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太政? 太上?

今日の朝日新聞朝刊文化総合面に「不敬文学と呼ばれた昭和10年代--源氏物語 あちこち『削ル』」という記事が出ていた。
内容は、いわゆる「谷崎源氏」の「昭和10年代の最初の訳は、源氏と天皇の后の『禁断の恋』にかかわる個所を削っていたことで知られている」。それは「国語学者山田孝雄の圧力によるといわれるが、山田の蔵書から経過を語る書き込みが見つかった。」云々というもの。
詳細については省略するが、気になったのはつぎの記述。
「谷崎は(中略)山田は(中略)『穏当でない』個所をあげた、と記している。天皇の臣下の源氏と后藤壺の密通、その間の子が天皇になったこと、臣下の源氏が太政天皇に準ずる地位に登ったことの3点だった。」
そのあとの方にも御丁寧にもう一度「太政天皇」という記述が出てくる。
困ったものだ。「だいじょうてんのう」は「太上天皇」と書くのが正しい。略して「上皇」というのだから、わかりそうなものだが。
こんなこと、普通の人が知らなくても全然問題ないが、朝日新聞の文化面の記事でこれははずかしい。
執筆者は「編集委員・由里幸子」とのこと。調べてみると、学芸部出身の編集委員で、文学関連の記事を主なフィールドにしているらしい。そういう人がこんな基本事項をまちがえ、校正部もすんなり通してしまうって、いったいどうなっているのか。朝日新聞の値打ちも落ちたものだ。朝日新聞は「受験に強い」、がセールスポイントの一つだが、受験生が日本史の試験に「太政天皇」と書いたらどう責任をとるつもりだ、といやみのひとつも言いたくなるような記事だった。

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コメント

執筆者を調べる前に、もとの資料をご覽になりましたか?
たしか資料にそうあるのだったと思います。

「もとの資料」とはなにをさしておられるのでしょうか。
源氏物語はもとより、誤字誤植誤変換のたぐいをのぞいて「太政天皇」とする史料・資料の存在は寡聞にして存じませんが。存在するのならばご教示ください。その際、訂正するのにやぶさかではありません。
ちなみに小生の手元にある資料では、日本歴史大辞典をはじめ、すべて「太上天皇」との記述はありますが、「太政天皇とも書く」等と書かれたものはありません。

では、記事に出てくる『潤一郎訳源氏物語』をご覧になってください。

ご教示ありがとうございます。谷崎源氏は所有していませんので、近いうちに書店でさがしてみます。大きな書店になら、中公文庫版があるでしょうから。
ちなみに与謝野源氏ではちゃんと「準太上天皇」になっています。
どちらにしろ、確認したら、また書きます。

(おまけ)和田英松博士の「官職要解」より
 太上天皇は、略して太上皇といい、また略して上皇とも申した。『史記』高祖本紀の注に「索隠曰く。けだし太上は無上なり。皇は徳、帝より大なり。故にその父を尊び太上皇と号す。」とかいてある。(後略)

さきのコメントを書いたあと、このいそがしいときに、わかりきったことの確認のために大型書店に行かねばならなくなってしまったが、時間をどう捻出しようかと、少々ユーウツになっていたのですが、あっさりとその必要がなくなりました。
今日の朝日新聞朝刊文化総合面より

----引用ここから----
訂正 5月31日付「源氏物語 あちこち『削ル』」で、「太政天皇に準ずる」としたのは、「太上天皇に準ずる」の誤りでした。訂正します。
----引用ここまで----

過テバ則チ改ムルニ憚ルコト勿レ。(論語)
朝日新聞のいさぎよい態度を是としたいと思います。

ところで通りすがり氏は、どういう『潤一郎訳源氏物語』をご覧になったのでしょうか。

すみません。
私の過ちを認める前にそのような訂正記事が出ていたのですね。
『潤一郎訳源氏物語』のほうではなく、記事中に少し触れてある
山田の死去時、谷崎が山田との出会いを回想したものの中に、
「太政天皇」とあるのだったと思います。
と訂正しようと思って来たところでした。

あの、あと一つ、確認したいのですが、別にこの記事のことは
どうということはなく、朝日新聞の挙げ足をとりたかったのですよね?
朝日新聞は訂正文を出すという形で穏当な方法をとりましたが、
「太政天皇」となっていれば、訂正を出すほどのことではなく、
原文のままであり、親切ならば、「当時このような表記もされた」
ということを付け加えるかもしれませんが、それほどの
大問題ではない(というかここでは私が問題化してしまいましたが)。

それを、
「このいそがしいときに、わかりきったことの確認のために大型書店に行かねばならなくなってしまったが、時間をどう捻出しようかと、少々ユーウツになっていたのですが、あっさりとその必要がなくなりました。」
と書かせてしまい申し訳ございませんでした。では、
たっぷりお時間のあるときに、谷崎潤一郎の山田への追悼文を
お探しになってください。

お騒がせいたしましたこと、また長文を失礼いたしました。

別に揚げ足を取りたかったわけではありません。私は別に反朝日新聞なわけではありません。そうであれば、金だして朝日新聞を購読しているわけがありません。批判すべきものは批判するだけの話です。
この場合、基本的(ここでいう基本的とは、「学校で習う」というような意味ではありません)な歴史用語を文化総合面という場所で、それも源氏物語についての記事でまちがうのは小さなミスとは言いがたいと思ったためにネタにしたにすぎません。
なお、谷崎の回想文中に「太政天皇」とあるというのは、にわかには信じがたいのですが、実見していない段階ではそれについて云々することはやめておきます。
ただ、「当時(というのは谷崎の時代、という意味でしょうか)このような表記もされた」ということはないと思います。「太上」とは上に引用したとおり、「無上」というような意味の尊称であり、太政官、太政大臣というときに使う「太政」は「オホイマツリゴト」の意味で、その意味するところがまったくちがうからです。「太上」は尊称。「太政」は役割の称です。
よって、もし、谷崎の山田への追悼文にそのようにあれば、これまた上に書いたとおり、誤植でなければ、谷崎の誤記(誤字)ということになります。もっとも源氏物語を訳したような人がこのような誤記をするとは考えにくいので、あるとすれば、誤植でありましょう。
なお、手元の文献のほか、ネットでも検索してみたのですが、太上天皇を太政天皇とも記す、と書かれた文献を見出すことはできませんでした。逆に「太政天皇ではないので気をつけること」のごとくにかかれているものは目にしましたが。
なお、山田が死去したのは1958年、上に書名をあげた「日本歴史大辞典」の初版第一巻の刊行が1956年、ほぼ同時代といっていいと思いますが(原本は全20巻ですから、完結までに2年ほど要しているはずです)、「太上天皇」の項(本辞典では読みを「だじょうてんのう」としている)に、「太政天皇」とも書く、との記述はありません。なお、私の持っている日本歴史大辞典は1984年から刊行された普及新版(全10巻、別巻2巻。三度目の改定)ですが、それらの改定は誤字誤植の訂正(普及新版においても結構誤字誤植は残っていますが)を中心としており、新項目は第10巻の「補遺・索引」に「補遺I」「補遺II」「補遺III」として、改定のたびに付け加えられた補遺項目を掲載している形式なので、本文そのものはおそらく初版とあまり変更のないものでありましょう。
また、これも上にあげた和田英松「官職要解」は、たとえば「参議」の項に「借字を用いて『三木』とかいたものもある。」とあるごとく、表記の異同についてもくわしいのですが、太上天皇の項目にはそのような記述はありません。
以上、長文となりましたが参考となればさいわいです。

なお、朝日新聞の誤記については、たとえば「太政大臣」という語にくらべて「太上天皇」という語は(普通略称の上皇がつかわれることもあって)あまりつかわれないこと、また、たとえばMS IMEでは「太政」は変換されても「太上」は変換されないこと、などから起きたものであろうと推察しています。文化面の記事であればこそ、そういう点にはもっと気をつかってほしかった、というのがわたしのもっとも言わんとすることです。

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