく氣になってゐるのであります。

なんでやねん

いま現在、googleで「ぬきたて ジャパン エロ」を檢索すると、當日乘のここがトップに出てくる。なんでやねん!

※ときどき海外から檢索語bondageでアクセスがあるのはしかたないが。さういやBondage Fruit、しばらくライブやってませんね。

さすがにあきれた

なにがって、もちろん安倍首相の辭意表明。
(1)どうせやめるのなら、どうして參院選直後にやめなかったのか。
(2)なんのために内閣改造したのか。ほんの半月前のことではないか。この改造で入閣した大臣はいい面の皮だ。
(3)どうして所信表明演説の直後なのか。やめるつもりのやつが所信を表明するな。
(4)どうせやめるのなら、テロ對策特別措置法延長を衆議院再議決とかでむりやり通して、その責任をとってやめる、といふことにすれば格好もつくのに。あんたの爺さんが安保で似たことやってんだから、それにならったんだと思はれて自然なのに。
(5)長くみても、この半月のあひだに氣がかはった、といふことか。そんな無責任なやつが政治家やるな。とっとと議員も辭職しろ。
とまあ、あちこちで同じやうなことを書かれるだらうけど、儂も書かずにゐられなかったのよ。こんなやつが國政のトップにゐたのかと思ふと、本當になさけない。あー、やだやだ。

(おまけ)安倍首相の辭意表明にともなひ、つぎの總理は麻生氏か、との讀みで、まんだらけの株價がストっプ高になったさうだ。呵呵。

「坊っちゃん」とメイドさん

高島俊男先生の近著に「座右の名文 ぼくの好きな十人の名文家」(文春新書)といふのがある。この十人のうちの一人が夏目漱石だ。この本の漱石の項の副題は“『坊っちやん』は「探偵・恋愛小説である」”といふものだ。
探偵小説である、といふことについては措くとして、戀愛小説である、といふことについてのべたい。
高島先生は、「坊っちやん」は坊っちゃん(主人公)と淸との、「戀愛」小説だ、「戀愛」小説といふのが不適當なら、「愛」の物語だ、といふ。
ご存じだとは思ふが、「淸」といふのは坊っちゃんのうちに長く仕へてゐる下女の老婆だ。坊っちゃんが子どものころから、たいへんかはいがってくれてをり、坊っちゃんも淸を好いてゐる。そもそも“坊っちやん”といふタイトルは、淸が主人公をさう呼んでゐることによる。ちなみに主人公の名前は作中には一度も出てこない。一人稱體の小説だから、地の文では「おれ」、淸のことば乃至手紙では「坊っちやん」となってゐる。
さて、どこがどう「愛」の物語なのかは割愛するので、興味のある人は「座右の名文」を讀んでいただくとして、高島先生は坊っちゃんと淸の關係を次のやうに書いてゐる。

(引用ここから)
清は、神のごとき存在である、とぼくは感じる。
坊っちゃんが大すきで、ありのまま、なんの注文もつけずにそっくりうけいれてくれる。しかもこの神は坊っちゃんにとって目下の神だ。清は坊っちゃんのうちの下女であり、清にとって坊っちゃんは「坊っちやん」、すなわち「仕えている家のご子息」であり、つまりは主人である。(中略)坊っちゃんは清の主人だが、坊っちゃんにとって清は神さまである、目下の女神である、とそういうことになる。(中略)けっして自分を責めたりせずにまるごと認めてうけいれてくれる理想の女性、あるいは女神としての女。(後略)
(引用ここまで)

この關係、なにかに似てゐないだらうか。さう、エロゲなどの「メイドさん」だ。主人公(プレーヤー)が大すきで、まるごと認めてうけいれてくれる女神のごとき目下の存在。
もちろん淸は老婆なので、直接的に戀愛、としてはゑがかれてゐない。せいぜいアナロジーである。しかし、構圖はまったくおなじといへる。といふことは、漱石がいまの人であったなら、メイドエロゲをつくったり、それにはまったりしてゐたかもしれない。

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