くだらない議論を

どうして國の國語關係の審議會といふのはかうも程度がひくいのだらう。大東亞戰爭敗戰後のどさくさにまぎれて世にも愚劣な新かなを制定し、當用漢字を制定した。漢字制限→將來的には漢字全廢、音標文字化といふ考への當否はここでは問はないが(もちろんわたしは否であると思ってゐる)、字數の制限だけではなく、愚劣醜惡極まりない字體の改變をおこなった。
この國語政策は當初、新聞社など字數制限の恩惠を受ける勢力のつよい支持を受けたが、コンピューターの發展・普及にともなひ、字數制限の恩惠が新聞社・印刷業者等のみならず、實際に文章を書く個人にとってもうすれ、むしろつかひたい字がつかへない不便の方ばかりが目につくやうになった。戰後國語改革はもはや破綻したのだ。
しかし文部(科學)省もいまさら國語改革は破綻しました、全部チャラにします、とも言へず、姑息な彌縫策のみをくりかへしてゐる。いま現在も常用漢字表の改定を作業中だ。なんでも191字ほど追加するらしい。ちょっとまへにどんな字が追加されるかの一覽が新聞にのってゐたが、わたしは見てゐない。わたし自身は常用漢字表にしばられる氣などさらさらないからだ。
だが、Yahoo!ニュースを見てゐたら、『「しんにょう」の点は1つ?2つ? 結論持ち越し 文化審漢字小委』といふ記事があったので、讀んでみた。くはしくはリンク先を讀んでほしい。
それにしても文化審議會漢字小委員會の委員といふのは馬鹿と暇人のあつまりなのだらうか。よくこんなつまらないことで議論を白熱させて結論を持ち越したりできるなと思ふ。
文字の表記といふのは本來フレキシブルなものだ。特に手書き文字といふのはどうしてもさうなる。アルファベットの筆記體をみればよくわかるはずだ。たとへば「Q]などは活字體とほぼ同じやうにも書けば、圓の部分を閉ぢずに「2」にちかいやうなかたちにも書く。わたしが小學生のころ見た子供向けのテキストにも本によって兩方の字體があった。
文字數のすくないアルファベットでさへさうなのだ。文字數の多い漢字はなほさらだ。漢字にはさまざまな異體字があるのはそのためだ。よく知られたところでは「島」「嶋」「嶌」などがある。これはどれが正しいといふものではない。どれでもよいのだ。ただ、敎育などの便宜の點から、なにかを標準にするのはやむをえないだらう。きはめてバラエティにとむ日本語を、東京山の手のことばをベースとして「標準語」をさだめたやうに。
之繞にしてもおなじことだ。2點なり1點なりを標準とさだめ、他方でもよい、としておけばよいだけのはなしだ。どちらを標準とするのが望ましいかといへば、當然傳統的な字體である2點だらう。その採用を躊躇するべきではない。ましてや
子供に『この字はなぜ2点?』と聞かれて簡単に説明できない
から1點にすべきだなんて主張は本末轉倒もいいところだ。本來すべきは、いままで1點としてきた既存の常用漢字の之繞の字體もこれを機に2點を標準とあらため、從來からの經緯にかんがみ1點も可、とすることだらう。
だいたいからして1點だ2點だと決めつけなければ子どもに敎へられないといふ發想からして非敎育的だ。こたへはただ一つといふ○×テスト的發想の産物にすぎない。正解が複數あるものは複數あると、曖昧なものは曖昧だと敎へるのが敎育の役目ではないのか。ちがふといふのなら、たとへば「之繞」はなんと讀むのだ。これは學校でも「しんねう」でも「しんにゅう」でも可、と敎へてゐるのではないか。「延繞」は「えんねう」なのに「之繞」は「しんにゅう」だなんて子どもに説明ができないなんて言ってゐる馬鹿はゐないはずだ。
さういふ意味で事務局案といふのは(既存常用漢字の字體にふれないといふ大きな瑕疵はあるが)、比較的まともなものだ。それに對して1點統一案をとなへてゐる一部の委員とやらはまさに曲學阿世の徒と言って過言ではない。かういふ連中は日本語と日本のためにさっさと委員を辭任してほしい。

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社名に暗示された産地僞裝

ここのところ、烏の鳴かない日はあっても食品關係の不祥事が報道されない日はない、といった感じですね。特に産地僞裝についてはもう慣れっこになってしまって、いまさらなにがあってもおどろかないやうになってしまひました。
さて、いま一番ホットな産地僞裝關連のニュースはキャセイ食品なる會社が中國産がまじってゐた冷凍野菜を國産といつはってゐた、といふ事件ですね。
この第一報を新聞で見たとき、「國産と僞裝」「キャセイ食品」「中國産」といふ文字がまづ目に飛び込んできました。それで記事をちゃんと讀むまえに頭にうかんだのは、もともと中國からの食材輸入を業としてゐた會社が國産食材もあつかふやうになりながら、實は中國産を賣ってゐたのかな、といふものでした。
だって、「キャセイ」といはれてまづ頭にうかぶのは「キャセイパシフィック航空」ぢゃありませんか。御存じのやうにキャセイ航空は香港の航空會社です。そしてそのキャセイといふのは支那(China)の意味ですから。
ちなみに支那といふのは秦に由來してゐるといはれてゐます。それに對してキャセイといふのは契丹(キタイ)に由來してゐるさうです。
とにかくさういふことを考へたら、キャセイ食品が中國産野菜を使ってゐたのは至極當然のやうに思へてしまひますね。もっともキャセイ航空はCathayなのに對し、キャセイ食品はCasseyのやうですから、本當は中國とは關係ないのでせう。でも、さうするとCasseyとはどういふ意味なのか、どうしてかういふ社名をつけたのかが氣になりますね。

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ツンデレももはや學術研究對象

土曜ことばの会」といふ言語學研究會があるさうです。詳細はリンク先を。
その次囘(10月11日)の發表會では「役割語としてのツンデレ表現―役割表現研究の可能性―」 といふ發表がおこなはれるとのこと。ツンデレももはや立派な學術研究對象なんですね。發表者は粗忽亭の大學漫研の先輩です。なほ、

第2弾、「ツンデレ表現の待遇性」も執筆中です。

ださうです。
ちなみに、發表者は甲南女子大学文学部日本語日本文化学科の日本語學の教授ですので、岡田斗司夫さんの「オタク文化論」なんかとは相當毛色のちがふものだと思ひます。多分。

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京都の日本料理店、ミシュラン掲載を拒否

asahi.comの記事より。
掲載を拒否、ってのは言葉のあやです。ミシュランが勝手に評價し、勝手にのせたって文句は言へんだらうし。つまり、「ミシュラン」にのせるための寫眞撮影を拒否してる、ってことです。
これ、思ふに紅白歌合戰とロックミュージシャンみたいなもんぢゃないかな。いまの紅白にどれぐらゐの權威があるのかは知らんけど、かつて視聽率70%とかとってたころの紅白は大變な權威があった。出演するのは一流人氣歌手の證明みたいなものだった。紅白に出るとギャラのランクがはねあがったらしい。特に演歌系の歌手なんかは、地方公演のギャラがドンとあがるので、紅白出演の有無はまさに死活問題だったらう。
しかし、たとへばロックミュージシャンとか、最初からテレビでの仕事をやってゐない、コンサートだって賣り興行でないミュージシャンは紅白に出るメリットは無いにひとしい。紅白のギャラ自體はたいした額ではないらしいし、それでゐてリハーサルなどに長時間拘束されて、自分の出番以外のアトラクションにも參加させられて、っていふんぢゃ、出たがらない人が多くても不思議はない。
この件はそれに似てゐる。
「ミシュラン」はそもそも旅先でのレストランガイド、といった性格のものだ。つまり、はじめて行っても安心な店を紹介してゐる。しかしここで對象にされた京都の日本料理店は、大抵が一見客おことはりだ。ガイドにのせてもらってもメリットはないし、問ひ合はせてくる一見客にいちいち對應しなければいけなくなるのなら、デメリットばかり、とさへいへるだらう。
元記事には料理研究家の服部幸應さんの

世界のグルメが和食を食べに日本に来る国際化の時代。観光都市・京都の名店がミシュランの評価をボイコットするなら残念な話だ

といふコメントものってゐるが、それよりある老舖店主の

フランスの調査員が、我々の文化や伝統を学んでいるとは思えない

といふ意見の方にわたしは共感する。
文化といふものは、本質的にローカルなものだ。よく「世界に通用する文化」などといふいはれ方をされるが、文化なんてものは世界に通用しなくてもよい。もちろん通用しても一向にかまはないが、そのために文化の方からすりよる必要はない。「たまたま」通用してしまったのなら、それもよし、といふ程度でよいのだ。
たとへば漢詩なんてものは、高島俊男先生によれば、日本人がいくら勉強したって四分の一もわかれば御の字ださうだ。それはさうだらう。最低でも支那語ができなければ、詩の音韻的なうつくしさは理解できないだらう。詩の背景には膨大な漢籍の教養もある。そしてなにより、支那人が支那語で支那人としての生活の中からつくるからこそ漢詩なのであって、たとへおなじ漢字を共有してゐるからといって、日本人がおいそれと支那人(の教養人)とおなじやうなものが作れるわけがない。
われわれの文化だってさうだ。フランス人に俳諧を、イギリス人に和歌を、アメリカ人に連歌を評價されたくはないだらう。
文化の方から「世界標準」にすりよるとどうなるか。われはれはすでに「柔よく剛を制する」はずの柔道が力まかせ(ゆゑに體重別)で、さらには一本をとるよりもこせこせとポイントをかせいだ方が有利なJUDOになってしまった例を知ってゐる。
「ミシュラン」にのせてもらへてありがたい、とか言って、「權威」にしっぽをふってゐるよりは、突っぱねてしまふ方がとにもかくにも京都らしい。
わたし個人としては、いちいち紹介が必要なところで飯を食ひたいとは思はないが、かういふ文化もあっていい。京都の料理店の矜持と見識をわたしは支持したい。

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朝日新聞、日本語崩潰

昨日(9月15日)付けの朝日新聞東京本社版敎育面にあった「存在意義探る女子大」といふ記事。筆者は石川智也。
記事内容は、一月中旬、お茶の水女子大、奈良女子大、津田塾大、東京女子大、日本女子大の5大學が「21世紀に生きる女子大学」といふシンポジウムを開いた、といふことにからめたもの。
それはともかく、この記事、文章がすごいよ。いはく

日本の女性管理職の女性比率は10%

ださうだ。日本だらうが、ドイツだらうが女性管理職の女性比率は100%だと思ひますけどね。日本には女性でない女性管理職といふ鵺みたいなのが90%もゐるんですかね。まるで小學生なみの文章だ、と言ったら小學生が怒りますね、これは。
それにしてもこんな文章を署名入りで發表する記者さんの心臟にはおそれいる。こんな文章をとほしてしまふ校閲の仕事ぶりにも感心する。なによりもこんな文章を數百萬部も印刷してばらまく朝日新聞社の度胸には言葉をうしなふ。
新聞社さん、おねがひだから、記者には義務敎育レベルの日本語がつかへるやうにちゃんと敎育してください。といふか、そんなやつ入社させて記者にするな。新聞記者の日本語能力の低下もつひにここまで來たのかと、あきれるばかりだった。
ついでだけど、このシンポジウムもなかなか香ばしい内容だったやうで、

パネリストから、「貧困や格差は男支配のなれの果て。女子大の役割は男性の再教育」という発言も飛び出し、盛り上がった。

のださうだ。「男支配」ぢゃなければ、貧困や格差はなくなるんですかね。どれだけ粗雜な腦みそしてるんですかね。この發言もさきの5女子大の關係者の發言なんですかね。「受驗生の女子大離れ」や「不要論」に對抗するためには、かういふ馬鹿を排除するのが一番ぢゃないんですかね。

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わざわざそんなルビを

今日の朝日新聞夕刊の「窓 論説委員室から」。タイトルは「21世紀が始まった朝」。執筆者は三浦俊章。その中の一節。

自由で開かれた社会を逆手にとって、人々を不安に陥れるテロ。

この引用文中、「逆手」に「さかて」、「陷」に「おとしい」とルビがふってある。
後者は問題ないが、前者は本來「ぎゃくて」と讀むべきもの。柔道なんかで、關節を反對にまげて取ることをいふ。「さかて」といふのは、逆上がりのときの鐵棒の握り方、あるいは座頭市の刀の握り方のやうなものの持ちかたをいふ。
よって、この場合は「ぎゃくて」が正しい。
現在では「さかて」と誤讀される場合が多く、その讀みもほぼ容認されてはゐるが、嚴密には正しくない。わざわざルビを正しくない方でつけることはなからう。
朝日新聞の論説委員さんと校閲擔當者さんは、相當日本語に不自由とみた。日本語が碌にできなくても、朝日新聞社では出世できるんですね。氣樂な稼業だなあ。

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韓國の子どもがちょっとかはいさうになった

「痛いニュース」にあった記事
まあ、領土係爭中の地を自國のものだって敎へるのはわかる。といふか、そのへんはわが國ももっと見習ふべきだと思ふ。
だけど、その際にはちゃんと相手側の主張・根據も紹介して、そのうへで自國の主張の方の正當性・優位性を強調するのが正しいやり方だらう。これを讀むかぎりでは、どうも日本側の主張・根據はまったくふれられてゐないみたいだ。歴史的經緯なんかも敎へてゐないのだらう。
しかも
「ドクトに攻めて来る国は日本」
なんてことまで敎へてゐるんだね。日本人ならだれ一人信じないうそを。良くも惡くも、日本は紛爭解決手段としての武力の發動を憲法で放棄してゐるのに。當然そんなことはおくびにも出さず、日本はいまでも帝國主義國家だ、なんて敎へてゐるんだらうね。
一番あきれるのが
「国際裁判」の寸劇でも、日本は完全に主張が退けられ、悔しがると言う場面まで生徒が演じました。
のくだり。日本は國際司法裁判所に付託しようと再々言ってゐるのに、それを拒否してゐるのは韓國の方だ。そんな寸劇をやらせるぐらゐなら、とっとと「国際裁判」とやらに應じて、日本を悔しがらせればいいぢゃないか。勝負から逃げておいて、「まあ、たたかったら俺が勝つけどな。」と言っているわけだ。それとも、「相手が勝負から逃げてゐる。」とか大噓を言ってゐるのだらうか。
くりかへすが、領土係爭中の地を自國のものだと敎へるのはよい。だが、それは、あくまで事實に基づいて、そのうへで自國の主張の正當性を敎へるべきものだ。はじめから偏頗なうそを敎へて、國際的に通用しない人間をつくることではない。
こんな敎育をされてゐる韓國の子どもがちょっとかはいさうになった。

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往復ともに座席トラブル

いそがしかったんで、いまごろ書いてゐますが、16日から24日まで歸省してゐました。歸省先は近畿です。當然往復には「のぞみ」をつかひました。ともに指定席です。
まづ行き。3人がけの通路側がわたしの席でした。東京で乘ったとき、なぜか眞ん中の席があいてゐました。そこの名古屋から乘ってきた中年男性がすわりました。で、しばらくすると、わたしにむかって「そこ、俺の席とちがふか。」とか言ひ出しました。え、まさか、と思って切符を確認しようとしたら、そのおっさん、それよりはやく自分の切符を見て、「あ、御免。あってるわ。」
………。あのねえ、ひとに席まちがってないか、て言ふときはまづ自分の切符を確認してから言ふもんでせう、普通。ええ歳して常識もないんかい。そのせゐで新大阪につくまでずっと不愉快でした。

つぎに歸り。こちらは2人がけの通路側。神戸の友達のところに遊びに行つて、直接のもどりなので、新神戸から乘る。わたしのすわるはずの席に若い女性。ちなみに窻側には中年男性。自分の切符を再確認してから、その女性に聲をかける。その女性も自分の切符を確認すると……。なんと女性の席は窻側が正解で、男性は一つうしろの列の窻際がただしい席でした。玉突き事故かい!
しかし、その女性も自分の席にすわられちゃってゐて、氣がつかなかったんだらうか。窻側か通路側かって、切符取ったときに氣にしないのかなあ。不思議不思議。おかげでホームまで見送ってくれた友達に手も振れませんでした。

でもって、この「のぞみ」、例の小田原・熱海間の豪雨の影響で、22時30分東京著の豫定が、翌日の4時20分著になってしまったのでした。うわー、最後にこんなとんでもないオチまでつくなんて。往復の座席トラブルは、そのためのネタふりだったのね。いやー、えらい目にあひました。

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「カリ城」の破綻點

「たけくまメモ」に「パンダとポニョ」といふエントリがあがってゐます。なかなかの長文で、3回に分けてアップされてゐます。その(1)その(2)その(3)
で、その(2)で竹熊さんは

宮崎アニメについては昔から言われていることがふたつあって、それは「プロット(物語の組み立て)が破綻している」ということと「プロットの破綻が気にならないほど映像が素晴らしい」ということです。

と書いてゐます。
それに關連して、コメント掲示板の方で、さういふ破綻は「千と千尋」以降だ、いや、むかしからだ、「カリオストロ」はストーリー無茶苦茶だ、いやいや「カリオストロ」は、ストーリーはタイトなつくりだ、ストーリーは無茶苦茶ぢゃない、云々なんてやりとりがありました。
それでおどろいたのが、宮崎監督のファンの中には、「カリオストロ」のストーリーが破綻してゐないと思ふ人もゐるのだな、といふことです。
わたしはもうだいぶ前からアニメに對する、といふより、フィクション全般に對する興味がうすれてゐるので、宮崎監督の作品も「紅の豚」(これもテレビで見ただけ)を最後に見てゐないのですが、元おたくとして、「カリ城」は大好きな作品です。しかし、この作品に破綻がない、あるいはストーリーが無茶苦茶ぢゃない、といふ人が、少なくともファンの中にゐるとは思ってもゐませんでした。「カリ城」の偉大なところは、ストーリーの破綻などものともしないおもしろさにあると思ってゐたからです。
だってさうでせう。冒頭、ルパン一味は國營カジノから大量の現金を強奪しますが、それがゴート札だと氣づくと、惜しげもなく捨ててしまふ。これはルパンの、超一流の泥棒として、僞札などぬすんでよろこんでゐられるか、といふ矜持だと解釋できるでせう。(Wikipediaによると家訓らしい)
しかし、そのあと、つぎの仕事は決まったと言ってカリオストロ公國に潛入するわけですが、その「仕事」といふのがなんなのかさっぱりわからない。なにを目的に潛入したのか謎なんですね。泥棒が「仕事」といふ以上、なにかを盜むことが目的のはずなんですが。わたしの記憶では、それについて語られてゐる場面はなかったやうに思ひます。
でまあ、潛入に成功してみると、城内にたまたま不二子がすでにもぐりこんでゐる。これなんかご都合主義としか言ひやうがありません。
それで、カリオストロ公國内でのルパンの行動を見ても、なにひとつ本來の泥棒としての行動をとってゐるやうに見えないのです。いみじくもラストシーンでクラリスが、あの人はなにもぬすんでゐない、わたしのためにたたかってくれただけ、と言ふやうに。
そして、不二子がゴート札の原版を持ち出していくのを見ると、それに色氣を示してゐます。それって、冒頭で僞札をおしげもなくまきちらしたのと、どうかんがへても矛盾してゐます。
このほかにもこまかい矛盾點はいくつもあります。でも、それをこえて「カリ城」はおもしろい。何度見てもおもしろい。單純に爽快、痛快といふだけでなく、感動さへしてしまふ。「カリ城」の眞骨頂はここだとずっと思ってゐました。
くりかへしますが、わたしは「カリ城」が大好きです。現役のおたく時代には、何度もくりかへして見ました。だから、この作品をけなす氣もちなんてさらさらない。
でも、いや、それだからこそ思ふのです。この作品を「ちゃんとしたストーリー」といふのは、ひいきの引き倒しではないかと。むしろ、さういふ矛盾點すら超越した傑作なのだと、素直に解釋すればよいのではないでせうか。

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びっくり!水野正敏、禁煙

難波弘之さんの公式サイトの〈近況〉から

> 何と、ベースの水野正敏がタバコをやめました! その途端、子供の頃から悩まされていた偏頭痛が治ったそうです。

いやね、去年のライブでドラムスの池長一美さんが、なんだったか病氣で、醫者から副流煙を吸ふこともだめ、と言はれてゐたはなしをしてゐたんですよ。で、難波さんと水野さんに「自分のちかくでタバコを吸はないことに協力してくださって、ありがたうございます。」とか言ったら、水野さんが「煙吸ったら死ぬかも知らんとか言はれたら、しゃーないやんか。醫者に言はれた?醫者の言ふことやったらなんでも聞くんかい。醫者が水野とつきあふなとゆーたら、つきあふのやめるんか。」とかつっこんでたんです。
難波さんが大喜びで、醫者の眞似して「もしや水野といふ人とバンドやってゐません?それがよくない。おやめになった方が。」とか言って笑ってたんですよ。
その水野さんが禁煙するなんてねえ。

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