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まるで新左翼なチラシ

前項でふれた「どんな銃口もひとつの思念を消すことができない」というイベントのチラシついて、およびそれから想起したことについて書く。
粗忽亭がそのむかしかよっていた大学は伝統的に、警察用語でいうところの極左暴力集団、マスコミ用語でいうところの過激派の拠点校のひとつだった。筆者のころはもう、一般学生はだれも見向きもしなかったけど、某派が寮を占拠して設備を(寮自治の名目で)勝手につかっていたり、毎日正門前に門番よろしく突っ立っていたり、あちこちに無断でビラを貼って公共の設備を汚損したり、語学の授業に乱入してだれもききたがらないアジ演説をなんの権利があってか延々やらかしてわれわれの教育を受ける権利を侵害したりしていた。そんなわけで粗忽亭は極左暴力集団というものに生理的な反感を持っている。
さて、そんな粗忽亭が「ああ、まるでやつらの論法だ。」と思ってしまったのが、前述のチラシ。山谷の日雇い労働者運動の中心人物だった山岡強一、というひとの追悼イベント。山岡氏の映画「山谷(やま)-やられたらやりかえせ」の上映と「話」と演奏があったりするらしい(2月4日なので、もうおわってます)。ちなみにイベントのサブタイトルは「山岡強一虐殺20年に寄せて」。大熊ワタルさんが件の映画の音楽を担当しており、また、この日の出演バンドのひとつ「蠱的態(KOTEKITAI)2006」にも名をつらねている関係で配布されたようだ。
そのイベントや映画の趣旨についてどうこう言う気は毛頭ないが、このチラシについては何だかなあ、と思ってしまったので、いちゃもんをつけてみる。
まず、「彼は右翼の凶弾に倒れた」と書いてあるが、そのすぐ横にある年賦には「国粋会金町一家金竜組組員が放ったピストルの凶弾に斃れる」と書いてある。なあんだ、右翼じゃなくって暴力団(※1)に殺されたんじゃないか。つまりは日雇い労働者の権利擁護運動をしていたために、それによって従来の利権をうしなう暴力団に殺された、ということ。それをまるで思想問題のようにいうのはデマゴギーじゃないかと思うが。ついでにいうと、ピストルでの射殺を「虐殺」というのは扇情的にすぎるのではないか。凌遅処死とかでもあるまいに。「暗殺」というべきであろう。
チラシの主文、とでもいうべき文には「このクニの軍隊はすでに戦地に駐留し、US軍による大量殺人の片棒をかついでいる。」とある。自衛隊が人殺しのてつだいをしているとはツユ知りませんでした。そうまでいうのなら、具体例をあげてほしいものです。自衛隊のイラク派遣に反対するのは勝手だが(粗忽亭ももろてをあげて賛成、というわけでは決してない)、事実と言いがたいことを書くのはいかがなものか。このあたりのデマまじりの論法から極左暴力集団のチラシを思い出してしまったのだ。
さらに「いっぽうメディアは、本質的に何の意味もない千代田城の跡取り問題にあれやこれやと首を突っ込み、有害無益な『制度』ひとつ無くす議論さえおこせないでいる」ときたもんだ。
天皇制を有害無益というのが既定の結論のごとくに書いているが、それは自分たちがそう思っているだけではないのか。国民の大多数が天皇制を支持している現実をどうとらえているのか。そういう連中は無知蒙昧なやからだ、というのか、はたまた反動分子だ、というのか、右翼勢力に洗脳されている、とでもいうのか。極左の連中は自分たちと意見を同じくしないものをつねにそういうことばで切り捨てようとする。そういうやからが「われこそは民主主義者だ、民衆主義者だ」とほざくのだから虫唾が走る。
天皇制が非合理な制度であることを否定する者はあまりいないだろうが、非合理であることと有害無益であることは等価ではない。いくら非合理であろうと「歴史」や「伝統」というものをせおうと、それがむしろ必要であることもあるのだ。(※2)
たとえば日本語の表記に、本来支那語を表記するための漢字をつかうのはきわめて非合理なことだ。漢字は支那語を書きあらわすにはたいへんすぐれた文字だが、日本語には向いていない。「行」という文字が「いく」「おこなう」「こう」「ぎょう」などいくつもの読みをもってしまうのは(それ以外の字も大抵「音」「訓」のふたつの読みがあるのは)その例だ。「コーギョーをいとなむ」が工業なのか興行なのか興業なのか鉱業なのか航業なのか鋼業なのか区別がつかないのも同断(※3)。だからといって漢字は日本語に有害無益、とはもはや言えない。漢字を、廃止すればそこにあるのはよりふかい混乱だ。そういうことを考えたうえで「有害無益」といいきっているのだろうか。
このての連中はだいたいにおいて歴史や伝統というものの力を不当に軽視している。もしくは歴史や伝統の理解が浅薄だ。「『制度』ひとつ」と書いているが、天皇制か、彼らが想定しているであろう共和制かというのは国家の根本問題だ。「ひとつ」などというかるがるしいものではない。
第一、天皇制を廃止すれば、わが国は論理的にいって「日本」という国ではなくなるのだがそんなことは考えたこともなかろう。(※4)
というわけで、その独善性、デマゴギー、強引な理論展開、大衆蔑視ともいうべき高慢さをこのチラシから感じてしまい、ああ、学生時代にさんざん目にした極左のチラシのようだ、と思ってしまったのだ。

(※1)国粋会はもともとは政友会政府が任侠系の団体を糾合してつくった右翼団体だが、戦後解散させられ、現在はまったくの暴力団である。
(※2)粗忽亭は伝統を尊重する立場から尊王論者だが、国民の大多数が天皇制は不要だ、廃止すべきだというのなら、それはそれでかまわないと思っている。
(※3)このへんのことはくわしくは高島俊男先生の「漢字と日本人」(文春新書)などを参照してください。
(※4)漢土において李皇朝の国家が唐、朱皇朝の国家が明、愛親覚羅皇朝の国家が清、であるのと同じこと。それらの皇朝がかわるとまったく別の国になる(易姓革命)。愛親覚羅朝が廃されて共和制になると「清共和国」ではなく「中華民国」とまったく別の国号になったのもおなじ理由。よって、わが国が共和制になったとして、その国を「日本共和国」などとするのは論理的にはおかしい、ということになる。「中華」の伝で「まほろば共和国」とでもするんでしょうかね。

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コメント

日本が共和制採用したら日本共和国やろうが
満州人と漢人は違う民族だ。
仮に日本人以外の民族が我国を征服したとしたら、あなたのお好みの名称になるかもしれませんね。倭人自治共和国とか

あなたは易姓革命の意味がわかってゐますか。易姓革命は民族とは關係のない話ですよ。武則天が皇帝になったときに、なにゆゑ國號が唐から周にかはったのか理解してゐますか。また、中宗復位後、なにゆゑ國號が唐にもどったのか理解してゐますか。
支那人の皇朝である明をたふしたのはおなじ支那人である李自成ですが、なにゆゑ彼は大明皇帝ではなく、大順皇帝を名乘ったのかわかってゐますか。
それからあなたは日本語が理解できてゐますか。日本語が理解できれば、わたしがわが國の國號が日本以外を好まないことが容易に理解できるはずですが。

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