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吾妻ひでおと「萌え」

吾妻ひでお先生が、「萌えの元祖」と言われることについて、「うつうつひでお日記」や「リュウ」誌で「俺は萌えなどという気持ち悪い言葉は知らん」という趣旨の発言をしていることが一部で話題になっているようだ(粗忽亭は「リュウ」誌は未読)。それについて少々考察を。(以下敬称略)
まず、「萌え」ということばが一般化したのは、1990年代であり、吾妻ひでおが純文学シリーズ等々を描いたり、「シベール」を作ったりしていたころにはなかったことばである、という点には留意する必要があろう。それゆえ吾妻が「俺は知らん」というのは当然といえば当然だ。当時、吾妻の描く美少女などをあらわすことばとしては「ロリコン」といのが一般的だった。この「ロリコン」というのは、本来のlolita complexとは少々意味あいがちがう、と思ったほうがいい。美少女―特に二次元のそれ―をめでる気もち、ぐらいにとらえておくのが妥当だろう。一説によると、lolita complexは英語だが、ロリコンは和製英語だ、ともいう。とすればanimationとアニメのちがい、変態と(その頭文字から発生した)エッチと(英語化した)hentaiのちがいのようなものかもしれない。
話がずれたが、そもそも吾妻ひでおの美少女キャラクターと現今の「萌え」キャラとは大きなちがいがあるように思う。それは「媚び」があるかどうかではないだろうか。
「萌え」キャラは作中の男性キャラに対して、また、読者(である男性)に対して、意識的か無意識かは別にしても「媚び」の要素が濃厚に感じられる。はやりのツンデレにしても、「ツンツン」の部分は「デレデレ」を引き立てるための要素、といってもいいのではないか。
それに対して吾妻美少女キャラは基本的に「媚び」がない。ミャアちゃん(猫山美亜)などはその典型だ。ななこだって、気弱でやさしいだけであって、媚びているわけではない。「やけくそ黙示録」の阿素湖素子などは潜入した学校で、教師からお前には男への媚びがない、と明確に指摘されている。
これは還元すれば、「萌え」キャラ系の作品は一般的にいって男性が主で女性が従、という構造なのに対して、吾妻作品は基本的に女性が中心であり、男性キャラはそれにふりまわされる役割だ、ということにもなる。「ななこSOS」あたりはそのへんの配分が微妙だが(ただし私は、この作品においてもななこという「状況」に周囲がふりまわされているのだと思うが)、「スクラップ学園」、「やけくそ天使」、「贋作ひでお八犬伝」、「みだれモコ」等においては、確実に女性キャラクターが世界の中心の位置を占めている。
そういうことを考えあわせれば、吾妻ひでおを「萌えの元祖」と位置づけるのは、やはりまちがっている、というべきではないかと私は思うのだ。
それでは吾妻が現在の「萌え」に無関係かというと、そんなことはない。吾妻ひでおがいなければ現在の「萌え」はなかった、というのはいいすぎかもしれないが、少なくともいまの「萌え」とは随分ちがったものになっていたであろうと思うし、あるいはこの状況は10年遅れていたかもしれない。
結局吾妻ひでおは「萌えの元祖」ではなく、「萌えの源流(のひとつ)」に位置づけるべきなのではないだろうか。どんな大河も源流は小川であったり湧き水であったりする。だがそれは大河そのものではない。その源流にそのほかの源流が合わさり、雨がくわわったりして大河になるのだ。
「萌え」な作品を描いている人には直接・間接に吾妻ひでおの影響を受けている人は多いと思う。そんなわけで、吾妻ひでおは「萌えの源流の(主要な)ひとつ)」というのがもっとも正確なのではないか、と私はかんがえるのだ。

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